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岡部利良著「旧中国の紡績労働研究」余聞

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 二年前の晩秋に永眠した父は戦前、京大が東亜研究所から委託された旧中国における紡績労働慣行についての調査に四年間に亘り従事、報告書も書き上げたが、戦争激化のため刊行されるに至らなかった。父は500頁を超えるこの研究報告書を退職後にこつこつと書き直し、亡くなる直前に原稿が完成していた。

 この膨大な原稿を手にした時、何しろ研究の対象は戦前の中国経済であり、体制が全く変わってしまった今日に至って半世紀前の著作を出版することに学問的意義があるのかどうか迷ったが、企業経営史の一齣としての骨董的価値はあるやも知れないと思い、父のゼミを出られて現在中国経済を専門に研究しておられる九州大学の西村明教授の許に原稿を持ち込んで、無理矢理原稿全部に目を通して頂いた。

 西村先生のご判断はこの分野に類書は殆ど存在しないので、出版すれば専門の研究者からは高く評価されようとの結論で、幸い九大出版会の手で刊行事業も引受けて頂き、故人の一周忌を前に上梓できた。 

 ところで1993年春に中国へ出張、進出企業数社を訪ねる機会を得たので、経営者の抱えておられる労務問題につき、本書内容と関連づけて種々質問を試みた。

 皆様方からの回答に少なからず驚いたのは、労働慣行の実情は半世紀前の実態と殆ど変わっていないという点であり、「旧中国の紡績労働研究」は歴史というよりもむしろ現在の企業経営に大いに役立つのではないかとの感を深くした。

 その理由として考えられるのは、中国が市場経済に復帰したのは文革後の精々十年余りであって、50年といっても実質的には十年位の隔たりしかないということであろう。労使関係でも戦前は一応認められていた労働者のスト権が現在は全く認められていない点など退歩も見られ、後進性は依然顕著に残っている。

 また、戦前の中国では労働者の管理は「買弁」と称する親方が請負い、賃金もこの買弁を通して支払われるという雇用形態が広く行われていた。さすがに買弁は消滅した今日でも、労働者の管理は全面的に中国人に委ねざるを得ない実情は基本的には昔と変わらないようである。 

 もう一つ驚いたのは、労働者の盗癖である。原稿にはこの点についての詳細な記述があったが、現在の中国に対しては非礼に当たると考え、割愛したところ、今回訪ねた日系企業の経営者は異口同音に労務管理上最大の頭痛の種は盗癖であるとし、外部と示し合せたりして何でも盗んでしまう労働者の悪癖に頭を悩ませている。中国では戦前から宗教教育を廃したため、儒教の本拠でありながら、道徳心は低いとの見方もあるが、盗癖もやはり貧しさの表われであって、衣食足れば改善に向かうのではなかあろうか。いずれ時間が出来れば、私自身でもう少し突っ込んだ分析を試みたいものと夢みている。

(明光証券会長 岡部陽二) 

(1994年2月10日発行、日本証券経済倶楽部機関誌「しょうけんくらぶ」第55号所収)

 

 

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