数年前のことであるが、仕事の関係でイタリアの大富豪,ドゥ・ベネディティ家からフイレンツェ最高のレストラン,エノティカ・ピンキオーリでの晩餐会に招かれた。この町を中心とするトスカーナ州はイタリア有数の赤ワインの産地であるが、なぜかこの晩餐会では白ワインばかりが三種類も供された。何れもさっぱりした素晴らしいヴィンテージものであったが、宴も終わり頃になって一人のフランス人招待客が何やら立腹しているのに気がついた。話を聞いてみると、「白ワインばかり出されるのは不愉快である。宵の口は気分を高揚させてくれる白がよいが、夜が更けてくると気分を和らげて安眠へと導いてくれる赤ワインでないといけない」とのご託宣。ワインの色の違いによって精神への作用がこれほど異なるという説は初耳であり、本当に気分まで変わるものかと驚いた次第である。
最近では流石に「肉料理には赤、魚には白」と信じ込んでいる御仁は少なくなったものの、それでは赤か白かを決める根拠は何かとなるとこれまた難しく、ワイン通の世界においても古典的な難題のようである。ワインの色は料理の色に合わせればよいというのは簡明ではあるが、赤か白かは料理の素材に合わせるのではなく,調理法にワインを合わせるべきという説がむしろ説得的である。
ワインは料理の味を高める働きをするが、それは両者が調和した場合においてのみであろう。すっきりしたシャブリやモーゼル、赤でもボージョレなどはあっさりした軽めの料理に合い、タンニンが豊富でアルコール度も高いこくのあるワインはこってりとした強めの料理に合う。たとえば,鰻料理であれば、白焼きには白ワイン、蒲焼きには赤ワインという具合になる。また、ワインといえば辛口と決め込んでいる向きも多いが、カレー味のように辛い料理を美味しく頂くには、甘口のワインが強すぎる刺激を抑えて味わいをふくよかにしてくれる。
ボルドーのシャトーをはじめワイナリーを見学して意外に思うのは、日本酒やウィスキーに比べてワイン醸造の過程が実に単純なことである。ワイナリーはワインを創出するところではなく、葡萄からワインヘの転換を手助けする産婆役を果たすだけであると「世界のワイン・アトラス」の著者として高名なヒュー・ジョンソン氏の解説は明快である。要するに、ワインの味は原料となる葡萄の種類、採れた土地柄とその年の雨量、日照時間などの天候で醸造前から略々決まっている。
日本酒の場合には、米に含まれている澱粉を麹の働きで糖分に変え、さらに酵母によってアルコールに転換させる二段階の工程があるのに対し、葡萄の実には初めから糖分と酵母が含まれているので、両者の反応を促進するだけで自然にアルコールができる。単純な過程であるが故に、ワインには原料の風味がそのまま残り、秘伝の製法なども存在しないということらしい。したがって、ワインの味は葡萄の種類と産地名、それにヴィンテージ(醸造年)の違いだけで、自動的に判る仕組みになっている。葡萄の種類ではシャルドネ、ピノ・ノワール、メルロなど20余種類、生産地ではバーガンディー,シャブリ、ボルドーなどやはり20か所程でおよそはカバーされる。
ワインに親しむには「習うより慣れろ」で、要は出来るだけ多くの銘柄を試して、優劣を比較しつつ自分の好みに合ったワインを見付け出すことである。といっても、色々な種類をただやみくもに飲んでいるだけでは、なかなか味を憶えられない。一般に味覚神経は視覚や聴覚に比べて鈍感とされているので、同じ銘柄のワインを三回位続けて試してみて、初めてその味を舌が憶えてくれるのではなかろうか。さらに申せば、鑑別力を養うには多少お金はかかっても、そこそこ高級な銘柄で味を憶えるのがコツである。これは絵画でも音楽でも本物を観、聴きしていると,安物や偽物はすぐに判別出来るようになるのと軌を一にする。
それにしても、日本人は一流のフランス料理店でさえ自分の好みのワインをはっきりさせないことが多い。欧米人は総じてはっきりと自分の好みを主張する。ソムリエに対してもただ「お任せ」ではソムリエ氏も張りあいがなかろう。そもそもソムリエはお客の好みに応じてアドバイスをするとともに、複数のお客の異なった好みをコーディネートする役割を担っているのであって、お客に代わって一方的に決めるのが仕事ではない。岡部陽二
話は多少飛躍するが、ワインの選択は株式投資に通じるところがある。多くの銘柄の中から買手が自分の嗜好と判断で特定の銘柄を選択しなければならない点、そして、それを自分で味わわねばならない点においてである。株式投資でも証券マンを真のソムリエとして充分に活用することは肝要であるが、自己責任での選択権を放棄して「お任せ」一辺倒では株式投資の妙味は満喫出来ない。自已の好みと判断で選んだ株が値上がりしたら、最も好みに合ったワインで乾杯するのも一興であろう。
(明光証券代表取締役会長 岡部陽二)
(1997年3月10日財団法人・日本市場研究会発行「月刊・資本市場」平成9年3月号、通巻139号p68~69所収)