一昨年にアジアを襲った通貨危機や昨年来のロシア経済瓦解、さらには新通貨ユーロ生誕への道のりなどを眺めていると、経済危機に適切に対処できなくなった「国家」が挫折し、他の非国家的諸勢力や権威に対してその座を譲り渡さざるを得なくなった現実を実感させられる。また、最近の地球環境会議などでは、主催は各国政府であっても、会場の内外で派手に活躍している主役は、国家とは無縁のNPO団体である。
昨年10月に亡くなったスーザン・ストレンジ教授が、二年前に出版した本書は、正にこの国家の衰退現象を理論と経験的根拠に基づいて詳しく分析し、問題点を浮彫りにしている。著者は「結果に影響を及ぼすパワーは本来国家だけに帰属するものではなく、国家の衰退はそれにとって代わる超国家企業、国際カルテル、国際監査法人、国際官僚機構、テレコム、さらにはマフィア組織などの新しい権威によって担われている」とし、これらの組織が国境を超えてグローバルな規模で活躍している様をヴィヴィッドに描き出している。
もっとも我々個人の生活実感としては、国家の権威衰退という仮定に直ちに同意するわけにもいかない。というのも、国家の守備範囲は放置しておくと際限なく拡大し、今叫ばれている改革というのは、要するに強すぎる官僚制を縮小し、政府機関に節約を課すといった政府活動の削減を意味しているからである。これに対し、ストレンジ教授は、権威の量では、国家の機能はなかなか衰えないが、その質が急速に衰えていると説いている。しかも、その権威の失墜は法と秩序の維持、通貨価値の保持といった国家の基本的機能において、多くの政府が明確な政策や司法的措置をとれず、失敗を繰り返しているのが原因としている。
一方、冷戦の終結と地域経済の統合は、財およびサービスの自由な移動を促進すると同時に、麻薬や武器の取引も容易にし、非国家組織の一であるマフィアのネットワーク化が進んで裏のグローバル化も急進展しているとの分析は興味深い。日本においても山口組シンジケートが1992年にはヤクザ団体の40%を傘下に収め、犯罪社会でのネットワーク形成と集中化が進んでいる点まで指摘している。
本書の特徴として、「普通の市民の認識は、国の指導者や官僚の主張よりも信頼されるべきであり、これら一般の人々の常識の方が大学で教えられている学問的な議論よりも理解の助けになる」という著者の堅い信念で貫かれている点が挙げられる。このような柔軟な発想の帰結として、著者は経済学、政治学、国際関係論といった学際を超えた実証的な「グローバル政治経済学」といった新分野を目指している。
確かに過去に国家の手にパワーが集中したのは、精々19世紀後半から20世紀にかけてのことであり、歴史的に見ればそれ自体が例外かも知れない。このような国家パワーについての歴史的な視点と、交通・通信などの発達にともなうパワーの質の変化を冷徹に分析することにより、将来のグローバル化への適切な対応が初めて可能となる。国家に多くを望むのではなく、国家を否定して市場万能に任せるのでもなく、それぞれの地域に住む人々が政治経済を動かす主役でなければならないことを、本書を通じて学ぶことができる。このような意味で本書は国家の機能を今一度考え直すチャンスを与えてくれる 。
本書は桜井公人教授ほか五名の先生方の共訳であるが、全体の統一もよく、難解な原文がよくこなされていて、抵抗感なく極めてスムーズに読める好著である。
(岩波書店・3,500円)
(広島国際大学教授 岡部陽二)
(1999年1月18日発行、時事通信社「金融財政」第9125号19ページ所収)