日おもてに空を透かせて冬もみぢ 伊佐
お彼岸の中日、3月21日の昼前、紅葉の名所として有名な京都洛北の名刹、圓光寺境内にご住職の俳句詠唱が朗々と響き渡った。昨年10月に他界した母は七十歳を過ぎてから句作を始め、亡くなる直前まで毎月投句を欠かさなかったので、残された兄妹三人で相談して、形見代わりに句碑建立を思い立ち、この日の除幕法要に漕ぎ着けたのである。
石碑の原石は、腕利きの石匠にお願いして、瀬戸大橋の西側に浮かぶ広島という小島で選りすぐって貰った青御影石の銘石である。表面は風化して茶色がかっているが、五センチほど削ると黒光りした岩肌が顕れる。高さは二米余、形も槍ヶ岳に似て、背景の緑濃い孟宗竹にもよく調和して美しい。
石碑に刻んだ冒頭の句は、母の晩年作の中から、この紅葉寺に相応しいと考えて選んだ。句碑の建立は、関係者のご理解を得てトントン拍子に進んだものの、全く無名の一市井人の句碑というのはあまり例がなく、非常識と謗られるのではと懸念もしていた。
ところが、結果的には俳句の先生方をはじめ、多くの方々からありがたいお言葉を頂き、安堵している。考えてみれば、句碑は句集の刊行とは異なって通常生前には許されず、没後に遺族や門弟が故人を偲んで建てるものであるから、残された者の気持ちだけの問題であろう。
また、石碑が建てられるのは作品ないしは作者と由緒や関係の深い場所であるが、この句碑が母の墓標からも紅葉の木々の隙間を通して池越に見通せるようにとのご住職の配慮に感謝している。除幕の翌日はめずらしく猛吹雪となって、この句碑にも薄化粧をしてくれた。
亡きははの句碑にはんなり春の雪 陽二
(広島国際大学教授 岡部陽二)