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小松康さんの「ゴールドマン・サックス(GS)への出資」戦略回想 岡部陽二

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 一昨年4月、ゴールドマン・サックス(GS) 日本でマネジング・ディレクターを務めておられました服部暢達早稲田大学客員教授から、日本企業のM&Aについての成功と失敗例のお話を伺いました。服部氏の評価では、日本企業が過去に行なった内→外M&A投資のうちで、最も成功したのは、住友銀行によるゴッタルド銀行の買収とGSへの資本参加の2件であったと結論付けておられました。「そうであったのか」と服部氏の分析に驚きました。

 ゴッタルド銀行については、1984年に総株式の52.6%を144百万ドル(336億円)で買収、1999年に944百万ドル(972億円)でスイス生命に売却、15年間の配当受取を加えると、3倍強に膨らんだとされております。

 GSについては、1986年に500百万ドル(810億円)でGS株への利益参加権の12.5%を取得、1999年のGS株ニューヨーク市場上場時には、この持ち分の時価総額が3,586百万ドルと、投資額の7倍強となりました。2001年までに分割して全株を売却しましたが、上場後の値上がりと15年間の配当収入を勘案すると、当初投資額のほぼ10倍になったとの服部氏の推計です。

 このような投資回収時の記録や総合収支の数値は住友銀行の行史などどこを探しても見当たらない実に貴重な資料です。この2件の売却益がバブルで毀損した自己資本の充実に寄与し、その後の合併時の自己資本力にもなったことは僥倖でした。当初の投資目的とは違った「瓢箪から出た駒」の賜物とは申せ、投資を決断された小松康さんの大きな遺産であったことは疑う余地のないところです。

 ゴッタルド銀行買収につきましては、私自身が強力に推進し、当時の国際本部長・樋口廣太郎さんのご理解を得て、実現したものです。この経緯につきましては、2018年8月に上梓しました自分史「国際金融人・岡部陽二の軌跡」に詳述し、私のホームページにも掲出しております。

 一方、GSとの提携時にはロンドン支店長で、この案件に直接は関わりませんでしたので、自分史には一切言及しておりません。ただ、この提携に当たっても小松康さんから終始ご相談に与り、経営会議でも2回プレゼンをさせていただいたうえ、調印式にも陪席させていただきましたので、その間の回想をご披露しておきたいと思い立った次第です。

 GSとの戦略的提携を高く評価して、1986年1月に小松康さんを前年の「バンカー・オブ・ザ・イヤー」に選んだ「ユーロマネー」誌は、 "Goldman needed capital; Sumitomo needed the international securities markets. But to bring about their alliance required a man of silk and iron--Koh Komatsu. (小松康の絹のような柔軟性と鉄の意志が、GSの資本への渇望と住友銀行の国際投資銀行業務への渇望を同時に満足させる創造的な提携が実現した)と評しております。

 このGSへの資本参加は、当時の頭取、小松康さんの先見性豊かな発想と決断の賜物でした。この提携案は、1985年当時のワインバーガーGS会長が「パートナーシップ組織の維持に固執して、株式公開に否定的ながら、業容拡大のために外部からの資金を必要としている」という情報を基に自ら構想されたものでした。そこで、資金力は豊富にあるものの、投資銀行業務を自力でグローバル展開する人財は持っていなかった住友銀行とGSがお互いに補完し合ってはどうかという提案が両者で検討され、合意に至ったものです。

 小松康さんの基本的なお考えは、要するに国際的な証券業務やM&A業務などの自行での展開は放棄して、全面的にGSに任せ、顧客のニーズはGSのサービスで充足する、というものでした。国際証券業務の放棄は行き過ぎではないかという意見も当然ありました。しかしながら、私は私自身の住友ホワイトウエルド社共同社長の経験から、当時GSと肩を並べていたホワイトウエルドが持っていたようなエキスパティーズを自前で揃えることはできないとの確信がありましたので、小松康さんの構想に全面的に賛成しました。

 行内の放棄に反対する自前重視の意見にも配慮して、GSへ繋ぐための中間組織として、当行とGSが折半出資する合弁会社をロンドンに設立、GSの日本法人にも住友が出資する、トレーニーをGSに派遣する、という案なども合意に至りました。ところが、このような業務や人材面での提携には「GS側が住友に譲歩し過ぎである」として米国のFRB(連邦準備制度理事会)が難色を示し、これらの案は実現できませんでした。資本提携と業務斡旋提携はそのまま認められました。

この事態を、当時のマスコミは「米政府の介入による提携の大幅縮減」と否定的に報じ、住友銀行史にも「FRBの認可条件によって当初の狙いからは後退することになった」と記述されております。

 表面的にはその通りですが、小松康さんに調印式で「FRBが介入してくれてよかったですね」と申し上げましたところ「そうだな」と頷いていただきましたことを今でも鮮明に憶えております。後から振り返りますと、15年後の提携解消時にこのような合弁会社などが残っていたとすれば、その処理が難航したことは想像に難くありません。

 35年前の出来事を回想して、改めて小松康さんの偉大なご功績に想いを致しております。

(2021年7月銀泉㈱発行、「銀泉」162号p51~52所収)

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