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筆谷尚弘君を偲んで 岡部陽二

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別れの歌 (ヨット部愛唱歌)

   S32年卒筆谷尚弘君 作詞作曲

1、四年の冬の めぐり来て  ああ我 友と別れゆく

  潮に風に たわむれし   すごせし良き日 遠き夢

2、勝ちて 杯酌み交わし   敗れて 泣きし友なれば

  流れる水に 船浮かべ   去り行く心 詫びしけれ

3、海の彼方は 海なれば   また会うことも いつの日か

  されど思いは 海越えて  水に結ばん 汝と我

               水に結ばん 汝と我



 平成24年8月14日に79歳で一足先に逝ってしまった筆谷尚弘君が遺してくれたこの愛唱歌は今でもヨット部で歌い継がれていると聞く。

 自ら作詞・作曲して、ウクレレを弾きながら、朗々と歌ってくれた、この歌はヨットを少しでも長く続けたいと留年を決意した昭和32年に作られた。

 琵琶湖周航歌と同様にどことなく哀愁の感傷を含んでいるものの、テンポが速く、心を沸き立たせてくれる。

 ヨット部同期で亡くなる直前まで親しくしていた親分肌の筆谷君は、音楽でも琵琶湖周航歌作詞の小口太郎と作曲者・吉田千秋を合わせたような異才の持ち主であった。

 筆谷君との出会いは昭和28年に京大ヨット部に一緒に入部した時に遡る。この年には同期4人が入部、彼と私の二人が法学部生であった。大学のキャンパスで出会うことはほとんどなかったが、シーズン中は毎月琵琶湖畔柳ヶ崎での1週間の合宿で、キャプテンの黒水恒男さんを囲んで議論を闘わせていた。

 昭和29年の8月に5日間の琵琶湖周航で青春を謳歌した時も、彼と一緒であった。

 残念ながら、私は肋膜炎を患って2年間でヨット部を退部したが、筆谷君は昭和33年に卒業して三菱商事に入社した。

 ところが、入社7年後にサラリーマンに見切りをつけて退職、昭和40年に設立された「ISS」という通訳・翻訳のサービス会社の起業に参画してすぐに社長となり、20年後には業界大手に成長させた。その間、日本翻訳連盟の会長を務めるなど業界団体での活動や異業種交流組織の運営にも精励した。

 私は昭和32年に住友銀行に入行、16年余の海外勤務を終えて平成4年末に帰国、京大ヨット部のOB会で35年ぶりに彼と再会した。たちまち碁の好敵手にもなり、当時帝国ホテルにあった囲碁クラブ「石壽会」で毎週対局、その後には銀座や赤坂をはしごして賢い呑み方を教えてくれもした。さらに、私と別れてから彼一人でもう一、二軒廻るのが常であった。






 

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