困難に直面したときに、人生の先達が逆境や不遇にどう向き合って来たのか。その困難克服法を実体験に基づいて教えてくれる「私の履歴書」執筆の先人たちが辿った様々な生き様には興味が尽きない。
前著「ビジネスは『私の履歴書』が教えてくれた」では、企業の名経営者から仕事の仕方の極意を学ぶ観点での教訓が主であった。これに対し、本著では経済人に加えて俳優や芸術家、アスリート、政治家などの全執筆者から、病やハンディキャップ、家族問題、いじめなどを含むナイナスの境遇を乗り越えて七転び八起で成功した大家の自分史が具に分析されている。
山口淑子の辿った数奇な運命や加山雄三の追い詰められた境遇からの脱出の物語などは、逆境時の身の処し方とその体験の生かし方に「労苦の雨の後にこそ、美しい虹が出る!」エピソードのさわりを読み返すだけでも、改めて深い感銘を覚える。
企業経営者でも長春ヤマト・ホテルのボーイから身を起こして、帝国ホテルの名社長となった犬丸徹三や、ゴム相場で大損を出して課長から平社員へ降格されながらも、三井物産の社長・会長に上り詰め、初の商社出身経団連副会長にもなった八尋俊邦のような例も紹介されている。
もっとも、見方を変えてみると、これらは例外中の例外であって、一般にはなかなかそうは行かない。
さらに、僻目で観察すると、日経の「私の履歴書」には1956年に連載開始来810人が登場しているが、銀行マンと証券マンは併せて24名に過ぎない。しかも、この中で本書に紹介されているのは二度の大病を克服して、野村證券の黄金時代を築き上げた北裏喜一郎だけである。
もう一人、異色の金融人であった初代大蔵省財務官で、後に東銀会長に就いた柏木雄介が採り上げられている。12歳までアメリカで過ごして、日本語の習得に苦労された。その柏木氏に日本語を叩き込まれた涙ぐましい母親のスパルタ教育の厳しさとその一途さに感じ入った。
それにしても、本書に登場する金融人の数がこのように少ないのは、優秀な人材が揃っているこの世界では、一旦挫折すると再起は難しいということであろうか。
人生の縮図とも言うべき「私の履歴書」をこのように角度を変えて分析することで、自分の人生観が深まり、生き方のヒントを数多く得られることは間違いない。
各領域で後世に名を残した人物の業績や生き様を一か月にわたり語りつくしてくれる日経のこのコラムは世界的に見ても、きわめて稀な長期連載である。読者にとっては居ながらにして、近現代を創って来た世界の経済界や政界、芸能、スポーツ界などの著名人の動きに毎日接することができるのは楽しみである。
著者の吉田勝昭氏は社会人になった2年目の昭和42年から意識してこのコラムを読み始め、半世紀にわたって登場人物についての多角的な研究・分析が氏のライフワークとなった。
登場人物の生き様分析やエピソードの引用は、着眼点がポイントを衝いており、加えて氏自身の体験などに基づく感想が正直に吐露されているので、読み応えがある。
(評者 岡部 陽二 元住友銀行専務取締役)
(2017年9月1日、外国為替貿易研究会発行「国際金融」1,300号 p75所収)