2006年4月から始められた「柳居子徒然」が10周年を迎えられ、ご同慶の至りである。私との出会いはこのブログ開設よりもさらに旧く、確か2002年の春先のことと記憶している。ちょうどこの年に設立後3年で上場を果たした京都を本拠とするベンチャー・キャピタル会社が烏丸御池にあり、その会社の社外役員を頼まれた関係で当時は御池通りのホテルに投宿していた。
ホテルに教えられて、すぐ裏手の姉小路通りにある散髪屋さんを訪ねたところ、店先に池本健一著「京都五七五あるき」という本が数冊積まれていた。店主の柳居子さんに聞けば、幼少時から親しい著者の新刊書出版を祝って紹介に努め、拡販に協力しておられるとのこと。何という奇遇か、私はちょうどこの本を読み終えて感動したばかりであった。
この本は古今の有名・無名の俳人や文人の俳句を介して名所案内を試みたユニークな発想の書で、何時まで経っても年を取らない読み応えのある京都散策の指南書である。読み進んで驚いたことに、中ほどの洛北ガイドに本書出版の4年前に亡くなった私の母の句「日おもてに空を透かせて冬もみぢ」が採り入れられていた。この句を青御影石に刻んだ句碑を紅葉で名高い私の菩提寺・圓光寺にお願いして十牛の庭の一隅に遺族が建立したのを、その直後に著者が目敏く見つけてくれたのである。著者の池本さんとは住友銀行の同じ職場で働いたこともあったが、この句碑建立の経緯はご存じではなく、名所探訪中に偶々見つけられたようである。
その後、年に数回、朝食を摂りに7時過ぎにイノダコーヒーの本店を訪ねると、必ず柳居子さんに出会した。暖簾を潜ってメインホールへ入ったところの右側の大きな丸テーブルがご近所の常連方の指定席で一見客は座れない雰囲気が漂っていた。このインナー・サークルに古株の柳居子さんのお蔭で暖かく受け入れて頂き、京大名誉教授の泉孝英先生はじめ地元の名士方とも親しくお話ができるようになった。この出会いが発展して私の友人二人を泉先生に紹介して喜ばれたりもした。
京文化の保存と発信に賭ける柳居子さんの熱い情熱は半端ではない。2007年には米国に住む曽原三友紀監督がプロデュースした「はんなり」と題したドキュメンタリー映画が完成した。祇園や先斗町で生きる芸妓さんたちの日常を活写し、花街文化を支える人たちの心意気を映像化した傑作である。表向きは曽原監督の作品であるが、この映画の企画から完成までを実質的に取り仕切ってきたのは柳居子さんである。そのご縁でこの映画を駐日大使にご披露する会に招かれたのは懐かしい思い出でとなった。
また、この年には銀行の同僚であった津村公一さんが描いた「洛陽三十三所観音霊場」の33枚の大作を姉小路の街並みを護るイベント週間に展示して貰った。洛陽三十三所は平安時代に開創された京都市内に点在する六角堂をはじめとする観音寺33ヶ所を巡る習わしで、維新時の廃仏毀釈で衰退していたが、2005年に京都観光の一つの柱として復活されたものである。この展覧会が実現したのは挙げて地元のリーダー格である柳居子さんのご尽力の賜物であった。
ところで、私が実践している健康法の一つに真向法体操がある。普及協会が設けている段位規定では実力があっても、最低3年間は毎日継続して実践していなければ昇段できない。目下6段を授与されているが、十段を頂くには、まだまだ努力を要する。
毎日5分間の真向法体操を続けるだけでも大変であるが、毎日異なった話題のブログを10年間も綴り続けてこられた柳居子さんの根気にはただただ頭が下がるばかりである。
(2016年7月1日発行「柳居子徒然を読んだ~十周年記念誌」(非売品)p3-4所収)