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EU統合への道のり

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 私が英国勤務を終え、ロンドンを離れる直前の1992年5月31日、シティーの西はずれにある聖クレメント教会の前の広場で、一寸したハプニングが起きた。英国の在郷軍人会が音頭をとってアーサー・ハリスという空軍司令官の立派な銅像を建立、皇太母を招いて除幕式を挙行した時である。この司令官は第二次世界大戦で連合軍の猛攻により広島と並ぶ大きな被害を受けたドレスデン空爆の指揮をとった将軍であったが、世間では既に全く忘れられていた存在であった。

 この寝ている子を起こすような動きに反発した反戦デモ隊が銅像にペンキを投げつけ、警官隊が出動する一寸した事件になったが、銅像の建立自体は大多数の英国人にとって格別の違和感もなく受け容れられたようである。EU統合の第一段階の完成を翌年に控えても、英国の一般大衆の意識の中には今なおドイツをやっつけた将軍を賞賛するムードが根強く残っていたからである。 

 もう一つ印象的であったのは、英仏海峡を結ぶユーロトンネルへの対応で、サッチャー首相は1981年の計画当初より国家予算は1ポンドたりともつけないという方針を打ち出し、民間が勝手にやるなら認めようという姿勢を貫いた。その結果、昨年トンネルは完成したものの事業は大赤字の上、ドーバー海峡・ロンドン間160KMがノロノロ運転のため、全長460KMのパリーロンドン間をノンストップで3時間余りもかゝっている。要するに、表向きはEU統合の推進を唱えながら、その実、英国にとって都合のよい施策のみを受け入れ、犠牲を強いられるのは一切お断りといったエゴ丸出しが本音である。 

 さらに、今年の3月20日、ドレル英保健相の「狂牛病と人間の痴呆症の一種クロイツフェルト・ヤコブ病が無関係とは断定出来ない」との議会答弁をキッカケに火のついたような大騒ぎになった狂牛病騒動でも、非は明らかに英国畜産農家と行政双方の管理の甘さ・危機意識の欠如にあるにも拘らず、EUの英国産牛肉禁輸措置に猛反発し、英国と欧州大陸諸国間の軋轢は一段と深まっている。 

 EUが独仏の強力な連携を軸に通貨統合までを視野に入れて、経済分野のみならず、外交や社会政策までを包含した単一国家に近い共同体に進むのは、独仏とベネルックス三国にとってはさほどの困難事ではなかろう。しかしながら、上述のような事情から判断して、この統合に英国やスペインなどが全面参加する時期は、一世代先の21世紀中頃まで待たざるを得まいというのが、私の独断的結論である。 

 <近況報告>

 住友銀行に36年間奉職し、その後半18年の内13年間を過ごしたロンドンは、私にとっては正に第二の故郷となった。それ故か、最近の欧州経済の停滞も気掛かりであり、EUの先行きには無関心ではおられない。いずれは暇を作って、じっくりと欧州を眺め直したいものと思っている。

 閑話休題、ロンドン在勤中はESSのOB諸兄とのお付合いも途絶え勝ちであったが、S36年卒の田邊康雄君(工学部)と五十川惟一君(経済学部)が世話役を務めてくれて、東京で既に10年続いているという三か月に一度の集まり「三水会」に極く最近になって参加させて頂いた。前回は不器用で気が短い我々熟年層に適したパソコンやインターネットの活用法などに話題が集中、結構楽しい一夕である。

(S32年法学部卒 岡部陽二、明光証券(株)会長) 

(1996年8月10日付け京都大学ESS発行、「COMET」第33号所収)







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