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<書評>ブレトンウッズの夏~サミット・1944年ブレトンウッズ交渉の舞台裏

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 リーマン・ショックの直後には「第二のブレトンウッズ体制」構築の必要性が叫ばれ、その後もIMFの機能強化と世銀の大幅増資案の協議が今も続けられている。

 本書には、1944年の7月に開かれたブレトンウッズ会議によって誕生したIMFと世界銀行設立の過程やその目的、さらにはその後の展開の模様が様々なエピソードを交えてヴィヴィッドに描かれている。主役を演じたケインズとホワイトについては、二人を対比させながら、その生涯を追っている。

 ケインズが述べているように、各国が協力して共通の目標に向かって取り組み、新しい体制を築いたブレトンウッズ会議は、歴史に残る国際協働の実現であり、固定相場制崩壊後もIMF・世銀体制が幾多の国際金危機に対応してきた意義には大きなものがあった。

 筆者は1995年の夏に会議の舞台となったマウント・ワシントン・ホテルで一泊、背後に聳えるマウント・ワシントンへもロープウェーで登った。

 ホテルの客室扉には、当時もまま各国代表団のネーム・プレートが貼られていた。三階のロビー奥の大部屋は議長となった米国のヘンリー・モーゲンソン財務長官、その真下の部屋にはケインズ夫妻が泊まっていた。

 当然、会議の立役者であった英国代表のケインズの肖像があるものと思って探したが、見当たらなかった。ケインズは最終合意の三日前に心臓発作で斃れ、英国の調印者は、駐米大使のハリファックス卿が勤めていたからである。ただ、本書を読んで、米国としてはホワイト案に最後まで修正を迫ったケインズを快くは思っていないのではなかろうかと思ってきた謎が解けたような気がした。

 余談ながら、その後、ワシントンを訪れた際に「ブレトンウッズ」というIMFと世銀のスタッフ専用のゴルフ・クラブでプレーをする機会に恵まれた。このクラブは、ワシントン中心部から車でわずか15分の至近距離にあり、ポトマック川を見下ろす広大な森の中に造られた素晴らしいコースであった。固定為替のブレトンウッズ体制は崩壊しても、米国主導のIMF・世銀体制は健在であることを実感した次第である。

(井の頭暇人、2021年2月16日、アマゾン「レビュー」欄に投稿)


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