岡部 陽二
世界の三大峡谷を筆者の独断で、グランド・キャニオン、タロコ峡谷、黒部峡谷に絞った。その選定基準は峡谷の自然の美しさと地質学的な地形の重要性を勘案しての主観的な評価の視点である。
ウキペディアでは、グランド・キャニオン、ナンビア南端のフィッシュリバー・キャニオン、南アフリカクルーガー国立公園の西側に位するブライデリバリー・キャニオンが世界の三大峡谷とされている。グランド・キャニオンのスケールは断トツで、世界遺産に登録されており、異論はないものの、後の2カ所はグランド・キャニオンの小型版であって、格別の趣はない。
世界遺産リストを通覧すると、イタリア・アルプス東部のドロミテが入っている。ドロミテは4千米級の巨大な城塞のような山塊の集まりが多くの渓谷により画され、島のようにそれぞれ孤立している。谷間は浅く、峡谷とは言えないが、氷河期に形成された奇岩の集積や湖とのコントラストの自然美が評価されたものである。
峡谷(きょうこく)と渓谷(けいこく)との使い分けは微妙な差であるが、高低差千米を超えるようなスケールが大きく峻嶮な谷を峡谷と称するのが一般的である。
タロコ峡谷はユネスコ非加盟の台湾に所在するため世界遺産には登録されていないものの、客観的に見て世界自然遺産に相応しい雄大な景観である。
日本では、黒部峡谷に加えて、新潟県十日市町の清津峡(きよつきょう)と三重県大台町の大杉谷の三つが三大渓谷とされているものの、小豆島の寒霞渓も三大渓谷の一つと自称している。ただ、黒部峡谷のスケールが断然大きく、世界遺産候補として遜色のない大峡谷である。生態系の観点を重視するあまり、白神山地や屋久島が世界遺産となって、黒部峡谷が候補にも上がらないのはどう見てもおかしい。地質学的な特色や自然美の観点からの評価を軽視する世界遺産の選考基準に異を唱えたい。
グランド・キャニオン
1968年のクリスマス休暇を利用して上司の一家と一緒に2泊3日のグランド・キャニオン観光を企てた。アメリカの車は大きいので、大人4人と子供5人の2家族計9人が1台の車に乗れた。ロサンゼルスからグランド・キャニオンまではおよそ800キロ。車で朝早く出発すると、中間地点のラスベガスで昼食休憩し、その日のうちにグランド・キャニオンのサウスリム(南壁)に着く予定であった。ところが、ラスベガスを出発した直後から大雪が降り始め、あっという間に1メートルほど積もった。道路は閉鎖され、目的地まで120キロほどを残すウイリアムズという町から先へは行けなくなった。
アリゾナ州でも冬には雪が降ると聞いてはいたが、まさか1メートルも積もって道路が一日中閉鎖されるとは予想すらしていなかった。どうしたものかと、宿の主人に相談すると、ウイリアムズの空港から往復2時間余りの4人乗りのセスナ機での遊覧飛行なら催行していると教えてくれたので、昼過ぎの遊覧飛行を予約した。
眼下の雪景色を眺めながらゆっくりと飛んで、グランド・キャニオンに着くと、高度を下げて地平よりかなり低い峡谷の割れ目の中へ這入って行った。峡谷の中を水平飛行して、今にも眼の前にはだかる赤褐色の絶壁にぶつかりそうになると、すうーっと高度を上げて、地表の上に出ていく。これを何回か繰り返してくれたスリル満点のアクロバティックな操縦のサービスには肝を潰した。
この超低空飛行はさすがにリスクが高いということで、その後禁止され、現在では遊覧飛行は地表面から300メートル以上の高度を維持するように定められている。低空飛行のセスナ機から眺める替わりに、2007年3月には新たな観光名所「スカイウォーク」がオープンした由。これは崖から約21米突き出たU字形の鉄骨でできた歩道橋で、谷底からの高さは約1,200米。鉄骨の上には強化ガラスが張られていて、谷底を覗けるそうである。
グランド・キャニオンを再訪したのは1990年の8月、エルパソでレンタカーを借りて、北米最大の洞窟カールスバッド、ホワイトサンズ、モニュメント・バレーなどを観て廻った後に立ち寄った。この時は好天に恵まれ、サウスリムの展望台辺りから全景がよく見えたが、セスナ機から至近距離で観た印象が強く残っていたため、感動は薄かった。
平面地図で見たグランド・キャニオンは、多くの手足を持った蛇のような姿をしている。全長は446キロ、幅は最大26キロ。最深部の標高差は最大1,830米に達し、支流には名もない小さな峡谷も多い。地表面は海抜2,000米くらいのところにあり、真夏でも朝夕は涼しい。
崖をじっくりと眺めると、先カンブリア時代からの地層の重なりを目の当たりにでき、絶壁に露出した地層は、北米大陸の20億年にわたる地質史の貴重な資料となっている。地球の歴史を秘めているその雄大な景観から、米国初期の国立公園の一つに指定され、1979年には世界自然遺産に登録された。
「山高ければ、谷深し」「人生、山あり、谷あり」などと謂われているように、通常谷は山と対で認識されている。ところが、グランド・キャニオンに山はない。見渡す限り平らな高原が裂けてできた谷で、まさに巨大な地球の割れ目である。
また、峡谷は谷底から上を見上げて観賞するのが、普通である。グランド・キャニオンであれば、コロラド川をトレッキングで遡上して下から観た景観の方が素晴らしいのでなかろうかと想像するが、それには数日を要し限られた登山家しか行けない。99%以上の観光客が谷の上から眺めると言うのも、ほかの峡谷とは逆である。
しかし、他の峡谷と同様にグランド・キャニオンもコロラド高原がコロラド川の浸食作用によって削り出された谷である。その起源は今から7,000万年前、この一帯の広い地域が地殻変動により2,000米ほど隆起したことに始まる。約4,000万年前にコロラド川による浸食が始まり、現在見られるような峡谷になったのは、約200万年前とされている。そして今もなお、浸食は続いており、水成岩の下にあるおよそ20億年前の原始生命誕生時の地層をも浸食している。最近の降雨量はサウスリムで年間380ミリ米、最深部では年間200ミリ米となっており、さほど多くはない。
グランド・キャニオンの浸食がいつ始まったのか、東と西の峡谷は同時に形成されたのかそれとも時期を隔て出現したのか、などの点に関しての議論はいまだに続いているが、この浸食地形は、地球上で最も完全な地質柱状図の一つである。
地層の多くは、原初期の北米大陸の辺縁部で海進と海退が繰り返されたことにより、砂が堆積してできた砂岩である。地表の隆起がコロラド川とその支流の勾配を急峻化し、氷河期の気象条件もコロラド川流域の水量を増加させたものと推測されている。
グランド・キャニオンはそのスケールの大きさと崖がほぼ垂直に切り立っていると見える景観もさることながら、峡谷を形成する横縞の入った赤褐色の岩肌が見ものである。どんより曇っていたり日が沈んで暗くなったりすると黒灰色に見えるが、直射日光が当ると赤褐色に輝く。夕暮れ時にはとりわけ美しい。
断崖の地層は真横に水平に見えるところもあるが、斜めの線がはっきりと見られるところも多い。これは「斜交層理砂岩」と呼ばれているもので、水流または風により移動する砂粒が流れの方向に傾斜して堆積する現象である。サワラ砂漠などの砂丘構造に似ている。砂丘の砂が岩石になるには,砂粒を固めるセメント材が必要であり、砂岩に含まれているココニノ石(Coconinoite)と呼ばれる鉱物がその役割を担っている。ココニノ石は鉄やアルミニュームとウランが燐やケイ素と一緒に酸化して固結したもので、砂岩が赤褐色を呈するのもこの鉱物の色に因る。
グランド・キャニオンがコロラド川の侵食作用で削り出されたことは明らかである。しかしながら、公園のビジター・センターには「この大峡谷は旧約聖書の『創世記』に出てくるノアの方舟が引き起こした大洪水によって創られた」と説明している本が展示されている。浸食のスピードは目には見えないので、川の流れによる長年月をかけての浸食作用でできたと信じるには、断絶的な想像力を働かせなければならない。「ノアの方舟」説を科学的根拠のない荒唐無稽な異説と退けるのは簡単であるが、このような宗教的な迷信が入りこむほどにこの峡谷のスケールが大きいということであろう。
タロコ峡谷
タロコ峡谷へは1972年7月と1998年5月に2回訪れた。最初は台湾への出張のついでに同僚と二人で足を伸ばした。台北から国内線で花蓮空港まで飛んで、空港からは車で約30分と近い。日帰りの予定であったが、台風の接近で帰途の国内便が欠航となった。やむなくタクシーで戻ることにしたところ、東海岸を通る最短ルートをとって10時間ほど掛かり、翌朝にやっと台北に辿り着いた。
台湾の東海岸は、海に面したタロコ峡谷同様の垂直に切り立った絶壁であり、道路はその断崖の海面から200米ほどのところを刳り抜いて造成されていた。道幅は狭く、2時間ごとに通行方向を変える一方通行で、物資の輸送を優先してタクシーは通行禁止であったので、やむなく台北へ行くトラックに便乗させてもらった。この台湾東岸は絶景としても有名なところであるが、海側にガードレールもなく、風景を楽しむどころではなかった。
その後、台湾一周旅行の途次、バスで立ち寄った1998年には台中と結ぶ道路の整備も進み、花蓮でアミ族の踊りを観たり、大理石工場を見学したりして、ゆっくりと楽しめた。
タロコ峡谷は日本統治時代の1937年12月に「次高タロコ国立公園」としてかなり広い地域が日本の国立公園に指定された。戦前に発行された国立公園の記念切手8種の中にも入っている。1986年11月にはタロコ峡谷のみの総面積9万2000ヘクタールを分離して「太魯閣国家公園」と命名された。「タロコ」の地名は流域の台湾原住民タロコ族の言葉で「連なる山の峰」を指すとも、高名な頭目の名に由来するとも言われている。
タロコ峡谷は標高3,886米の雪山(旧次高山)など3千米級の高山が連なる中央山脈を貫いて花蓮と台中を結ぶ全長194キロの横貫公路のうち、花蓮側のゲートから天祥までの22.6キロを指し、奇岩怪石と水の美しさゆえ、台湾最大の景勝地として観光客から人気を集めている。
中央山脈を源とする立霧渓沿いの1960年に開通した公路は最も幅が広い所でも自動車がやっとすれ違えるほどだが、地盤が硬い上に台風や地震も多く、工事は難航を極めたという。なかでも最大の難工事となった九曲洞の崖には、「如腸之廻、如河之曲、人定勝天、開此奇局(腸のごとく廻り、河のごとく曲がるも、人必ずや天に勝ち、この奇局を開く)」と刻まれている。九曲洞はタロコ峡谷でもっとも素晴らしい景観が見られる場所である。
この峡谷は中央山脈から太平洋へと流れる立霧渓の急流が、気の遠くなるような時間をかけて大理石の岩肌を削って作り上げたものである。なかでも見どころは、東西横貫公路ゲートから約13キロの間、高さ600米の大絶壁が1,200米にわたって続く錐麗大断崖と呼ばれる区間である。あまりのスケールの大きさに到底一枚の写真に納まりきらない。
下から見上げると、川の両岸から張り出している岸壁が内側にそり反っていて、断崖に囲まれた空の隙間が台湾の形見える場所もある。また、岩壁に多くの小さな洞穴があり、そこに無数のツバメが巣を作っている燕子口と名付けられた岩場や慈母橋と名付けられた赤い総大理石造りの橋などもビュー・ポイントとなっている。
台湾は約2億年前には熱帯であり、有孔虫、サンゴ、石灰藻などが1,000米以上の厚さに堆積した。そのサンゴ礁が地殻変動による高温高圧によって再結晶化し、250万年くらい前の第三紀には変成岩の結晶石灰岩(大理石)や片麻岩になった。その後、約4万年前に海底下の大きなプレートの衝突により、海底が海抜4,000米まで急峻に隆起して台湾島が形成されたものと推定されている。台湾北東部の地形は非常に険しく、地域全体の面積の半分が55度以上の勾配となっている。
石灰岩の岩盤は通例中国の桂林やベトナムのハロン湾で見られるようなお椀を伏せたようなカルスト地形を形成する。これに対し、タロコ峡谷は生成時によほど高温高圧で固められた硬い岩盤が、その後数万年の時間をかけて流れる急流によって岩肌が垂直に削られてできた奇跡的な地形である。
黒部峡谷
黒部峡谷は過去60年間に数回訪れた。最初の黒部峡谷探訪は、1954年8月、大学一年生の時に洛北高校で化学を教わった先生に引率されて10人ほどのグループでテントを担いで立山に登った帰途であった。京都から夜行列車で早朝に富山に着いて富山地方鉄道に乗り換え、終点の粟巣野から日本一の落差350米を誇る称名滝を眺めながら、かなりの急勾配を徒歩で攀じ登った。美女平を経て弥陀ヶ原で一泊。翌日、室堂から立山山頂をきわめ、黒部峡谷の鐘釣温泉に降りて一泊した。
鐘釣温泉は黒部川の河原に天然の岩洞でできた露天風呂で、左岸の岩壁の奥から滾々と湧き出している熱湯を二坪足らずの天然石の浴槽に導く。岩を枕に月を眺めながら透明な湯に浸かった。
当時の立山登山はテントを担いでの自炊で最低3日は掛った。現在は、鉄道が立山駅まで延伸、立山駅ではケーブルカーと接続し、バスに乗り継いで日帰りもできる立山黒部アルペンルートの始点となっている。
鐘釣からは、ダム工事用のトロッコ列車に関西電力の好意で乗せて貰えた。このトロッコは鐘釣の少し奥の欅平から宇奈月まで黒部峡谷の断崖を縫って20.1キロを1時間15分かけてゆっくりと走った。もっとも、当時は工事用の車両に便宜一般客も乗せてくれたもので、落石などの事故も多かったため、乗車券や駅の立て看板には「命は保障しません」と明記されていた。1971年以降は、関電の子会社が黒部峡谷鉄道として運行する快適な観光列車が走っている。
このトロッコ列車からの眺めも素晴らしいが、黒部峡谷の美しさの真髄は欅平からさらに上流の黒部ダムとの間の光景である。この上流地域を見物するには関電が直営しているダム保全用の6.5キロの「高熱隧道」で知られる「上部軌道鉄道」に乗せて貰わなければならない。この路線は全区間ほとんどがトンネルながら、谷を跨ぐ鉄橋上に設けられた途中停車の仙人谷駅からの眺めは格別である。
この鉄道は1996年から見学客を一日30名に限って6月中旬から10月末までの間だけ受け入れるようになり、ネットで申し込める。ただし、富山県人優先で、一般抽選の競争倍率は3~4倍に達するので、なかなか思うようには行けない。幸い、関電に勤めていた洛北高校の友人のお陰で、同期生20人ほどのグループで2006年5月にこの上部軌道鉄道に乗せてもらえた。
黒部峡谷は、北アルプス(飛騨山脈)のほぼ中央の鷲羽岳に源を発し、長さ86キロ米、標高差3,000米を流れ下る黒部川の上・中流域を指す。峡谷は、立山・剱岳・薬師岳などの立山連峰と、白馬岳・五竜岳・鹿島槍ヶ岳などの後立山連峰の間に、黒部川の浸食によって深く刻み込まれて形成されたものであり、八千八谷といわれる多くの渓流を合わせながら、切り立った深いV字型の大峡谷に集約されている。
黒部峡谷流域の平均斜度は36度と勾配が強く、30度~45度の部分が全体の70%にも及ぶ。また、流域が豪雪地帯に位置するため四季を通じて黒部川の水量が多く、また河川勾配が平均1/40と急で、流れも速い。1934年に中部山岳国立公園に指定された。
立山・後立山の両山脈がこのように東西に対峙していることから、北アルプスはきわめて変化に富んだ景観を呈している。中央アルプスの木曾駒ヶ岳山脈も大部分が花崗岩から成り、高さや大きさも北アルプスに劣るところはないものの、こちらは変化に乏しい景観となっている。黒部川は120キロにわたって両岸ともに断崖と絶壁が連続する典型的な峡流をなしている点が特徴であって、これに比肩しうる峡流の川は日本には類例がなく、世界でも珍しい。
この立山・後立山の二大山脈を構成する岩石は、主として古生代の水成岩を貫いて噴出した花崗岩類である。大別すれば、立山山脈は角閃花崗岩から成っており、後立山山脈は黒雲母花崗岩から成っている。一部では、流紋岩に似た角閃小紋岩が岩脈状をなして花崗岩の間に貫入している。
三大峡谷の選定基準を主観的な自然美と地質学的重要性の視点としたが、それぞれの峡谷を形成する岩石がグランド・キャニオンは砂岩(水成岩)、タロコ峡谷は石灰岩(変成岩)、黒部峡谷は花崗岩類(火成岩)と典型的な3種の岩石に分かれた。これはまったくの偶然であり、自然の妙を感じる。
このように振り返って見ると、三大峡谷への旅は観光とは言え、結構スリリングな経験を重ねてきた点が共通している。峻嶮な地形の峡谷美を堪能するには、火山や洞窟と同様に、多少のリスクをとらねば満足感も得られないということのようである。
(元住友銀行専務取締役、元明光証券代表取締役会長)
(2015年6月20日、東証ペンクラブ発行「ペン2015」p73~82所収)