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ウインストン・チャーチル(Winston Churchill)~英国切手の魅力シリーズ90~


 ウィンストン・チャーチル生誕150周年を記念した8枚の記念切手が2024年11月30日に発行された。

 各切手には、英国史上最も偉大な指導者の一人であった彼の生涯における重要な瞬間で撮影された写真が選ばれた。その写真に、彼の膨大な著作から厳選された引用文を組み合わせた趣向となっており、チャーチルの永続的な遺産に対する優雅な賛辞となっている。

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①左上、1899年、 ‟I have mostly acted in politics as I felt I wanted to act"「私は政治において、自分がしたいと思った通りに行動してきた」彼の政治経歴は最初から波瀾万丈で、2 度所属する政党を変えている。額面;2nd

②左下、1895年、軽騎兵の軍服を着たチャーチル。彼は常に自分の運命に自信を持っていた。‟I have faith in my star...that I am intended to do something in the world."「私は自分の星を信じています...私は世界で何かを成し遂げる運命にあると」額面;2nd

③右上、1940 年、チャーチル一等兵とバートラム・ラムゼー海軍中将とを撮影したもの。ドイツの侵略に直面したチャーチルは国民を鼓舞した。‟We shall fight on the beaches"「我々は海岸で戦うつもりだ」額面;1st

④右下、1943 年、戦時中の「勝利のVサイン」はチャーチルのトレード・マークであった。‟You ask what is our aim? I can answer in one word. It is victory"「我々の目的は何かと聞かれるが、一言で答えられる。それは勝利であ。」



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⑤左上、1946 年、フロリダ州マイアミ・ビーチでリラックスして絵を描いている姿。‟ We may content outselves with a joy ride in a paint-box" 「絵の具箱で楽しくドライブするだけで満足できるかもしれません」額面;£1.00

⑥左下、1941年にロンドンで妻のクレメンタインと撮った写真。‟I Married and lived happily ever afterwards "「私は結婚し、その後ずっと幸せに暮らしました」と、チャーチルは記している。

⑦右上、1941 年、彼は読書家で、著述家であった。‟The greatest tie of all is language. Words are the only things that last forever."「最も偉大な絆は言語です。言葉だけが永遠に残るものです」と書き残している。額面;2nd

⑧右下、晩年のチャーチル、自身の業績を振り返り、チャーチルは、この国はライオンの心を持っており、‟ I had the luck to be called upon to give the roar"「私は雄叫びを上げるよう求められる幸運に恵まれた」と語っている。額面;£2.00

 チャーチルは20世紀で最も象徴的な人物の一人で、ブルドッグのようなしかめ面といつもくわえていた葉巻ですぐに認識でき、自信と雄弁さで有名であった。

 彼は1874年11月30日、オックスフォードシャーのブレナム宮殿で生まれた。祖父はマールバラ公爵、父親は著名な国会議員、母親はアメリカ人実業家の娘であった。

 イギリス軍に従軍し、インドとスーダンで勤務し、第二次ボーア戦争の際には従軍記者、捕虜、そして有名な脱走兵として活躍した。

 1900年に国会議員に選出され、1904年に保守党から自由党に移り、1908年に閣僚となり、第一次世界大戦前と大戦中に商務大臣、内務大臣、海軍大臣を務めた。

 ダーダネルス海峡作戦を主張したために職を失った後、西部戦線で大隊指揮官として短期間務めた。

 保守党に戻った後、1924年に財務大臣に任命されたが、1929年から1939年は彼にとって「荒野の時代」であり、大臣職を離れながらナチスドイツの危険性について警告し続けた。

 1939年に第二次世界大戦が勃発した時には内閣に戻っており、ヨーロッパの大部分がドイツに侵略されていた1940年の危機のさなかに首相に任命された。

 英国民を勝利に向けて奮い立たせて戦い続けた後、ファシズムに対抗すべく米国の参戦実現に尽力し、最終的に戦争に勝利した。

 チャーチルは1945年の総選挙で敗北したが、1951年から55年まで再び首相に復帰した。1953年に6巻からなる第二次世界大戦の回想録でノーベル文学賞を受賞し、1965年に死去した後は国葬が行われた。

 1974年にチャーチル生誕100年を記念して発行された記念切手4枚を下に掲げる。

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 筆者がロンドン在勤中には、チャーチルが生まれたブレナム宮殿(本シリーズ42)に加え、チャーチル博物館・内閣戦時執務室(Churchill Museum and Cabinet War Rooms)とチャーチルが晩年を過ごしたケント州にあるチャートウェル・ハウスをしばしば訪れた。

 Cabinet War Roomsは、第二次世界大戦中に英国政府が戦争遂行の指揮統制のために設けた地下複合施設。ダウニング街10番地近くの大蔵省地下に設けられていた。チャーチルはこの地下壕で起居し、戦闘の指揮を執った。

 この地下施設は、1984年に環境省管理下で一般公開された。2005年にはチャーチルの生涯に関する展示部門を併設する拡張が行われて、改めて博物館として公開されている。ここでは、迫力満点のアジテーターであったチャーチルの肉声を録音で聞くことができる。

 チャートウェル・ハウスは、「イングランドの庭」と呼ばれるケント州ののどかで緑豊かな地域にあるカントリー・ハウスで、チャーチルが1922年に購入し、晩年まで過ごした終の棲家である。チャーチル没後の1966年からナショナル・トラストの管理下で一般公開されている。







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