英国の名宰相8傑を選んだ記念切手"Prime Ministers"が2014年10月に発行された。8人の首相の肖像は写真や肖像画に最小限の加工が施されている。異なった向きの目の高さを揃え、頭部をカットしたうえ、背景は灰色がかった緑色に統一されている。この色は英国下院のベンチの色である。
ウイリアム・ピット(小ピット)からマーガレット・サッチャーまで19~20世紀に英国を指導した8人の名宰相の選定は興味深い。対象は連合王国成立前の18世紀は省いて故人に限った34名の首相の中から特に傑出した人物として8名に絞られた。選定基準は明らかにされていないものの、ロイヤル・メール(英国郵政)はこの顔触れで英国人のコンセンサスを得られると考えたのであろう。
英国の首相の数はこの200年間で34人であるから、一人の在任期間の平均は6年弱となっている。わが国では1885年に初代首相となった伊藤博文から安倍首相まで130年間に62人の首相が誕生している。この平均在任期間2年強と比べると、じつに3倍の開きがある。英国のグラッドストーン首相は60年間下院議員を続け、4回にわたり計12年半首相を務めた。サッチャー首相の在任11年6ヶ月、チャーチル首相の8年8ヶ月に対し、わが国では桂太郎首相の7年9ヶ月が最長である。
下段の4宰相はなじみが薄いが、William Pitt the Youngerは1783年に弱冠24歳で英国最年少の首相となり、1806年に47歳で没するまで20年余にわたり、フランス革命やナポレオンとの戦いに忙殺される一方、トーリー党を再生させて英国に二大政党政治の土台を築いた。Charles Greyは長きにわたって野党であったホイッグ党の政権獲得に尽くし、選挙法の大改革など多くの自由主義的な政治改革を成し遂げた。Robert Peelは保守党の政治家ながら農業保護の穀物法を廃止して自由貿易の推進する一方、銀行条例を制定して銀行券の発行権限をイングランド銀行に集中させた。
8人の名宰相のなかでもことさら傑出していたのはWilliam Gradstone(1809~1898年)と目されている。生涯を通じて敬虔なイングランド国教会の信徒で、キリスト教の精神を政治に反映させることを目指した。彼は「政府が持つ金は少なければ少ないほどよい」という「小さな政府」の信奉者で、自由党党首として大衆の自助を目指す自由主義者であった。毎日14時間は働くといった勤勉さで、4回目の首相を81歳から84歳まで勤め、88歳で亡くなった。声に深みがあり、演説の調子も変化に富む雄弁家であった。
上段の4宰相のうち、第二次世界大戦で国民を鼓舞して英国を勝利に導いたWinston Churchillとイギリス病と言われた慢性不況に喘いでいた英国経済立て直しの救世主として国内外から高い評価を受けたMargaret Thtacherの選定は当然として、他の労働党首相二人については違和感もある。
Clement Attleeは労働党初の首相として戦後復興を推進し基幹産業の国有化と「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる社会保障制度を確立した。Harold Wilsonは13年ぶりの労働党勝利で1964年に政権をとり、1974年にも再度首相に帰り咲いた。この間18歳以上の男女に選挙権を与え、英国のEEC残留を国民投票により決定した。ただ、戦後の英国では保守党と労働党が交互に政権の座につき、一方が火をつけて他方が水を掛けるといった相矛盾する政策が採られたことが経済低迷の根因となった点は否めない。
筆者の評価では、労働党の政治家の中では1997年から10年間首相を務めたTony Blairが卓越している。21世紀の政治家ということで、8傑に入らなかったのは残念である。ブレア首相はサッチャー政権の競争重視の自由化政策を踏襲する一方で、サービスの質が低下した医療・教育や地方自治などでの弊害除去を図る「第三の道」路線をとった。バランス感覚に優れ、実行力に富み、永年の懸案であった北アイルランド問題を解決した功績は大きい。