日おもてに空を透かせて冬もみぢ 岡部伊佐
杉苔に生まれしごとぐ沙羅落花
叱る子のやさしさおもふ花菜漬
岡部伊佐著『冬もみぢ』より三句
第一句。 京都の東北部、詩仙堂にほど近い高みに静かにたたずむ圓光寺。耳を澄ませば水琴窟が妙なるメロディを奏でる美しい庭に、選りすぐりの青御影石の句碑が建つ。「日おもて」は日のあたる側、ひなた。冬紅葉の向うに、空気の澄んだ冬晴の青い空か見える。秋ではなく、冬の紅葉を詠んだところが手柄。清澄な作品である。
第二句。 沙羅の花が落ちる様や、真白な沙羅の花が緑の苔に落ちている光景は誰もが詠んでいる。しかし、落ドした花が、苔に生まれたようだと詠んだ例は、おそらくないのではなかろうか。沙羅の落花のはかなさは誰もが思うが、その落花に、再度、生命を与えた人はいないと思う。なんと優しいお心であろうか。
第三句。当句の主体について、二様に読んだ。ひとつは、作者のお子さんが作者を叱っているシーン。ここには、親を思う故にこそ「叱って」くれている[子のやさしさ]に感謝される作者がある。もうひとつは、作者のお子さんがその子(作者の孫)を叱っているのを作者が見ているシーン。この場合も、子(孫)が憎くて叱っているのではなく、むしろ可愛くて、よかれと思って叱っていることが分っている。心に染みる佳吟である。
「花菜漬」はあぶらなの花になる前の蕾を茎や葉と一緒に糠味噌で浅く付けてつくり、料理の付け合わせや茶漬に用いるもので、当句の句意によぐ適っている。
作者は岡部陽二氏(元住友銀行専務)の亡きご母堂様で、句集を同氏から頂戴した。俳句は七十三歳頃から始められたというから、ただただ脱帽するしかない。
(2016年7月20日発行、池本健一著『俳句つれづれ』「秀句鑑賞」p179所収)