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父・岡部利良(1905.4.7~1991.11.27)は1945年5月に当時勤めていた建国大学助教授のまま、第2国民兵として応召し、満州国第84部隊に入隊した。
同年8月の敗戦に伴い、当時のソ連軍の捕虜となってシベリアに抑留されて1年半にわたる俘虜収容所での生活を余儀なくされた。1947年5月に帰還、同年10月には京都大学への復職を果たした。
イルクーツク州の第7収容所はバイカル湖よりも西に位置し、そこからナホトカへの移動に1か月以上を要している。日本への帰国は、1947年5月27日、ナホトカから引揚船・永禄丸で舞鶴に上陸している。
この旧ソ連からの引揚業務を担ってきた舞鶴引揚援護局跡地を見下ろす丘陵に、最後に引揚から30年目の1988年に舞鶴市の主導で「舞鶴引揚記念館」が開設された。この記念館へは日本全国から引揚げと抑留に関する様々な資料が寄せられ、本格的な専門館となって多くの来訪者を迎えている。
この記念館が収蔵する文書などが「舞鶴への生還1945-1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」として、2014年10月にユネスコの世界記憶遺産への登録が決定された。
妹二人が昨年この記念館を訪れて得た情報から、厚生労働省社会・援護局の援護・業務課調査資料室が保存しているロシア連邦政府から提供された父・岡部利良に関する資料写しを同省から入手してくれた。
この資料のPDFファイルを閲覧に供したい。このファイルの構成は、次のとおりとなっている。
1、 p1~5;旧ソ連内務省作成の身上調査書と日本語訳
2、 p6~11;同上個人資料とその部分訳
3、 p12~15;同上抑留者登録カード2枚とその日本語訳
4、 p16;1945年12月から1947年4月まで収容されていたイルクーツク州第7収容所の所在地地図
5、 p17;厚生労働省社会・援護局の援護・業務課調査資料室からの送付状