句集 三味線草
伊佐
序
京都のさわらび句会に出るようになって、はじめて岡部伊佐さんを知った。ご婦人の多い句会であるから、歳などはきかないことにしているが、岡部さんは、何人ものお孫さんに囲まれておられるようなお歳とお見受けするし、一見、小柄でよわよわしそうな風情であるから、とても俳句などと、それも世間ではむつかしいと言われている南風の俳句を続けられるかどうか、正直言ってすこし不安であった。
しかし、句会で何度か顔を合わせ、作品を拝見していると、よわよわしそうに見えるが、京都の水で育った京女の粋と芯の強さを感じるようになった。例えば、次の一句を見る。
時の日や肩叩かれてゐるやうな 伊佐
時の日は言うまでもなく、六月十日の時の記念日のこと。定まったのが大正九年からというからもう七十年の暦史を持つ記念日、日本人に定着した記念日である。その日、伊佐さんは、「肩叩かれてゐるやうな」と感じたという。勿論現実に肩を叩かれたのではない。俗にいう、「停年の肩叩き」「退職勧奨の肩叩き」など伊佐さんには経験がない、時の日の思いが、時の日の声をそのように聞いたのである。そこに人生の停年の声を聞いた。このようなことは、いつも真剣に自身の歳を見つめていてこそ聞こえてくるものであり、しっかりと人生の声をうけとめる心構え、強さがあってこそ聞きとめることができる。更に、その強さを「肩叩かれてゐるやうな」とさりげなくやわらかく包みこんだ表現をとっている。ここに至って、優しくて芯の強い京都の女性を見る思いがするのである。
今回、句集「三味線草」を刊行するということで、原稿を拝見した。前掲のような年輪の重さを感じさせる句とともに、俳句の基礎である堅実な自然観照の句を見ることができる。
広葉の露大まはりして落ちにけり
穂すすきに昼月かろく出でにけり
冬うらら林の中に径ありぬ
石に還る仏おはしぬ著莪の花
いずれも微細に自然のあり方を見つめ、自然の息づかいをおのが息づかいとして捉えている。このような適確な自然の把握があってこそ、ひろい世界に出てゆけるのである。
伊佐さんは、御主人は京都大学、龍谷大学で経済学、経営学を講ぜられ、御子息は優秀な銀行員としてロンドンはじめ諸外国に長く勤務されているという。娘さんもそれぞれ嫁がれ幸せな結婚生活を続けられ、その幸せにおぼれないで、俳句により自己を鍛え自己をみつめておられることが偉いと思う。
愉しさうな顔になりたりしゃぼん玉
深ねむりなき身のつかれ明易し
冬すみれ癒えつつ老いを深うせり
子と話す時の濃くなる牡丹雪
満開の花の庭より出る柩
これらの句を見ると、しゃぼん玉を見て愉しそうな顔をしている伊佐さんのさびしさ深ねむりのない、熟睡のできない歎きのつかれ、病気が治ってゆきながらも、老いの実感を深めてゆく人生の坂、子と話する時のたのしい、貴重な時間の実感、満開の花の庭から柩の出てゆくという、西行の死を思うようなはるけさ。そのとき、そのときの伊佐さんのこころが、しみじみと伝わってくる。これが生きる証そのものである。
伊佐さんは俳句をはじめたのは、小松倫子さんに誘われさわらび句会に入ってからというから、八年間の短期間である。短歌をすこしやった経験があるやに伺ったが、それにしても短期間の俳句の勉強が以上のような句を生んだということはおどろくばかりである。いま、俳句は興隆の時代という。しかし、全盛のかげに俳句の低迷も言われる。それは、おけいこ事のような俳句が氾濫しているからではなかろうか。しっかりと自然を観照し、そしてそれぞれの人生を確実に生きてゆく足跡を残してゆくのであれば、俳句はいよいよ多彩であり、豊かなものになろう。句はいよいよ多彩であり、豊かなものになろう。
岡部伊佐さんの句業は、華美、豪華なものではないかもしれないが、堅確に自然の美をとらえ、着実に自身の生命の充実と賛歌を詠いあげるものであろう。句集の刊行を祝し、益々の御自愛と御加餐を祈る次第である。
平成三年七月二十二日
山崎 秋穂
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三味線草
三味線草摘みゐる頬のゆるびけり
三味線草跼む手もとに風の来て
山里に風一陣の花吹雪
茹であがる匂ひほのかに淡竹かな
梅雨晴れの水かげろふや句の集ひ
水かげろふ樹を這ひのぼる薄暑かな
はね閉じて甕の鈴虫鳴き休む
敗戦日女盛りを無為に過ぎ
今更に嘆く視力や星月夜
うめもどき大きく揺れて枝に鵯
機窓より列島へだつ雪の富士
白樺の片側凍てて風渡る
休みなき加茂の流れや年惜む
叔母逝きて寒月下弦黄の色に
雪中の強き羽音や鵯翔ちぬ
土に敷く木瓜の紅花旅戻り
障子紙匂ふばかりや春日満
青みどろ水路の館濡らし生ふ
カンタータ子と興じゐる春の宵
子に蹤きてピレネー越えや朝霞
ゴンドラに歌声ありて風光る
眼の下に光る浪あり海猫渡る
真白なる胸毛を吹かれ岩の海猫
音たててパン食む鯉や山笑ふ
糠漬の茄子の手塩に母の貌
つくづくと屈背にまとふ絽の小紋
葉桜の日陰ほどよき野菜売り
死後のこと脳裡よぎりて土用干し
雨風のひととき荒れて秋立てる
新涼や中天澄める杉木立
たちまちに大木の葉躍る驟雨かな
池水に彩を映して百日紅
落栗を拾ひあつめてひとりごと
赤とんぼ竹の穂先にみじろがず
柿の葉の石にかさりと落ちし音
野菊など活けてひとりの昼のとき
青栗の少し口あけ入日光
手に温き骨箱なりし時雨雲
立ち枯れてなほ晩菊に色のこる
翔つ鳥の鏡にうつる初明り
若者の礼ぎこちなき初詣
指先に春日のぬくみ菜を洗ふ
短日や庭師こゑなく機敏なり
春日吸ふ石さまざまの造形美
つかの間に稜線消えてかすみたつ
枯芭蕉切ればしくしく水にじむ
若きらと話はづめり春こたつ
紅木瓜のさかる日和の気うつかな
紫を点すひろがりかきつばた
母の忌や疾風の中の白き梅
それぞれの石に貌あり磯の春
杉木立浮びてゐたる春の靄
僧の経ときどき憩む春障子
詣で来し頬のゆるびにかきつばた
はしり梅雨とろ火まもりて煮ものかな
夏木立下葉の動く小ぬかあめ
音荒き雹に寡黙の口ひらく
青春のありあり顕つや雲の峰
絮のごと合歓の花ちる雨あがり
朝日さす坂すたすたと盆の僧
半酔の夫ききとどむ初ちちろ
青空に嵌る一房さるすべり
澄む水に遠き彼の日を呼びもどす
茶屋町の手摺かくして秋すだれ
新涼や木立の影の池にゆる
雨脚にさからってゐる式部の実
落葉焚木偶のごとくに火を見据え
肩先に夫の歳や冬隣
つまづきて人に見らるる草の花
さはやかに木の間の透ける杉木立
散りつづく花に静けさ金木犀
十五夜の杉の梢に見えかくれ
木枯しの庭に狼藉杉落葉
暁の日に積雪のひろがれり
雪もよひ暗さひきづり昏れにけり
ひき蛙しじまをぬひて声放つ
灌木にかくれ咲きをりエビネラン
しずけさや焚きし枯菊にほひたつ
一本の光るすすきにたじろぎぬ
放たれてつかの間舞ひぬ散りもみぢ
足うらに深き音して落葉径
参道の人の輪つくる大焚火
川岸の草につららや瀧しぶき
苔の上寒の日のさす山の寺
満月に木立の浮ぶ寒さかな
人の名を忽と忘るる冬かすみ
ベットより手鏡に見る春の雪
安静のベットに眩し春日ざし
カルテ繰る医師の饒舌春寒し
いづこへや春一番のすずめどち
退院の土に一歩や風光る
予後を生く身の重たさや木瓜の花
咲ききって午後を気だるく遅桜
枝伐って透る日ざしの若楓
さへずりのひとしきりあり雨上る
老い夫の黙深むなり青葉木莬
明滅の闇やはらかき蛍かな
梅雨寒や熱きみそ汁すすりをり
食細き齢となりし薄暑かな
亡き母の夢の覚めぎは初しぐれ
騒音を断つ街路樹の蝉しぐれ
どの顔も口もとゆるび揚げ花火
造成の土に一本夏水仙
家の灯に人動きゐぬ処暑の風
あじさゐの彩を残して立枯るる
若きらのどっと座につき秋暑し
棒紅のころがってゐる秋の風
木犀の昼の休みの土建工
高々と杉まっすぐや鰯雲
足袋裏の真白き尼僧秋うらら
ビードロの花瓶買ひたり菊日和
墓石に母の声あり木の葉落つ
ゆっくりと壁這ひのぼる冬の蜂
木守柿動かず風の吹きわたる
咳に覚め雨音をきく夜長かな
万両のうつむく紅に朝日さす
さうさうと鯉よみがへる雪解水
さうさうと鯉よみがへる雪解水
胸裡を奔る音して春一番
春の雪疾風に散りて消え失せぬ
うぐひすの一声虚空くれそむる
啓蟄の地に焚く杉葉音激し
いつの間に石の濡れゐる春の雨
降る雨に艶めきゐたり梅の白
空の透く大気のかろさ若葉どき
初蝶のおぼつかなくも風にのる
ためらひの足を踏み出す花吹雪
走り梅雨古家具捨てて気落ちたる
藤かかるしづけさの中羽音あり
板の間に蹠ひんやり夏隣
天突いて老に眩しき松の蕊
杉の秀に月茫々と梅雨の入
あゆ料理運ばれている古館
雨あとの杉に風あり更衣
大杉の揺れざま見えて男梅雨
松の秀にのこる雨霧夕ひぐらし
無遠慮に鴉啼きたて梅雨曇り
短夜やひとさわぎして雀たつ
漬茄子の紫紺の冴えや今朝の秋
風落ちて真昼けだるくさるすべり
杉木立啼き移る影処暑の朝
つかの間の山雨のあとのこぼれ萩
秋しぐれせかせかと日の昏れにけり
あら草の衰へきざす秋の蝉
秋入日木立に透ける炎かな
紅や朝戸繰りたるうめもどき
咲きそろふ菊に日暮れて雨となる
時雨来てすいと消えたり小さき蝶
深閑とさざんか仰ぎ詩仙堂
ふぞろひの石段もどる日の短か
ものわすれゆるされてゐる霜の声
夜の波のかぶさってくる去年今年
内も外もしづまり果てぬ大旦
一徹の夫のやはらぐ温め酒
川べりに風をあつめて山眠る
大空に日のみなぎりて春寒し
錆色に杉の実美しき谷住い
躍動の季じっくりと寒の鯉
手回りのほとりを拭ふ弥生かな
老梅のわずかに咲ける花の白
あをあをと木賊は雪をとどめざる
水つかふ身のやはらかき桃の昼
日翳ればすいと沈みし花の色
まなかひをひとひらよぎりちるさくら
きそひあひ餌欲る鯉の五月かな
万緑の聖堂に満つアヴェマリヤ
晴れの日のドレス良く映え花氷
大タオルからりと乾く梅雨晴間
さりげなく色もつ齢かすみ草
戻り梅雨山崩す水おそろしき
ひまはりや娘の肩の大鞄
問ひしことだけをはきはき今年竹
俄雨やんで炎暑のもどりけり
装ひは少なき白髪洗ふなり
木瓜の実をつるりと濡らし日照雨
ゆらゆらと鯉あきらかに今朝の秋
杖つきて足のもつれる炎天下
しずけさを纏ひ花ちる金木犀
高空に雲流れゐて臭木の実
出でがての香に木犀の花仰ぐ
杉の闇窓にせまりて神無月
山茶花の色ありありと日暮どき
冬うらら林の中に径ありぬ
忽として火の玉没ひぬ冬入日
茶の花やこもるくらしの話下手
せせらぎの冴えて靄たつ高瀬川
冬靄に火の色親し常夜灯
冬鳥の羽音かすかに昼しづか
老いてゆく日々大切に寒すみれ
ほのぼのと花なき庭の冬至柚子
澄み切って緋鯉の美しき雪解水
かたまって庭を明るく福寿草
唐突にまじかの初音二三声
春場所やいくさのあとの歳迅し
子の帰り待つ間濃くなる夕桜
陽炎に鯉のうごきのほしいまま
ゆきずりにうぐひす餅を購ひぬ
石に還る仏おはしぬ著莪の花
沢一面まぎれなき色かきつばた
杉林の幹のゆさりぬ青あらし
滴りを目で追ひゐたり鎮まりぬ
若き日の大連遠しリラの花
声を呑む素早き落花夏椿
愉しさうな顔になりたりしゃぼん玉
万緑や屈背のあゆみままならず
選挙カーの声遠のきて梅雨ふかし
深ねむりなき身のつかれ明易し
ながらへしことに影おく敗戦日
ちちははをいまにおきみる盆の風
処暑の日のましろに照りし草の丈
露の日の莢やはらかきささげ摘む
真夜いまも孫実験の汗流す
精根のこゑともおもふ秋の蝉
茶柱のたちてさはやか風通る
咲き初めし萩に黄蝶の湧くごとく
大杉にまなざしを置く今朝の秋
秋灯下どの子も不惑越へしかな
熟柿のほしいままなる老の家
杉山はすでにまっ暗時雨ふる
癒へてたつ庭にかほりぬ金木犀
梅雨寒を言ふが慣ひや夫老いぬ
秋灯下わが書く文字のすぐゆがみ
残菊やだんまり夫と永らへり
うしなひしものの還らず冬紅葉
日のあたる枯木や支へくるる人
白雲の流れ見飽きぬ冬帽子
音もなく四日の雪の木木を消す
菰がくれつつ色いでし寒ぼたん
下町にあふるる灯ありクリスマス
ものの芽に弾める日々をひそやかに
春寒く甘酒少し仕込みたり
老い重ねかく集へるや春寒し
かたくなに八十路の夫の枯野ゆく
久濶や妹らも老いてあたたかし
声かけねば素気なきかほやすみれ草
古墓に触れゆく風や梅白し
たちこめる香りに入りぬ梅の花
透明に閑かにさくら枝ひろげ
ほのぼのと匂ひたつ粥花の冷
うぐひすの長啼き独り笑ひして
息とめて桜ふぶきの下にあり
対岸の桜日おもてくれなずむ
青葉風髪をなぶりて過ぎにけり
掃くごとくかげる心や目に青葉
照り降りに色の見えけり山の藤
しめり気を吹きさらふ風梅雨晴間
時の日や肩叩かれてゐるやうな
更衣きっぱりならぬ齢かな
梅雨さなか老いに居すわる微熱あり
広葉の露大まはりして落ちにけり
大南風にゆれぬ大杉円錐型
風にのり秋蝶きらり消えさりぬ
さはやかや鏡に老いの張りありて
躓きし床の固さや肌寒し
きはだてる靴音きき入る夜長かな
穂すすきに昼月かるく出でにけり
杉山の奥暗きまま秋に入る
しづけさや穂すすきゆれる夕茜
杖ひきて踏みしめゐたり銀杏黄葉
酸性雨とや蒼天かく澄みわたる
桜もみぢ照葉しばしのいのちかな
もの言へば苛立ち返る山椒の実
風寒の待合室の自動ドア
珈琲にパンのかぐはし鵙の朝
柚の実の五つ六つのかをりたつ
還らざる日をまざまざと古暦
肌に触る湿布替ふ子の皹の指
つがひ鳩頸うづめゐる大旦
ロンドンの子の声飛んで初電話
陽光のレモン切りたる淑気かな
冬すみれ癒へつつ老いを深うせり
初日さす茶の間の窓のシクラメン
欅の芽たちて光をまとひをり
またしても戦なす世のおぼろなる
子と話す時の濃くなる牡丹雪
落蝉の土はらひゐる子供かな
したたかに水打つ鯉や菊日和
小春日や粧ひて吾子の若返る
小鳥啼く声の遠こち山日和
ちちと啼く小鳥樹の間にさみだるる
小さき鯉土にあがりし大夕立
信頼の自宅静養母子草
しみじみと遠き世語る多喜二の忌
春寒の緋鯉ゆっくり尾を振れる
総立ちとなりて欅の光の芽
日矢はじきダイヤのごとし軒つらら
積雪に紅きはだてり落椿
満開の花の庭より出る柩
繊細に枝明らかや夕桜
ずっしりと幹に樹齢の夕桜
花なずな移りゆく世に老いの憂し
春灯のカットグラスに彩あえか
鳥の声止むこともあり日の永き
埒もなき夢追ひゐたりしゃぼん玉
踏みたれば軋む床板梅雨近し
桐のさわだちゐたり昼寝覚
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あ と が き
小松倫子さんとは、旧姓が同じということもあり、お人柄もよいので三十年以上ものおつきあい、倫子さんはお若いながら、昭和五十八年に鷲谷七菜子主宰の、「南風」支部を結成される時、入会をすすめられました。
七十歳を過ぎていたので今更とは思いながらも、近所なのと月一回というので、七十の手習いをする気になりましたが、その後体調をくずしがちで、句会にも欠席が多く、立派な指導者に恵まれながら未熟のままの八年間でした。手がこわばって字も書けない時でも、倫子さんや娘たちのおかげで「南風」に投句だけは続けられました。
昨年、急に衰弱して、自分の身のまわりのことも出来なくなったとき、今の内に句集を出してはと、俳句に無関心の子供たちがこともなげにいいだしました。いくら長年やってきたとはいっても、「南風」の末席に納まっている者が、おこがましくて、同意する気にもなれませんでした。八十歳をむかえる記念に内輪の冊子として、ささやかなものにするということで同意しました。俳句に不慣れな娘が、八年間の月々の「南風」から抜き書きしてくれて大体三百句ほどになり、幸い妹が印刷業なので、万事まかせ頼むことになりました。
自分の句を一通りみてまずおどろきました。八年間の軌跡が見えることです。弟の死、盛岡、東京、大阪在住の妹たちが集まって来てくれたこと、旅行したことなどなど、絵巻物をひろげたように思えました。近頃ものごとのあとさきがややこしくなりがちで、こんなことならもっと早くから俳句を作っておけば良かったのにとおもいました。
句集を出すからには、今一度自分なりに練り直さねばと思うのも、気の重いことのひとつでしたが、今はもうそんなことを考えずにさらけ出す気持ちです。
大変厚顔しいことと思いながらも、「南風」の会員でもあることでもあり御指導を受けている山崎秋穂先生にも事情を話して、ご了解を得ましたところ、一通り目を通して、下さいました上、身に余る序文を頂き恐縮しています。稚拙な点にはふれず、大変御懇篤な御批判いただき感謝しております。改めて厚く御礼申しあげます。
終わりになりましたが、倫子さん長年ありがとうございました。
一九九一年九月
岡部伊佐