熊野は暫く訪れていないが、20数年前は家族旅行で10度以上、10年余前は徐福の研究で5度訪れている。
海を愛し、山を愛し、熊野の大自然を愛する私は世界遺産となった今江戸時代の文人たちも歩いたという石畳の道や苔むした峠道を往時を偲びながらクラブツーリズムの案内で歩いている。全部で13峠を越えるコースで9月初めから始神峠、松本峠、大吹峠、甫母峠、馬越峠を越えた。
始神峠は紀伊長島町と海山町の境にあり長い間通る人もなく忘れられ荒れ果てていたが、この地区の「健康歩こう会」会員の熱心な整備作業で歩ける古道に甦ったとのこと。その峠道を感謝の気持ちで踏みしめ峠の上からの眺めは絶景そのもの。
松本峠は獅子岩からすぐの所に巨大な岩が現われ、これが「日本書紀」にイザナミノミコトの墓として登場する「花の窟」です。峠道の途中から七里御浜が美しく見えるビューポイントがありました。10年余前に波田須の徐福の墓を訪れた時にも七里御浜を歩いたり、花の窟で長く過したりと印象深くこの辺りは心のふるさとでもあり大好きです。
大吹峠は美しい竹林が続き、歩いているとかぐや姫が現れるのでは...なんて竹取物語に思いをはせて歩きました。
甫母峠(曽根次郎坂太郎坂)は飛鳥神社から出発し、峠からは二木島へゆっくりと下りとなり猪を防ぐ石垣が続く下り道の途中「楯ケ崎」が見え隠れする。楯を並べたような岩壁は「熊野の海金剛」と呼ばれていると講師のお話。鬼ケ城は海蝕岩の岩壁と洞窟が続き豪壮な景観であった。
馬越峠は、道の駅(海山)から出発し少し上ると急坂になり石畳が階段状に続いている。これぞ熊野古道といった趣でした。下りきったあたりの道端に徐福が秦の始皇帝の命を受けてさがし求めた不老不死の仙薬、天台烏薬の木を2本見つけ、10余年振りにめぐりあえて懐しく葉っぱをさすってきました。
この峠越えで印象に残っているのは、遠き日々が甦る峠道と飛鳥神社の楠(幹囲り11m)や尾鷲神社の夫婦の楠(確か幹囲り10m)、樹齢千年以上に神々しさを感じました。
熊野は黒潮を母に人情厚く、あくまで森林の香りがたちこめる古道や町は、千古の樹々が緑の衣をまとって「熊野よいとこ」というのが私の感懐である。
(2005年5月、「もてなしのふるさとづくり会議・人づくり部会」公募の「紀北の旅」紀行文作品、「優秀賞」受賞作品)