1. 履歴
明治38(1905)年 | 4月7日 | 北海道函館市に生まれる |
大正08(1919)年 | 3月 | 兵庫県美方郡諸寄尋常高等小学校卒業 |
大正13(1924)年 | 3月 | 高等学校入学資格試験合格 |
昭和04(1929)年 | 3月 | 第四高等学校文科乙類卒業 |
昭和04(1929)年 | 4月 | 京都帝国大学経済学部入学 |
昭和07(1932)年 | 4月 | 東洋経済新報社に入社 |
7月 | 京都帝国大学経済学部学士試験合格 | |
昭和12(1937)年 | 3月 | 東洋経済新報社依願退職 |
4月 | 京都帝国大学大学院(経済学部)入学 | |
昭和13(1938)年 | 5月 | 京都帝国大学経済学部副手 |
昭和19(1944)年 | 11月 | 京都帝国大学大学院退学 |
11月 | 建国大学助教授 | |
昭和20(1945)年 | 5月 | 応召,満洲第84部隊に入隊 |
昭和22(1947)年 | 5月 | 帰還・復員 |
10月 | 京都大学経済学部講師 | |
昭和23(1948)年 | 12月 | 京都大学助教授 |
昭和27(1952)年 | 10月 | 京都大学教授 |
昭和37(1962)年 | 3月 | 論文「企業利益の理論」により経済学博士の学位を受く |
昭和38(1963)年 | 4月 | 京都大学経済学部長(昭和39年1月まで) |
昭和44(1969)年 | 3月 | 京都大学停年退官 |
4月 | 京都大学名誉教授 | |
4月 | 龍谷大学教授 | |
9月 | 龍谷大学経営学部長(昭和45年3月まで) | |
昭和61(1986)年 | 3月 | 龍谷大学退職 |
平成3(1991)年 | 11月27日 | 逝去 |
注記:
1、明治38年4月7日; 函館市に生まれる」。当時、両親は北海道に移住していた。しかし、私が5歳の時、父が亡くなったので、母、姉弟とともに本籍地たる郷里の兵庫県美方郡西浜村諸寄(日本海側の一半能半漁村)に帰り、ここで尋常高等小学校を終え、大正9年秋、働きながら勉学する目的をもって上京した。
2、昭和5年6月; 形式的休学=実質的停学4ヵ月の処分を受ける。これは強制的に休学届を出すことを命ぜられ、これに従わなければ停学に処すると申し渡されて、やむなく休学届を出したものである。この処分は、当時治安維持法違反の嫌疑により約1ヵ月間留置場に放り込まれていたことにかかわるものであったが、大学が当時この処分の理由として示したところは、私が学生の本分を守っていあにということであり、私としては到底このような理由は肯んじえないところであったので、事実を挙げて争ったが、結局聞き入れられなかった。
2. 受賞暦
平成3(1991)年12月 正四位 旭日中授章 受章
3.学会並びに社会における活動暦
昭和25年 5月 文部省学術奨励審議会専門委員(昭和39年まで)
昭和25年 6月 奈良県商工事情調査所専門委員嘱託(26年まで)
昭和25年 6月 京都産業能率研究所嘱託(35年まで)
昭和29年 5月 京都府地方労働委員会公益委員(昭和46年11月より51年まで会長)
昭和34年 2月 京都府環境衛生適正化審議会委員(40年2月まで)
昭和39年 5月 文部省教科書用図書検定審議会調査員(40年4月まで)
昭和41年 1月 日本学術会議第七期会員(44年まで)
昭和41年 5月 日本会計研究学会常務理事
昭和44年 1月 日本学術会議第八期会員(47年まで)
4. 主な著書
昭和12(1937)年 「在支紡績業の発展とその基礎」(東洋経済新報社発行)
昭和15(1940)年 「関東州関税制度に関する調査」(大連市事業調査局刊行)
昭和23(1958)年 「中国紡績労働とその管理方法」(日本紡績協会刊行)
昭和31(1956)年 「勤労者のための会計学」(青木書店発行)
昭和31(1956)年 「現代会計講座第3巻・財務会計編」(東洋経済新報社)
平成 3(1991)年 「現代会計学批判」(森山書店発行)
平成 4(1992)年 「旧中国の紡績労働研究」(九州大学出版会発行)