今年2月に拙著『京都「五七五」あるき』が実業之日本社から出版された。約950の俳句を取り入れた、エッセー風の京都ガイドで、毎日新聞社の隔月刊俳句誌『俳句αあるふぁ』の6・7月号では「竜安寺は石庭より花が魅力、など天の邪鬼を自任するエッセーの蘊蓄もただものではない」などと紹介された。
この出版の縁で多数の方々句集を頂戴した。日頃、一般の方の多くが、専門俳人に勝るとも劣らない、すばらしい俳句を詠まれていることを痛感しているが、今回いただいた句集にも、まことに心を洗われる思いのするものが多い。ここでは、その一部をご紹介したい。
まず、佐藤美恵子著『化石の魚』から。著者は、私の属する俳句結社「笹」の幹部同人の一人で、主宰から将来を大いに嘱望されている方である。茶道、華道、琴など、日本的なものをことごとくマスターされた二児の母。この句集には、
椿咲くしじまに鋏入れにけり
の「しじまに鋏入れ」、
葛ひけば気骨ありけり明治村
の「ひけば気骨ありけり」。
夏椿こらへかねたる白きかな
の「こらへかねたる白さ」など、この作者の優れた詩才と弛みない努力の句が多い。そして、
ぜんまいの明日をめざして立ち上がる
花ミモザ溢るるごとき明日はあり
の明るさのよろしさ。また、全編に溢れる、
薔薇の花母へなぞなぞ掛けくる子
絵団扇に母から貰ふ睡りかな
凍つる夜や子の諳んずる賢治の詩
などの、わが子に対する暖かい眼差には、ほのぼのとした気分にさせられる。さらに、
菖蒲園知足の風の廻りけり
の「知足の風」が見事であり、
爽秋や正攻法に徹すべし
には、作者の生き方がきっぱりと詠まれている。季語「爽秋」が的確である。最後に、
逆光のすすき最も輝けり
は、オーソドックスなこの作者のこと、おそらく、実景そのものを詠まれたと思われるが、ともすると深読みしがちな私には、順風満帆に見える人よりも、人生の逆境にいる人が、実際には最も輝いた人生を歩んでいるのだ、という励ましにも感じられる。
次は、岡部伊佐著『冬もみぢ』。まずは、
日おもてに空を透かせて冬もみぢ
が秀逸。京都の東北部、詩仙堂にほど近い高みに静かにたたずむ圓光寺。耳を澄ませば水琴窟が妙なるメロディを奏でる美しい庭に、選りすぐりの青御影石の句碑が建つ。
「日おもて」は日のあたる側、ひなた。冬紅葉の向うに、空気の澄んだ冬晴の青い空が見える。秋ではなく、冬の紅葉を詠んだところが手柄。まことに清澄な一句である。
うちふるふ草うつくしき青嵐
は、「うちふるふ」「うつくしき」の仮名書きの巧みさが際立つ。多くの感銘句の中でも、
叱る子のやさしさおもふ花菜漬
が、私の心にもっとも染みる。親を思う故にこそ「叱って」いる「子のやさしさ」に感謝される作者。この句を舌頭に旋転させれば、作者の心がじんと染み、目頭が熱くなる。「花菜漬」の措辞の斡旋がみごとである。加えて、
杉苔に生まれしごとく沙羅落花
は驚きのほかない。沙羅の花が緑の苔に落ちている光景は誰もが詠んでいる。けれども、落下した花が、苔に生まれたようだと詠んだ例は、おそらくない。沙羅の落花のはかなさは誰もが思うが、その落花に、もう一度生命を与えた人はいないと思う。なんと、優しい心であろうか。作者は岡部陽二様(元住友銀行専務)の亡きご母堂様。ただし、私の感動は、銀行の大先輩のゆかりとは別ものである。俳句は73歳ころから始められたというから、ただただ、脱帽するしかない。
最後に、拙著に拝借した句の中から一句。
人みしりする子がくれて柿一つ 清水凡亭
嵯峨の落柿舎の近く、去来の小さな墓を囲むように、多数の現代俳人、歌人の句碑や歌碑が建つ。その中の一基である。人見知りする子が、恥ずかしそうに、そっと差し出してくれたものがある。何かと思えばひとつの柿であった。この句の表面に現れているのは子供と柿である。しかし、句に詠みこまれているのは、その柿を受け取る作者である。自分の子か、他人の子か、そんな詮索を超えた、普遍の愛がある。俳句はこんなにも深い心を、平易な言葉で詠めるということを改めて教えられる一句である。
拙著出版を機に、このような多数の佳句に出会えたことは、まことに幸せであった。
(2002年6月、㈱銀泉発行OB会誌「銀泉」所収)
『京都「五七五」あるき』著者紹介
池本健一いけもとけんいち)
1939年京都市に生まれる。
京都大学経済学部卒業後、住友銀行(京都・大阪・東京・ドイツ・シンガポール)に勤務。
学生時代から今日まで、京都・奈良の古寺をあまねく探訪。
現在、日本ニュージーランド学会会員のほか、俳人協会会員、俳句結社[笹]同人、国際俳句交流協会会員、ニュージーランド詩歌協会会員などとして、和・英の俳句を楽しむ。
自句集『佗介』、著書『ニュージーランドつて、こんなとこ』、共著『ニュージーランド入門』のほか、俳句、ニュージーランド関係の学術論文、評論、エッセイなどがある。