<書評>
岡部利良 『旧中国の紡績労働研究』
九州大学出版会,1992年 ⅹii+14+525ページ)
川 井 伸 一
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本書は,出版こそ1992年であるが,その原稿ははるか50年近く前にすでに書き終えていたという変わった経歴をもつ本である.序によれば,本書は1939年,著者の所属していた京都大学経済学部が東亜研究所から中国における経済慣行の調査を委託され,前後3回の現地出張調査を含む約3年間の文献調査を経て1943年に書き上げた研究報告である。しかし,その後の戦況の悪化,敗戦の混乱で結局印刷に付されることもなく,原稿は以後長らく著者の手元に眠ったままであった。50年近く経って,今回ほぼ原形のままで印刷・出版するに至った主な動機は,著者によれば,「私のおこなった中国の紡績労働の調査には中国の――ことにその経済,企業経営の歴史などの研究あるいはさらに視野を拡げていえば,問題によっては社会主義建設後の中国の理解の仕方などに何ほどかでも役立ててもらえるところがあるのではないかと思い」(ⅹページ)ついたことにある。従って,本書は最近発表されたとはいえ,研究業蹟としては戦前のそれに属するものである。
本書の目次構成は次のとおりである。
第一章 中国紡績業の位地・後進性―一中国紡績業の概観
第二章 中国の紡績労働者の構成―一その諸特質
第三章 中国の女子紡績労働者創出過程の特質一―華中型・華北型の根拠
第四章 雇用方法一―募集・採用および雇用契約の方法
第五章 労働管理組織
第六章 労働条件
第七章 労働状況・労働管理の方法
第八章 生活状態
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本書は、中国の近代的綿紡績業における労働の実態状況を上述の各側面から検証し,その後進性・中国的特殊性を明らかにするとともに,その因ってきたる根拠・原因を考察している。本書の主張の第一は,中国紡績業労働の後進性(非合理性,未成熟性)を強調していることである。著者はこの点を全編にわたり極めて豊富な事実をあげて繰り返し,かつ冷徹に指摘している。主張の第二は,中国紡績業労働の後進性は直接には紡績労働者および経営管理者の後進性に影響されているが,さらにその基本的原因を中国紡績業の後進性・未発達性,つまり資本主義的産業経営としての未成熟性(例えば,地主商業的資本,伝統的農村経済との未分離,近代合理的知識の欠如など)に求めていることである。ただし,この原因分析では第三章の女子紡績労働者創出の制約条件に対する検討に本書の特色が見られるものの,それ以外では極めて概略的な指摘にとどまっている。
本書の分析方法は基本的にはマルクスの歴史社会発展,産業資本と産業労働者の形成および両者の矛盾・対立についての議論が下敷きになっているように思われる。この点では,戦前日本の多くの中国経済研究者がそうであったように,著者もマルクス主義の影響を強く受けている。従って,分析においても歴史の発展,とくに資本主義的発展や近代化の基準を西欧,特にイギリスに求め,それとの対比,距離において中国の後進性や特殊性を見ようとする傾向が強くみられる.しかも著者は当面する中国の紡績業労働の後進性を強調しつつも,それを単に固定的に把握するのではなく,比較歴史的に捉えている。つまり,1930年代当時の中国紡績業労働がかかえる後進姓は,工業先進国である西欧諸国が資本主義初期において抱えた後進性と直接関連しているとするのである(452,454ページ)。いわば今日の中国はかつての西欧なのである。従って,著者は,中国紡績業労働の後進性の基本原因である資本主義の未熟性の克服=近代化努力の過程に応じて,その後進性が改善される可能性を論理的には認めているようである(311-312ページ)。もっとも,著者は中国紡績業労働の現状分析に徹していて,その将来の行方については禁欲的で明示的には語っていない。
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以下,本書に対する感想をいくつか述べてみたい。第一に,本書は戦前の中国紡績労働状況に対する極めて詳細な事実調査報告書であり,本書の価値はまずこの徹底した事実調査にあろう。しかし,本書は,当時の他の多くの調査と同様に,時代環境の制約を強く受けざるをえなかったと思われる。本書が執筆されたのは日中戦争,太平洋戦争の渦中である。いうまでもなく,日中戦争の最中において中国の経済慣行調査が半官半民の研究機関である東亜研究所によって企画された目的には,日本の戦争遂行および占領政策に関わる部分があったであろう。また紡績業労働の調査においても中国資本紡績に対比して日本資本である在華紡に対する批判的見解を表明することには多少とも抑制がはたらいたであろう。特に戦争下の中国資本紡績の労働調査には多大の制約が存在したと考えられる。そのためであろうか,本書は日中戦争下の中国資本紡績の労働に関しては注でわずかに補足的に言及しているにすぎない。日中戦争や日本の中国占領支配が中国紡績労働にいかなる影響を及ぼしたのかについては,本書でも断片的に言及されてはいる。例えば,男工主義であった華北における女子紡績労働者の増大(137ページ),賃金の急激な上昇(382ページ)などである。しかし,全体的にみると,その点の言及は例外的である。従って本書は,その序で述べていること(すなわち,日中戦争終結以前を対象)とはやや異なり,基本的には日中戦争時期(1937-45)の中国紡績労働を対象としておらず,日中戦争開始以前のそれを対象にしたものといえよう。事実,本書で参照または引用されている文献は,中国側,日本側を問わず,ほとんど1937年以前に刊行されたものである。本書が,中国紡績業さらには近代産業の後進性の原因として日本を含む帝国主義列強の中国進出と植民地的支配について特に立ち入って言及していないのも,時代の制約であろう。
第二に,本書は前述のように,先進性一後進性,近代性一非近代性の判断基準を近代資本主義の歴史発展水準に置いているが,この一元的な歴史発展論に基づく結果,本書では中国の後進性と中国的特殊性(中国的なもの)があまり区別されずに混同して使われている所があるように見受けられる。それは例えば,「中国的な後進的な特質」(349ページ),中国の「後進的な特殊性」(373ページ)などの表現に特にそのような印象を受ける。しかし,資本主義の歴史的発展における中国の後進性(タテの比較)と同時代の国際比較における中国的特殊性(ヨコの比較)とは別の観念であろう。確かに本書でも,日本や欧米の紡績業との比較に基づいて中国紡績業の特殊性を明らかにしている箇所はある。とくに,中国における中国資本,イギリス資本,日本資本のそれぞれの紡績労働についての比較検討は注目すべきものがある。しかし,他方で何の比較論証もなく中国的特殊性や中国的特質が語られている場合も少なくない。その場合,恐らく,著者の脳裏には同時代の西欧または日本の紡績業との対比が暗黙に想定されていたのかもしれない。しかし,中国的特殊性として語られる多くの具体的事実(例えば常時比較的多くの欠勤者が存在することなど)は,いったいそれが中国紡績業の特殊性なのかどうか読者には判然としない。なぜなら,他の諸国との比較検討がなされていないからである。
実は,このような問題は決して本書だけの問題ではない。戦前から,日本の多くの中国研究者とくに歴史研究者になかには,中国的特殊性なり特質なりを比較検討を加えないままに主張する傾向が多少ともあったように思われる。例えば,戦前の中華民国時期では中国の後進的な特殊性が主張され,また新中国の社会主義時期(特に文革期以前)では中国社会主義の革命的先進的な特殊性が主張された。しかし,いずれにしても中国以外の国と十分比較検討したうえでの話ではなく,いわば中国だけをみて中国の特殊性を語るようなところがあった。
第三に,本書は以上のような課題を残しつつも,社会主義建設後の中国,さらに改革開放を進める今日の中国の企業社会に対する理解に,大いに参考となるものがあるように思われる。例えば,現在の中国の企業経営,とくに雇用・労務管理などには,本書で示されたと同じような事実が少なからず見いだせるのである。例えば,人的関係の強さ,縁故採用,冗職の乱設,労働の無規律,怠惰,無責任,不当利得の収受,農民の都市への出稼ぎ労働,そして児童労働と労働者斡旋人の出現などである。そのような現象面において,今日の中国と本書が明らかにした戦前の中国とのあいだにはかなりの共通性,類似性が見いだされる。ただし,同じような現象でも現在と昔とでその機能や意味あいが同じかどうかは別個に十分検討する必要がある。筆者は,一大変革期にある今日の中国企業社会のありようを歴史比較の視点から再検討することが極めて重要な研究課題となっていると考えている。そのような歴史的比較の検討を進めるうえでも,本書は興味深い素材を数多く提供しており,その意味でも本書の刊行は貴重である。[川井伸一]
(1994年10月一橋大学大学経済研究所編集・岩波書店発行、「経済研究」第45巻第4号 377~378頁所収、筆者は愛知大学経営学部・同大学院経営学研究科教授)