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シティーに必要な三つのCITY

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 1970年代の後半から前後二回にわたり通算13年間をロンドンで過ごした私にとって、歴史の重みに裏打ちされたシティーの自由闊達な雰囲気には、まことに印象深いものが残っている。 

 18年前にロンドンへ赴任した当時は、ユーロダラー華やかなりし時代で「ユーロ」と名付ければ何でもできるといった、自由な空気に大きな喜びを感じた。この自由なシティーでも、アラブ系銀行の倒産をはじめとする不幸な事故が相次いだこともあって、次第に規制が強化され、最近では大変に仕事がしにくい状況になってきたことは否めない。この間、地場のマーチャントバンクが中心となって当局の規制強化に反対して、自由なシティーを守る運動を展開してきたので、私もその一員として及ばずながら活動に参画してきた。このキャンペーンのテーマとして私なりに考え出した「三つのCITY」は手前味噌ながら好評を博し、英蘭銀行からこのアイデアを総裁のスピーチに使わせてほしいという申し出を受けたりもした。 

 「三つのCITY」とはいずれも語尾にCITYがくっついているCAPACITY・SIMPLICITY・VIVACITYで、シティーが国際金融の中心地として発展するにはこの三つの資質が不可欠であることを力説した次第である。 

 まず、第一のキャパシティーでは、何でも飲み込んでしまう大きな包容力の大切さを訴えた。ひところ日英間で、日本側が東証会員権の開放を渋った事態に英国側が反発して、ロンドンに支店開設を希望していた地銀への営業許可をなかなか下ろさなかった期間が何年か続いた。日本側の頑な態度は論外であるが、英国側のとった了見の狭い対応はシティーの自殺行為にほかならない。RECIPROCITY(相互主義)にもCITYがついているが、これはまさにシティーの敵である。 

 二つ目のシンプリシティー、簡単明瞭であることはマーケットの効率性を高めるのに不可欠な要素である。英国では1979年に為替管理法を全廃して、その部局に勤めていた数百人を一斉に解雇したり、ビッグバンと称して一挙に手数料自由化を実現したりしたなどの努力は認められるが、一方ではリスク管理のための対当局報告が膨大な量に上るなど当局の監督は年々強化され、複雑な手続きが日常茶飯事となってきている。COMPLEXITY(複雑さ)もシティーの大敵である。 

 三つ目のヴィヴァシティー、すなわち活力はイノベーションの源泉となる自由闊達な創造力の存在である。70年代には毎年いくつかの新商品がシティーで開発されていた。1977年4月には、当時私が社長を務めていた住友ファイナンスインターナショナル社で、世界初の変動利付CDを開発、これをロンドンタイムズが「SUMITOMO PIONEER FLOATING CD」と大きく報じてくれたのも、つい昨日の出来事のような気がする。しかしながら、この開発面でも80年代に入ってからはニューヨークにお株を奪われてしまい、スワップとかオプションといったデリバティブ商品はすべて米国産のものをシティーが輸入しているのが実状である。この面でのシティーの奮起を促したい。 

 翻って、一昨年日本に帰ってみると、東京市場の規制だらけの不自由さにいまさらながら驚かずにいられない。年間1,000億㌦を超える黒字が問題化しているにかかわらず、為替管理法が厳然として存在している。国内の規制を回避するために、発行体・投資家ともに日本に存在するのに、起債はロンドンで行われるなど枚挙にいとまがない。日本でも三つのCITYを提唱できるような日がくることを望むこと切である。{筆者は明光証券代表取締役会長=京都府出身・59歳} 

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(1994年1月28日付発行「ニッキン」東西ペンリレー欄所収)

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