元広島国際大学教授 岡部陽二
日本の現状と問題点
三井物産は2011年4月、マレーシアの国営投資会社カザナ・ナショナルの傘下の企業で大手病院などを経営している持ち株会社IHHヘルスケアの株式30%を取得すると発表した。取得価格は33億リンギット(924億円)三井物産はなぜマレーシアに投資し、日本では投資をしないのか。それは、投資できる対象の株式会社病院が日本には存在しないからである。
(上)で解説した通り世界の情勢は急激に変化し、かつては公的病院が主であったドイツでは、株式会社病院が1/3を占めるまでに急増し、米国でも株式会社病院がシェアを拡大している。アジアなど新興諸国では株式会社病院が主体であり、今や病院の株式会社化が世界の潮流となっている。
一方、わが国では1948年に導入された株式会社の参入規制が65年を経てもそのまま残り、病院市場での自由競争は否定され、既得権益が強く保護されている。この岩盤規制の撤廃は、なぜかアベノミクスの「成長戦略」でも議論されていないが、世界で急増している株式会社病院が全面的に認められなければ、わが国の医療は競争力を失って衰退するしかないだろう。
メディカル・ツーリズムが急拡大―アジア
アジアの医療産業規模は約80兆円(1012年)と推定され、年率10%程度の高成長を続けている。中でも来訪外国人患者の診療を主体とする医療ツーリズム市場が急拡大している。医療ツーリズムの世界市場規模は約10兆円(12年)と推計されているが、これは観光収入などを含む総額であり、アジアの病院の医業収入に限定すると2兆円程度の規模かと推測される。
アジアのメディカル・ツーリズム市場では、図1に掲げた大手11社を含む30社強の上場病院企業が総売上の過半を占めているとみられる。東南アジアの病院は株式会社が一般的であって、メディカル・ツーリズムに特化している大手の総合病院はほぼ例外なく株式を地場の証券市場に上場している。
メディカル・ツーリズムで来訪する年間外国人患者数(2008年)は、タイ60万人、シンガポール55万人、マレーシア40万人、インド20万人で、この4ヵ国でアジアでの患者受入総数の90%以上を占めている。これらのアジア諸国は、外貨獲得などを目的として、2000年代前半より国策として、税控除や外国人患者誘致専門機関の設置など医療ツーリズム推進のための諸施策を幅広く実施している(日本政策投資銀行「今月のトピックス」12年3月22日)。
マレーシアを本拠としてアジア各地に病院網を展開する最大手のIHHは、シンガポール最大のパークウェイ病院グループを傘下に収めたマレーシアの投資会社が設立、2012年7月にクアラランプールとシンガポールで上場された。13年には株式時価総額が1兆円を超えて、米国最大のHCAホールディングス㈱に次ぐ時価総額第世界第2位の上場株式会社病院になった。
11年5月には三井物産が924億円を投じて、IHH株式の30%(最終的には26.6%)を取得。IHHはこれらの新規資金を得て、トルコのアシバデム病院やインドのアポロ病院にも資本参加し、さらに中国、ベトナム、ブルネイにも医療拠点を展開している。IHHを率いるリム・チョクペン社長はパークウェイ病院で内科・心臓病の専門医を勤めていた医師である。
タイ国内とカンボジアに33病院を所有するタイ最大の病院グループであるバンコク・ドゥシット・メディカル・サービシス(BGH)は1991年に上場を果たし、アジアにおけるメディカル・ツーリズムの雄と目されている。
インドのフォーティス・ヘルスケア、アポロの両株式会社病院グループもメディカル・ツーリズムに注力して急成長を続けている。4,000人の医師を抱えるアポロ病院グループは年間心臓手術件数55,000件、成功率99.6%と公表しており、心臓手術では世界五指に入るものと評価されている。
医療法人が2/3―日本
(上)で述べた通り、ドイツと南アフリカ、米国、そしてアジア諸国の医療市場における営利(株式会社)病院の伸長は明白であり、これらの諸国では民間の資金が株式病院の事業展開に有効に活用され、医療のサービス産業化を通じて競争力を高めている。
一方、世界中で株式会社による病院経営を原則として認めない国は、筆者の知る限り、医師が病院経営をも支配しているわが国と韓国だけである。もっとも、韓国ではサムソンや現代といった財閥企業が自社の従業員福祉とは関係なく、一般の患者を対象とした非営利病院を運営するための寄付を優遇するなどの政策で大企業の病院への資金投入を行なっている。
わが国の病院所有形態を概観すると、図2に示した通り「医療法人」が全体の2/3を占め、公的病院が19.2%、個人所有その他が13.4%で、株式会社は0.7%にすぎない。
戦前には、わが国にも株式会社立の病院が存在していた。ところが、1948年に制定された医療法が営利目的の病院設立を禁止したため、新規の株式会社設立はできなくなった。その結果、それ以前から存在した大企業が企業内の厚生施設として運営していた少数の病院が現在も株式会社病院として存続しているに過ぎない。大企業も社内に病院部門を抱える必要性は薄れたので、株式会社立は02年には61病院に減少、その後郵政病院14病院が株式会社立にカウントされたものの、これを除くと現在は48病院に減少している。残存する株式会社立病院も病院経営を主たる業務とするところは少なく、従業員のための福利厚生目的が主であるため、多くは営利事業とはなっていない。
病院全体の3分の2を占める医療法人の問題の一つは、「出資持ち分」のない法人への転換が遅れていることである。
まず、を医療法人には財団と社団があるが、大多数は社団法人である。この社団法人には「出資持分のある法人」と「出資持分のない法人」が存在し、「持分のある法人」が86.5%を占めている(12年10月時点)。出資持分とは、その医療法人出資した者が出資額に応じて持つ財産権のことを指す。
そもそも、1950年の医療法改正により創設された「医療法」には、持分放棄などの公益法人並みに高い公益性は要求されず、ただ営利を目的とすべきでないという倫理観から「剰余金の配当禁止」のみが規定されている。この点、財団を原則とする社会福祉法人や学校法人よりも規制が緩い。さらに、「持分のある法人」については、株式会社と同様に持分の譲渡が可能で、社員資格喪失時には持分の払戻し請求も認められている。払戻請求権の範囲についても明確な規定は存在せず、譲渡益への課税は当然のことと解されている。相続時にも相続税賦課の対象となっており、実体的には持分譲渡は株式譲渡と何ら異なるところがない。しかし、形としてはあくまで医療法人であり、株式会社ではない。こうした中途半端な形の「持分のある法人」がかなり高い比率で存在しているのが大きな問題である。
ここについては、医療法人の非営利性を徹底して医業を安定的に継続させる観点から、07年の医療法改正で「持分のある法人」の新設は認められなくなり、既存の法人も「持分のない法人」への転換が勧奨されている。しかしながら、一定期限内に転換を強制する政策はとられていないため、転換は一向に進んでいない。「持分のない法人」への移行には、単に持分を放棄するとこも可能であるものの、税制面での優遇や業務範囲の拡大といったメリットを享受できる「特定医療法人」か「社会医療法人」への移行が一般的である。この2法人形態へ移行した病院数は図2に掲げた通り537法人と、いまだに医療法人病院の1割弱を占めるにすぎない。
このように配当禁止以外に非営利性を担保する仕組みのない「持分のある法人」は、非営利の「社会医療法人」か、営利の株式会社への即時転換を強制すべきと筆者は考える。
医療法人をめぐるもう一つの問題は、多くの医療法人が併設しているサービス・マネジメント株式会社の存在である。医療法人とは別に株式会社を設立し、医療機材などの購買や関連サービスの委託などを行なうことにより、この会社に利益を落とし、配当が禁止されている医療法人に代わって、出資者一族がこのダミー会社から配当その他の名目で利益を吸い上げる仕組みである。例えば、今回、前東京都知事資金提供で問題となった医療法人「徳州会」グループは株式会社「徳州会」(社長は徳田理事長の息女、06年の年商642億円)を設立し、さらに「インターナショナル・ホスピタル・サービス」(HIS)という不動産管理や医療機器販売の仲介を業とする株式会社を一族で所有している。能宗克行元事務総長はHISから3,000万円を着服した容疑で逮捕された。今回の資金提供がこれらの会社を経由したものであるかどうかは明かではないものの、政治資金についてもグループ病院とのパイプ役として十分に機能し得る組織である。
医療法人に株式会社を併設して医療法人病院の利益を吸い上げ、一族に配分する仕組みは、医療業界の常識であって、徳州会だけの問題ではない。このような配当禁止の抜け道は、医療法人の出資者による関連事業の株式会社設立を全面的に禁止するか、医療法人の株式会社化により解決すべきである。
株式会社解禁へ向けて
この株式会社参入禁止の岩盤規制を改めるべく、02年12月には当時の経済財政諮問会議が株式会社病院を全面的に解禁すべきとの答申を行った。この答申は、「多様化する消費者・生活者ニーズに対応していくためには、株式会社と言う経営形態の有するメリット(①資金調達の円滑化・多様化、②多様な患者ニーズに敏感に対応する経営の近代化・効率化、③投資家からの厳格なチェック)に着目し、これらの(医療・教育)分野についても株式会社の参入を認め、多様な経営主体を市場参加・競争させるべきである。これにより、質の良いサービスが幅広く供給されるようになる」と明快に提言している(経済財政諮問会議提出資料「医療・教育分野等への株式会社の参入について」02年12月13日、)。
これを受けて、04年10月には、構造改革特別区域法の改正により、6種の高度な医療について特区内での株式会社病院などの開設が可能となったものの、業務範囲と地域が限られたうえに特区では公的医療保険の適用が認められないために、特区での株式会社病院設立は皆無で、株式会社の参入禁止原則は実体的には何ら変わっていない。
前述の経済財政諮問会議の提言は、株式会社参入が制限されていることによる問題点として、①多額の役員報酬や関係会社(医薬品や医療材料の販売、機器のリース、建物の賃貸等)を経由した実質的な利益配当が行なわれるなど、「非営利原則」が形骸化している、②医療機関の経営状況が悪化し、情報不足など医療提供サービスに対する患者の不満も高まっている―ことを特に指摘している。
このように、株式会社形態の病院の最大のメリットは、資金調達手段の円滑化・多様化である。産業界には200兆円を超える投資先を求める余剰資金が滞留しているが、株式会社を認めない病院産業には投資できない。異業種からの資金を株式会社病院に投入すれば、病院の近代化、専門病院の機能高度化、先端医療技術の輸出産業化、外国からの患者を大量に受入れるメディカル・ツーリズム振興など、公的医療保険の枠に縛られない医療の産業化を一挙に進めることができ、まさに成長戦略の大きな柱となる。
第二のメリットは、病院の集約化、流動化である。わが国の病院数、病床数は人口比で世界一多いが、既得権化しているために、新規参入も退出も少なく、地域偏在が大きな問題となっている。これを解決するには、株式会社化することにより合併・買収を自由にして、広域経営を可能にするのが捷径である。
第三の大きなメリットは、ドイツや米国で見られるような公立病院の民営化に貢献できることである。公務員制度に縛られて効率的な経営ができない自治体病院や経営不振の大学病院などを株式会社に売却・経営委託することにより、再生できるケースはいくらでもあろう。
わが国では、医療は特殊な分野であって、ほかの一般の消費者サービスのように市場原理には馴染まないので競争を認めるべきではない、との主張が医師会を中心になされているが、これは「市場原理」に対する誤解である。市場競争は供給者の側から見れば弱肉強食となる面も否定できないものの、利用者の側からみると、供給者間で対等の競争が行なわれることにより、選択肢が広がり、利用者にとって望ましくないサービスが淘汰され、満足するサービスが増える。このようなダイナミックな高品質と効率性追求の経営がなぜ医療の分野にだけは通用しないのか、理解に苦しむところである。
従来の医療供給の仕組みは、営利企業の排除を筆頭に、病床数の規制や混合診療原則禁止による新規自由診療の抑制など、とにかく新規参入を規制するようになっている。参入規制は原則撤廃して、「倫理性の高い善意のサービスをしなければ競争により淘汰される」というリスクを病院に与える方が、仕組みとしてはるかに優れている。医療には情報の非対称性が大きいことが規制の根拠とされているが、これについては第三者機関による評価や診療情報の公開を義務付けるなどの方法で対応するのが筋である。
非営利病院にとって重要なことは、行動基準としての非営利性を担保することである。具体的には米国の病院のように法人所得税を免除する代わりに売上の30%は慈善医療に充てるべしといった条件を課すことである。株式会社にして配当をすれば、配当分だけ医療費が膨らむという理解は正しくない。配当コストは金利コストに相当する資本調達のための費用にすぎない。しかも、株式は利益が上がらなければ配当を支払う必要がないので、病院にとってはリスクフリーの資金である(2001・12、八代尚弘「規制改革と医療・介護サービス市場」)。
日本医師会は既得権にしがみついて新規の参入排除に懸命の努力を続けているが、株式会社病院の実現を心底から待ち望んでいる医師も多い。東京・八王子で北原脳神経外科病院を経営している北原茂美医師が11年1月に出版した「『病院』がトヨタを超える日」(講談社プラスアルファ新書)で説いているのは、医療の産業化である。それにはまず、病院を株式会社化して顧客が病院を選択し、病院側が経営努力することが重要であると明確に述べている。11年12月に北原医師を招いて東京大学で行なわれた講演会は、医療の市場化・産業化に期待を寄せる大勢の医学生で溢れ、熱気がこもっていた。
岡部 陽二
おかべ・ようじ 京都大法学部卒。57年㈱住友銀行入行、国際金融分野を歩み、国際金融部長、ロンドン支店長などを経て、88年、専務取締役。98年、広島国際大学医療福祉学部教授、監訳書;「消費者が動かす医療サービス市場」ほか。京都府出身。
(2014年1月9日、時事通信社発行「金融財政ビジネス」第10382号p4~8所収)