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米国医療崩壊の構図~ジャック・モーガンを殺したのは誰か?

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 「Who Killed Health Care」、タイトルからして、まことに挑発的な本書は、実際にも殺人ものミステリーのスタイルで書かれている。「ジャック・モーガンを殺したのは誰か?」という謎を解いていく物語である。ジャックは腎臓移植を待っている間に命を落としてしまった犠牲者である。「オリエント急行殺人事件」と同様に、殺人者は一人ではなく、多数の殺人者が絡んでいて、その謎を解くのは難事である。

 彼ら殺人者は五人で、医療保険会社、非営利の大病院、雇用主企業、連邦政府、それに専門家集団まで加わっている。被害者のジャック・モーガンは、カリフォルニア州を本拠とするカイザー・パーマネンテの医療保険に加入し、腎臓移植を待っていた善良な市民である。

 事件はカイザー保険に加入していた腎移植候補患者112名が、2005年中に死亡したことが明らかとなったもので、ジャック・モーガンはこの惨事の経験から合成して創りだされた典型的な医療被害者である。後日わかったことではあるが、カイザーの腎臓移植の待機リストに載っていた112名のうち、25名には移植されるべき臓器が用意されていた。ところが、実際には移植手術は一件も行われなかった。誰かが彼らを殺そうと意図したわけではなかったが、彼らが殺されたことに変わりはない。

 そこで、カイザーのどこに欠陥があったのか、このミステリーの犯人探しが始まる。カイザーは高度な先進医療を実現しようという志の高い医師たちによって創設され、この臓器移植計画自体は悪いものではなかった。それにもかかわらず、この医療システムが間違った方向へ進んだのは、マネジドケア保険が商業化し、保険会社が医師に対して医療費の節約を強要するといった、当初の意図とは反対のことが行われた故である。

 著者のレジナ・ヘルツリンガー教授は「米国の医療は、殺されて死んでしまった」と判断している。それは、自由な市場での競争原理が抑圧されて働かなくなり、本来市場の中心に位置すべきである医療消費者(患者)が、外へ追いやられて完全に疎外されてしまったからである。

 そこで、消費者が無理なく支払える価格で、高い質の医療サービスを提供するにはどうすればよいか。著者は、さきに挙げた五人の殺人者を排除して、消費者と医師との直接交渉を重視することが出発点になると考えている。これを軸に、消費者が動かす医療システムへ向けての新しい大胆な改革案を本書で提示している。それは、医療保険料を雇用主や政府から消費者の手に移し、低所得の無保険者には政府が直接補助をし、医師と患者の間に介在する中間の存在を排除して、消費者と医師にこのシステムを機能させる力を与えることである。

 米国では、一人当たり年間百万円近くの医療費を費消しており、この額はわが国の3.4倍である。このように巨額の医療費が使われているにもかかわらず、米国の医療問題となると、総人口三億人のなかで4,700万人にも達する「無保険者」の存在が指摘され、米国のような先進国では考えられない政治の無施策であると批判されている。二〇〇七年の大統領選挙では、手法は対照的ながら、オバマ・マケイン両候補ともに皆保険の実現を目指すと謳っている。

 著者のヘルツリンガー教授も、国民皆保険論者である。しかしながら、著者は、必ずしも、無保険者対策が医療システム改革の最重要課題であるとは見ていない。現に、本書の主人公であるジャック・モーガンは、カイザー・パーマネンテの医療保険に加入していながらも、死ななくても済んだのに,死んでしまったのである。

 2007年に日本で公開されたマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「シッコ」の原題は、sickから派生した米語のスラングで、「狂った」とか「病的な人や物事」を指し、米国の医療制度は狂っているということを一語で端的に示している。この映画の問題提起も無保険者の悲劇ではなく、手厚いはずの民間保険に入っていたにもかかわらず見捨てられた膨大な人々や、公的医療保険でカバーされているのに必要な治療が受けられない高齢者と低所得者が体験した真実のドラマである。問題の根源は、「米国では医療保険や医療サービスの多くが民間の営利本位の企業に任されており、保険会社と病院、それに政府や製薬会社が癒着している点にある」とムーア監督は指摘している。

 翻って、国民皆保険を誇っているわが国においても、画一的な医療費抑制政策に加えて、後期高齢者医療制度への批判など、医療・介護問題への国民の関心は一段と高まりを見せている。医療費問題の難しいところは、消費者が望む医療の質は年々高まり、それに応える医療技術も進歩しているので、医療費はGDPの伸び率をはるかに上回るスピードで拡大を続けるところにある。この財源を医療保険で賄うためには、税金を上げるか、保険料を上げるか、自己負担を上げるかしかない。これも、消費者の選択の問題であるとの認識の欠如が、問題の根底にある。

 消費者の期待を満たす方向で改革を進めるに当たって、本書が提示してくれている消費者中心の考え方は、医療関係者はもとより医療サービスを利用する個々人が心しなければならない基本ではなかろうか。

 本書は、1997年に刊行された「医療サービス市場の勝者」、2003年に刊行された「消費者が動かす医療サービス市場」に続くいわば完結編であり、ヘルツリンガー教授による三部作の掉尾を飾る医療政策論の輝ける金字塔である。

 この三部作の訳業は、銀行を退職してから十年間にわたり広島国際大学と医療経済研究機構において医療経済の研究に関わってきた私にも一仕事終えた達成感と安堵感をもたらしてくれた。

(2009年1月銀泉㈱発行「銀泉」第137号p22~23所収)

 

 

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