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訳書を語る ~ヘルツリンガーと「医療サービス市場の勝者」~

                                
 ハーバード大学経営大学院の女性教授、レジナ・E・ヘルツリンガー先生は、風貌はチャーミングで柔和ながら、とにかくエネルギッシュな行動派の先生である。一年中、講演などで全米各地を飛び回っているだけでなく、メーカーなど十数社の社外役員や医療団体の理事・アドバイザーなどを務め、夫君が立ち上げたベンチャー企業の経営にも参画している。本書はこうした現場経験から得られた100件を超すケース・スタディに基づいて構築されているだけに、実践的な政策論でありながら、ノンフィクションのように面白い。

 医療サービス市場において誰が勝者となり、敗者となるのか。その答えを得るために、マクドナルド、ウォールマート、トラクター・メーカーのジョン・ディア社などの成功要因を徹底的に分析し、失敗例についてもその原因を追及したうえで、病院など医療機関の経営もこれらの一般企業と何ら異なるものでないと説いている。事業内容や目標の絞り込みも重要ではあるが、成功の鍵は人事・訓練・施設の設計などオペレーション・システムの細部に宿るという具体的な指摘には説得力がある。

 米国の医療経済論は、医療費の高騰を抑制するために、これまで医師の裁量に委ねられてきた治療行為を医療保険機関がチェックして管理すべしとのマネジドケア論が中心で、その管理手法を高度化することに主眼が置かれてきた。これに対し、著者は、マネジドケアは「とにかくノーというダイエット」と切り捨て、マネジドケアの強化によってもたらされた医療の質の低下と管理コストの無駄の方がはるかに大きいことを実証している。医療の質の低下についても、有能な医師や医療スタッフを非難しても始まらない。問題の所在は、コントロール・システムが有効に機能していないか、多くはシステム自体の不在にあると手厳しい。

 そこで、著者は病院が「脂肪を筋肉質に変えるダイエット」を実行して、ベンチャー精神をもって得意とする専門分野に特化すべきと主張している。そうすれば、専門分野に特化した医療フォーカスト・ファクトリーと患者との直接交渉で市場原理を通じた医療の質と価格との均衡が図れると結論づけている。そのためには、病院側も患者の利便性を高める努力をしなければならないが、患者も常日頃からもっとよく勉強して賢く強くならなければならない。

 ここ一両年来、米国ではマネジドケア組織の破綻が相次ぎ、医療保険と病院とを垂直統合した試みもすべて失敗するなど、過去20年近く一世を風靡してきたマネジドケア万能論は修正を迫られ、著者のマネジドケア批判論の正しさが実証されている。政府もマネジドケアの桎梏から患者を保護するための「患者権利法」の成立を目指し、医療サービス業界でも得意分野に的を絞り込んだフォーカスト・ファクトリーの方向を目指した動きが拡大し始めている。

 わが国では、病院は公私立を問わず、すべて非営利が建前であるが、米国でも病院の9割は地方公共団体や教会・慈善団体などが所有する非営利法人である。今年1月にボストンで著者と話したところでは、医療サービスにおける非効率や無駄の多くは、この非営利性に由来するところも大きいという。たとえば、営利企業であれば10年経っても償却できず、利益の出ない高額の医療機器を購入することはまずあり得ない。ところが、非営利法人は隣の病院が導入済みで、有能な医師を確保するために必要であれば、損得を無視して購入する。非営利の下で市場原理を有効に働かせるにはどうすればよいのか、著者も頭を抱えている難しい問題のようである。

 このような次第で、本書は二年間に亙って時事問題書籍のベストセラーとなり、全米医療経営者育成協会から年間最優秀賞を得て、7万部を超えて販売部数を伸ばしている。医療サービス産業の本質は国を異にしても基本的には変わらないので、わが国の経営者・消費者も本書から多くのヒントを掴んで頂きたい。

(広島国際大学教授 岡部陽二)

(2000年7月ジュンク堂書店発行「書標~ほんのしるべ」2000年7月号4-5頁所収)

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