このほど、私の監訳でハーバード大学経営大学院レジナ・ヘルツリンガー教授著の『消費者が動かす医療サービス市場』を出版した。本書は三年前に邦訳版を出版した同じ著者の手になる『医療サービス市場の勝者』の続編として,前書の原著出版後この六年間に起こった米国医療の変貌を詳細に分析のうえ、医療サービス・システムの未来図を大胆に描いた政策提言の書となっている。日本語版は原稿段階から翻訳にとりかかった結果、米国での原著の出版に先駆けて刊行された。
本書のテーマとなっている二つの物語をかいつまんで、ご紹介したい。まずは、医療保険選びの空しさについての著者の実体験からの一部の引用である。
『他の郵便物に混じって、茶色と白のハーバード大学紋章入りの、見慣れた大きな封筒があるのを見つけ、私の心は憂鬱になった。封筒の表には「保険給付のご案内」という文字が花綱に飾られ、まるでパーティーの招待状のようであった。だが、保険給付の選択はパーティーとでは大違いであった。
封筒の中には不吉な予感を与える分厚い冊子が入っており、私の雇用主であるハーバード大学が提供する保険給付プランが並んでいた。保険給付を選ぶ作業の大半は苦にならない。作業の一部は楽しいと言ってもよい。だが、医療保険の選択では、不安と嫌悪感が私を憂鬱にした。医療保険商品には本当の意味での選択の余地がないことに、私は無力感を覚えたのである。医療保険会社と医療機関に関する情報の欠如には、あきれて物も言えない気分にさせられた。
さらに、私の望む医療給付内容や行きつけの医療機関名が含まれていないことに加えて、医療保険の価格の高さには、病気になったり転職したりしたらどうなるだろうと将来への不安を抱かずにはいられなかった。なぜ、私は医療保険についてはこれほど不満を覚えるのであろうか?』
本書には、その答えが的確に示されている。一世を風靡したマネジドケア(管理医療)というコンセプト自体、論理矛盾であるとして全面的に否定する論陣を張ってきた筆者は、マネジドケアが事実上崩壊した現状を踏まえて、医療保険にも消費者の選択肢が豊富な401k年金同様の確定拠出型を導入すべきであると熱っぽく提唱している。
もう一つは名医を素早く探せる評価システムの物語である。
『東海岸のサウスカロライナ州エイケンに住むグレゴリ-・ホワイト・スミスとスティーブン・ネイフェは、病人が自分の症状に最適の「最高の医師」を選べる仲介サービスを行なっている。そのデータベースには、同僚医師がそれぞれの分野の「ベスト」として名前を挙げた三万人以上の医師が登録されている。
この情報には、かなりの需要がある。グレッグとスティーブと知り合ったここ数年のうちに、私は誰かに会うと半ばお決まりのように、その人を彼らに紹介してきた。一人は自分の前立腺ガンの手術をしてくれる「最高の医師」を探していた友人である。別の一人は、子供の発達の遅れを心配する母親で、遺伝子相談の分野で「最高」のカウンセラーを探していた。
彼らの提供するサービスを利用した人々はたいてい、それを絶賛する。何と言っても、情報を探す過程を短縮できることはもちろんだが、それより重要なのは、病に打ちひしがれ、藁にもすがりたい時に、その人々が求めている力と決定権を与えてくれる点である。
他の多くの消費者主権の医療サービス革命家と同じく、スミスとネイフェの二人にも、人々のニーズに合わせて医療サービスの世界を構築するという並外れた才覚がある。ハーバード大学で法学を学んだ二人だが、法律よりも文筆業を選んだ。そして大いに成功し、共著のジャクソン・ポラックの伝記はピューリッツァー賞を獲得した。だが、完璧な人生というのはめったにないものである。この因習を打破する有能なコンビにも、悲劇が訪れた。グレッグ・スミスが脳腫瘍と診断された。ある高名な医師が厳かに、余命数カ月の宣告を下したのである。
スミスは甘んじて、この死の宣告を受け入れたであろうか?とんでもない。
代わりに、彼の命を救ってくれる最高の医師を懸命に探した。その途上で、あまりにも多くの最高とは言いかねる医師らに出会った。その医師らは権威を振りかざし、彼を侮辱し、虐げた。死の宣告を受けた日からおよそ二〇年も経った現在の彼のがっしりした体格と隙のない身だしなみを見れば、彼の探求が成功したことは明らかである。
「最高の医師」というコンセプトは、彼の探求の結果として生まれたものである。スミスとネイフェは自分たちが最高の医師を探す過程で忍ばねばならなかった、長く回り道だらけでお金のかかる屈辱的な苦労の数々を、病気に苦しむ他の人々が味わわずに済むように、この情報提供サービスを生み出したのである』
本書には、このような医療改革の成功や失敗の実例が豊富に紹介されており、わが国の医療システム改革に当たっても、筆者の処方箋が大いに参考となる。本書の概要は、私のホームページhttps://www.y-okabe.org/に掲出している。
(広島国際大学 教授 岡部陽二)
(2004年3月社団法人日本在外企業協会発行「月刊・グローバル経営」3月号 第270号 p34~35所収)