はじ め に
私は40年間、国際金融マンとして都市銀行の海外担当役員、そして証券会社の会長を務めるなど、これまでの人生の大半を金融・資本市場で過ごしてきた。その私が何故定年後に全くの異分野である医療経済や医療経営について大学で教鞭をとることとなったのか。それは私がこの分野についてはまったくの素人であることが、教授選考段階で新設の広島国際大学に評価されたからである。この分野は依然として、医師や厚生労働省などの医療の専門家達に任せておけばよいとの論理が支配的であるが、これを打破して医療システムを真に国民に開かれたものにするには、今後は異分野に属する医療の素人も医療政策や医療システム改革問題に関して、積極的に発言していかなければならない。このような理念で、この大学の医療福祉学部医療経営学科は構想されたのである。
この学問分野には、医療経済学会はいまだになく、医療経営学会も一昨年、一応設立はされたものの、まだまだ形だけのものに止まっている。体制的にも遅れており、この分野の研究者の層を厚くすることが喫緊の課題となっている。
大学では、「国際経営論」を担当しているが、自動車や電機業界などとは異なり、病院が海外へ進出したり、逆に海外の病院がわが国へ進出して来たりするようなことは皆無である。そこで、この講義では、わが国と欧米との医療システムの違いを、私なりに勉強して学生に教えればよかろうかと考えた。しかし、実際に教科書を探してみると、米国の病院の状況や医療システムを紹介した本は何冊かあるものの、体系的にそれらを分析したものは、わが国には存在しないことが分かった。
そのような折に、米国に永く住んでいる友人がハーバード大学経営大学院のレジナ・ヘルツリンガー教授が著した"Market‐Driven Health Care"という本を贈ってくれた。米国最大のサービス産業である医療分野で、「誰が勝者となり敗者となるのか」を豊富なケース・スタディーに基づいて分析した、まさに病院経営論の本で、米国ではビジネス書のベストセラーであった。
この本を教科書として使うべく、自ら翻訳して『医療サービス市場の勝者』と名付けた。私が『医療サービス市場の勝者』を出版した3年前には、インタネット検索で「医療サービス市場」と打ち込むと、検索結果にはこの本しか表示されなかった。「医療サービス市場」という言葉は、決して私の造語ではないが、わが国ではそれほどに医療というのはサービスではなく、市場も存在しないと考えられているわけである。
その続編として昨年翻訳したのが、同じ著者による消費者の選択肢重視と医療保険システムの改革を主に論じた『消費者が動かす医療サービス市場』("Consumer-Driven Health Care")で、この本は彼女が執筆中の原稿を取り寄せて翻訳を進めた結果、米国での原著出版に先行して、わが国で翻訳版が出版された。本日のテーマは、この題名からとっている。
この本の大きなテーマの一つは、医療における保険の役割の見直しと消費者(患者)の選択肢を増やすにはどうすればよいかという点にあるが、これをわが国の現状に当て嵌めてみると、「混合診療禁止の解禁」問題に帰着するので、本日はこの問題に絞って話を進めたい。
1)医療変革実現への道筋
さて、『消費者が動かす医療サービス市場』では、わが国とは違い、医療こそが最大のサービス市場であると認識されている米国においてすらも、それは小売などのサービス市場とは異なり、大きく歪められていると指摘されている。そもそも市場とは少しでも高く売りたい売り手と、逆に少しでも安く買いたい買い手と、対立する両者によって商品の質と価格が決まる。しかし、医療に関してはその両者ではなく、第三者である専門家集団(米国=主に民間の医療保険団体、日本=政府主導の公的保険)がサービスの質と価格を決めている。そこに「適正なサービスを適正な価格で購入できない」最大の原因がある。
しかし、10年ほど前から医療費の管理を目指した「マネジドケア」方式を強力に導入した米国では、これは医療保険団体が仕組んだ出し渋りの医療システムだとして、消費者(患者)からの反発が高まってきている。ヘルツリンガー教授は当初から、市場原理を入れた管理医療(マネジドケア)などというのは、そもそも論理矛盾であると指摘し続けていたが、その通りになってしまったわけである。
わが国では、医療費はこれまでは「出来高払い」が原則であったが、少しでも保険でカバーされる医療費を抑制しようと、現在、包括払い制度導入を大学病院などで始めている。もっとも、米国では、医師の技術料は含まないホスピタル・フィーについての一入院ごとの包括であるのに対し、わが国では両者を一括した一日ごとの包括方式をとっている。
医療には第三者の管理が必要であるとの説明として、よく言われるのが医療情報の非対称性である。医療知識について医師と患者間に大きな情報格差がある中では、市場原理に基づく平等な取引関係など成立しないというものである。これに対し、ヘルツリンガー教授は、情報の非対称性は確かにあるものの、それは何も医療に限ったものではなく、パソコンや自動車などでも同様であり、パソコンがどうして動くかなどを消費者が知らなくても、市場は効率よく成り立っていると主張している。情報の非対称性を克服するには、医師のパターナリズムに依存するのではなく、患者自らがよく勉強し、賢く強くなって、医師や病院と対等に議論できるようになることが肝要であると彼女は力説している。
もう一つの論点として、市場が有効に機能するためには、供給者(医師・病院)と医療保険団体が豊富な品揃えを行い、消費者(患者)の選択肢を増やすことが、何にもまして重要であると主張している。
2)医療システム変革の原動力
著書の中でヘルツリンガー教授は、医療保険制度を改革する担い手として、変革の原動力をまず雇用主企業に求めている。これには、わが国では雇用主企業と従業員が医療保険料を折半負担しているのに対し、米国では8割~9割を雇用主企業が負担しているという事情もある。雇用主企業が保険団体に要求して、従業員のニーズに合致した差別化された給付内容、期間、医療機関の選択、保険支払い方式などの保険商品を揃え、画一的な標準化から脱却した豊富な選択肢を設定した保険商品を提供するとともに、従業員(被保険者)の意思決定を支援する適格な情報提供を望んでいる。
また、変革の推進者としては、医療機関と医療保険団体に対して良質で低コストのサービス提供を求めている。医療機関に関しては、70年代の不振から蘇った製造業におけるフォーカスト・ファクトリーに倣って、従来の総合病院志向を捨て、ガンや心臓病などの専門医療分野に特化すべきである。産婦人科や小児科程度に過ぎなかった対象を絞った専門医療をあらゆる医療サービスに拡大した上で、異分野間や地域間での提携・組織化などに努めるべきだと述べている。一方、医療保険団体については、真に差別化された豊富な医療保険商品のラインアップが必要であるとしている。
もちろん財源の拠出者である消費者(患者)にも、セーフティー・ネットの拡大に協力するとともに、医療機関の提供するサービスが、その質に見合った価格でなければ受け入れないという変革への努力を求めている。
そして、これまで主役の座にあった政府には、客観的な監督者としての役割に徹することを望んでいる。医療機関・医療保険の評価情報の提供、非良心的な医療機関・医療保険団体の規制強化と排除などに努める、いわば証券市場におけるSEC(米国証券取引委員会)のような役割である。
病院のフォーカスト・ファクトリー化は疾病別の細分化や保険診療報酬の細分化が医師も病院も最終責任を負わない方向に進んで、その結果、全人的・総合的な治療が必要な慢性病患者には壊滅的な影響を与えかねない危惧がある。そこで、医療サービスの生産性を向上するには、供給者(医師・病院)の都合ではなく、消費者(患者)のニーズを中心に据えた医療システムへの転換が必要であると述べている。
また、医師間の意思の不疎通による医療過誤対策や、消費者が自ら検診歴・病歴を管理する意味からも、診療情報記録の一元管理システムへの転換が急務であると提唱している。
3)科学的な根拠に基づいた消費者の選択重視の医療へ
ヘルツリンガー教授は著書の中で、日本の医療システムについても分析のうえ、問題点の指摘を的確にしてくれている。それによると、日本人は健康で長寿であり、米国人に比べて肥満や糖尿病、心臓血管系疾患などの病人が少なく、国民皆保険で医療費も、GDP(国内総生産)の8%と、米国の14%に比べて低い点は評価している。
ただ、この高評価には若干の問題もある。確かに平均寿命は米国人よりも日本人の方が長いものの、100歳以上の長寿者数では、米国の方が人口比で倍近く多い。日本人の平均寿命が長いのは、ひとえに1歳未満の乳幼児死亡率が世界で一番、それも極端に低いためである。もちろん日本の医療体制が進んでいることも、一つの要因ではあろうが、米国では移民流入とともに正常な婚姻関係でなく生まれる子供が多く、そもそも医療の対象になっていない乳幼児の死亡率が高いという点は考慮されなければならない。
わが国の医療費が低い点についても、臨床的、学問的な証拠はないものの、米国人の疾病罹患率が、日本人よりも少なくとも3割程度は高いことが一つの要因であるように思われる。日本人の喫煙率は米国人に比べて約2倍であり、確かに肺炎や肺ガンでの死亡率は高いものの、米国人は肥満と飲酒による糖尿病や心臓病、高血圧症の疾病罹患率が日本人とは比べようもなく高い。これは生活習慣の問題でもあると言える。
一方、ヘルツリンガー教授は日本の医療システムの評価点だけではなく、問題点も指摘している。それらは、①長い待ち時間、短い診療時間に代表される医師・病院の顧客軽視の姿勢、②病院総数が米国の1.5倍(人口比勘案後では3倍)と多く、スケール・メリットが働かない病院規模の構造的特性、③患者1人当たりの医療従事者数の少なさ(全雇用者数に対して米国8%、日本4%)、④競争の欠如が生産性向上と顧客満足度アップを阻害している点、⑤海外で開発された新薬・新技術導入の著しい遅れなどの非効率性であり、⑥さらには硬直的な診療報酬制度が起業家のイノベーション(技術革新)意欲を阻害するゲノムやオーダーメイド医療分野での立ち遅れに繋がっている点である。それらの問題点を改善するための有効策としては、消費者への広範な選択肢の賦与と自由価格診察の拡大などを挙げている。本日のテーマである「混合診療禁止の解禁」は、この方向に向けての改革の第一歩と位置づけられる。
余談ではあるが、疾病罹患率に関連して、医療における食事療法の重要性について指摘しておきたい。病気、ことに生活習慣病を治す第一は、食事療法である。米国の先進病院では、患者への処方は、病床巡回時に医師・栄養士・薬剤師と患者本人が協議をして食事の内容までも決めている。
私自身の経験からも、海外勤務期間は健康診断の度ごとに「いつ痛風になってもおかしくない尿酸値の高さだ」と医師から忠告を受けていたが、帰国するとその数値も正常値へと下がってくる。高尿酸値は明らかに肉食と飲酒が重なった偏った食事が原因であり、これを是正すれば薬は要らない。
食事と病気の因果関係については、ちょうど100年前の日露戦争時に、陸軍では脚気で亡くなった病死の兵員数が27千人と、戦死者数を上回って問題化した。脚気の原因に関しては、それ以前から、文豪・森鴎外の森林太郎陸軍軍医総監の陸軍と、後に東京慈恵医科大学を創設する高木兼寛海軍軍医総監の海軍との間で論争が交わされていた。
高木兼寛海軍軍医総監は、脚気が多いのは白米を主食とする当時の食習慣に原因があるのではないかと考え、遠洋航海での実験結果を基に、因果関係は究明されない段階で、海軍の主食を全て麦飯かパンに替えた。そのため、海軍では日露戦争時に脚気で亡くなる兵隊がほとんどいなかったのである。
日本の医学も、明治の当初は英国人医師・ウィリアム・ウィリスの活躍もあり、英国流の臨床重視を導入しようとしたものの、江戸時代からの蘭学の影響もあり、最終的にはドイツ医学を入れることにした。ところが当時のドイツ医学は伝染病の病原菌を追求する研究重視であり、それが現在の医学部医局体制の原型となってしまった。すでにドイツでは医局組織なども廃止されているのに、日本ではいまだに厳然として存在しており、ドイツ医学の悪い面だけが現在でも残っていると揶揄されたりもしている。
その中で、英国流の臨床重視、いまで言う「科学的な根拠に基づいた医療」(EBM、"Evidence Based Medicine")を重視した医療を実践したのが高木兼寛であった。彼は英国に4年間留学、研究論文も英語で書き、わが国よりも外国で研究成果が高く評価された。南極大陸には、地名に栄養学で貢献した学者の名前を付けた地域があるが、日本人ではただ一人、高木兼寛の名前を冠した「タカキ岬」が光っている。
脚気とは逆に、生活習慣病の場合には多くは過食が原因となっているので、まず食事療法がまずあって、次に運動療法、薬物療法へと進むのが、あるべき医療の姿ではなかろうか。
4)特異性のある日本の医療慣行
そこで、外国、特に米国と比べた場合のわが国の医療規制・慣行の特異性であるが、まずは混合診療の原則禁止がある。本日はこの点に絞ってお話をしたいと思っているが、混合診療とは要するに、保険診療と自費の自由診療とを一緒に併用するというものである。税金による国営診療が基本の英国を除き、原則として混合診療を禁止しているのはわが国だけである。
また、株式会社形態による病院の新規設立もわが国は禁止している。欧米諸国でも病院は非営利組織が圧倒的多く、株式会社が決して優っていると言うわけではないが、各国とも例外なく営利組織の病院も自由に設立できる。
一方、日本では医療機関へのフリー・アクセスが容認されている。総合病院の外来から、町の診療所まで、どこに行くのも自由であり、医師会などは、国民皆保険制度とともに、このフリー・アクセスを盛んに自慢している。しかし、これも国際的に見れば全くの例外である。
米国でもマネジドケアが普及し、救急以外はゲート・キーパー医(家庭医)を経由しないと専門医には診てもらえない。欧州ではもともと家庭医制度が根底にあり、特に英国ではプライマリー・ケア医(家庭医)が、患者をどの専門医に診てもらうかを決める権限を持っている。そうではなく、個人が勝手に専門医の所に行ってしまったのでは、その人の一生の病歴を管理し、健康指導することなどは到底できないとの確固たる考えが根底にあるからである。病院でも診療所でもどこにでも行けるというのは、一見自由なようでもあるが、無責任ともなりかねない。少なくとも、ユニバーサル・スタンダードはフリー・アクセスではなく、家庭医制であることは間違いない。私もそちらの方が合理的ではないかと考えている。
また、伝染病などに対する行政措置の名残や、情報の非対称性を医療の特異性と考える誤解などに見られるように、わが国には医師のパターナリズム依存体質や医療情報開示への消極的姿勢が伺える。
その他にも、医療供給体制の主要各国比較(1998年)では、人口千人当たり病床数で、日本13.1床に対して、ドイツ9.3床、英国4.2床、米国3.7床と、日本は米国の4倍近いほどの数である。しかし、病床百床当たりの医師数では、日本12.5人、ドイツ37.6人、英国40.7人、米国71.6人と、看護職員数の日本43.5人、ドイツ99.8人、英国120人、米国221人とわが国は医師・看護師ともに圧倒的に少ない。
その一方では、平均在院日数が日本は31.8日と、ドイツ12.3日、英国9.8日(1996年)、米国7.1日と比べて長く、外来受診率(1996年)も日本は年間16.0回と、ドイツ6.5回、英国6.1回、米国5.8回と比べて高い。年平均して16回も受診する国民は日本を除いて他にはないが、一回あたりの診療時間は逆に極端に短い。
5)大きく違う日米の医療状況
医療サービスの日米比較(1998年)でも、総病院数が日本の9,333施設に対して米国6,021施設と、人口比率を勘案した倍率で日本は米国の3.3倍もある。同じく総病床数が日本1,656千床、米国1,012千床で3.5倍、病院従事医師数が日本174千人、米国192千人で2.0倍、看護師・准看護師数が日本727千人、米国1,179千人で1.3倍、一般病院平均在院日数が日本31.5日、米国6.0日で5.3倍、外来患者年間延べ人数が日本64.6百万人、米国54.5百万人で2.5倍と、いずれも日本が米国を大きく上回っている。しかし、年間手術件数では、一転して日本の3.3百万件に対して米国が26.1百万件と日本は米国の0.3倍と3分の1以下にしか過ぎず、一稼動病床当たり年間医業収入も日本12百万円に対して、米国82百万円と0.2倍に過ぎない。
金融や貿易などの経済指標の日米比較では、3.5倍から0.2倍というような極端な相違は考えられず、ここにも医療サービス分野の特異性がある。
また、医療費の各国比較(2001年)を見ると、1人当たり医療費が日本319千円、ドイツ421千円、英国298千円、米国732千円、総医療費の対GDP比が日本8.0%、ドイツ10.7%、英国7.6%、米国13.9%と、日本は英国よりは多少高いものの、ドイツよりも低く、特に米国との対比では極めて低い。ある意味では医療費に関して日本は効率的に運営しているとも言える。
ただ、この医療費を税金または保険料で賄われた公的医療費と保険以外の自己負担で支払われた私的医療費とに分割して見ると、公的医療費部分の対GDP比は、ドイツとフランスはやや高いものの、日本、米国、英国、豪州、イタリア、カナダなどの主要各国は6%前後でほぼ一致している。
要するに、医療費が高いというのはプライベートで支払う自己負担の医療費が高いわけである。これを見ても、公的保険でのカバーには自ずと限界があり、医療費全てを公的制度下でコントロールしていくには無理があることが伺える。「高額の医療費を自己負担で支払って個人がよい医療を受けるのは自由だ」「いや、誰もが公平な医療を受けられる平等な体制にすべきだ」などと意見は分かれようが、いずれにしても、公的医療費には質量の両面で限界があることを理解しておく必要がある。
また、わが国について、年齢階層別に1人当たり年額医療費を、2000年度実績に基づき推計すると、5歳未満16.1万円、5-9歳9.6万円、10-14歳7.2万円、15-19歳6.2万円、20-24歳6.9万円、25-29歳8.8万円、30-34歳10.1万円、35-39歳10.4万円、40-44歳12.3万円、45-49歳15.5万円、50-54歳19.3万円、55-59歳25.4万円、60-64歳32.4万円、65-69歳44.2万円、70-74歳60.6万円、75-79歳72.5万円、80-84歳83.0万円、85歳以上96.6万円、となっており、日本の医療費は65歳以上の高齢者の費消額が極めて高くなっている。米国も65歳以下と65歳以上に分けると、65歳以上の高齢者に4倍の医療費がかかっているが、日本はそれが5倍となっている。欧州各国では3倍以下である。
わが国の高齢者医療費が、他の国に比してどうしてこんなに高いのかも一つの大きな疑問ではあるが、高医療費は仕方がないものとして、その負担が若年層に掛かっていることが問題点として指摘される。総務省の個人金融資産(純金融資産プラス実物資産)の年齢別保有状況を基に、その負担能力を見てみると、わが国の高齢者は大変な純資産保有者でもある。60歳以上の一人当たり平均では1,200万円の金融資産を持っている。しかも、これに不動産の実物資産を加えると、70歳以上でも1所帯当たり平均で金融資産を2,000万円、実物資産を4,000万円以上保有していることになる。
これに対して、30歳未満から40歳代までの層を見ると、30歳代は住宅などのローンを抱えていることから、金融資産もネットではマイナスとなっており、40歳代でも一人当たり平均で500万円程度のプラスにしかなっていない。
さらに、65歳以上の高齢者就業率推移を見ると、男性も女性も、最近大変な勢いで下がってきている。個人的には働かなくても生活できるのは、恵まれた生活環境にあると見ることができようが、社会的には生産能力の大きなロスに通じる。療費についても、働かなくても十分に支払い能力があるのであれば、高齢者の負担増は当然であろう。今のわが国で一番問題であるのは、老人が人生の晩年にお金を掛けようとしない風潮ではないかと思われる。
6)望ましい医療改革の方向性
次に、これらの基本的状況を踏まえた上で、経済諮問会議・財務省や厚労省などで、現在検討されているあるべき医療改革の方向性について考えてみたい。
まず、医療保険財政について、経済諮問会議・財務省は公的保険を念頭において、国民医療費の伸びを経済成長率の範囲内に抑制し、国民医療費の伸び率を管理するとともに、自由診療や大衆薬を拡大すべきだと主張している。ただ、この案も理念は別として、65歳以上の高齢者数とそれに伴う医療費単価が双方ともに年間4%ずつ、合わせて合計8%ずつ今後も増えていくため、かなりドラスティックに高齢者医療費の削減をしない限り、経済成長率に合わせるのは現実的には不可能と言える。
これに対して、厚労省は保険財政については現実路線で行くべきだと主張している。具体的には、①国民健康保険に集約される形になっている75歳以上の高齢者医療については、別立ての「高齢者医療保険制度」を創設して高齢者医療費の無駄を排除していく、②民間企業、市町村合計で6,000以上にものぼる医療保険団体について都道府県単位を基本とした地域医療保険体制を指向して統合再編する、③患者の視点を踏まえ医療報酬体系を合理化、透明化するなどであり、すでに一部は実行されつつある。
また、医療供給体制については、経済諮問会議・財務省が、①当面は特区での自由診療に限定するものの、医療機関への株式会社の参入を容認する、②医薬品販売を自由化するなど、厚労省が①病床区分の明確化し、医療の機能分化を推進する、③混合診療については特定療養費の拡大で対処対応するなど、をそれぞれ主張している。
その他にも、規制改革会議では医療分野での規制改革項目として、①質の高い病院についての混合診療の容認、②IT化の推進による診療・医療事務の効率化、③レセプト・データの集積を通じた医療機関評価、④診療報酬の出来高払い方式を包括払い方式へ、⑤医師報酬と医療機関の設備利用費用等との区別の明確化、⑥保険者機能の強化(保険者と病院等との自由契約容認)、⑦医療機関の資金調達自由化(病院債、株式会社病院)、⑧医療特区の活用など、を指摘している。
本日は、この中の混合診療について少し詳しく見ていきたいが、これに関して日本経済研究センターの八代尚宏理事長は、①特定地域に限定した規制改革効果の検証ができる、②現在の医療保険では提供できない医療サービスを特定地域で提供し、健康水準の向上に資する、③特定の待機的手術(内視鏡手術センターなど)を専門とする高度先進医療病院を育成できる、④先端医療特区から発信される要望を全国的に適用できる、⑤混合診療自由化の効果について医療現場での検証、事後評価を行い、全国適用の基礎データを提供できる、などを挙げて、医療特区を利用して経済効果を検証すべきと提言している。同センターの試算によると、混合診療を全面的に解禁した場合の新規医療需要増加は年間で3.8兆円に上るとしている。
7)弊害の多い混合診療の禁止
「混合診療の原則禁止」を定義すると、一人の患者に対する一連の診療行為において、保険診療と自由診療を併用することを原則禁止し、自由診療が一部でも含まれる場合には、全ての診療費用を自己負担とする規制である。この併用禁止の規制を原則自由にすべきであるというのが最もドラスティックな改革論である。
混合診療が原則禁止となっている理由は、情報の非対称性の下では、患者が適切な医療サービスの選択をするのは難しく、その中で無制限に混合診療を認めてしまうと、医師が自由診療部分についての診療報酬を自由に引上げる結果、患者の自己負担が無制限に増加し、医療アクセスの不平等が生じかねないとの懸念からである。
しかし、患者ニーズが多様化し、医療技術が進歩するのに伴い、そうも言ってはおられず、1984年からは「特定療養費」に認定された医療行為については、保険対象外の診療行為であっても、一定の条件を満たせば、例外的にその診療行為のみを自己負担とする混合診療を認める「特定療養費制度」が設けられた。差額ベッドに代表される選定療養や高度先進医療が主な対象であり、対象診療行為は順次拡大されている。
現在、高度先進医療に認定されている診療行為は極めて限定的で、臓器移植などは、まだその中には含まれていない。選定療養には、①特別診療環境の提供(全病床の5割まで、1室4病床以下、面積6.4平方メートル以上ほかのいわゆる差額ベッド)、②紹介状なしの初診(200床以上の病院につき自由料金の初診料加算可)、③予約に基づく診療(診療時間内、診療時間の5分の4まで)、④表示時間外の診療(患者の希望による時間外受診は時間外加算の2倍)、⑤治験に係る診療(治験に係る検査、画像診断、投薬、注射が自費)、⑥歯科の合金など(前歯の鋳造歯冠に使った金合金、白金合金など)、⑦金属床による総義歯(金、銀、チタンなどを床に使った総入れ歯)などがある。その他、特別メニューの食事、指定訪問看護に係る費用なども特定療養費として認められている。
しかし、問題はこれがあくまでも例外であり、原則的には混合診療は認められていないことである。その結果、例えば全国紙の女性記者が自らの体験を綴った記事によると、乳ガン患者が、乳ガン手術(保険適用)と乳房再建手術(保険適用外)を同時に行う「同時再建」を受けるのが極めて困難にもなっている。乳ガン手術で乳房を喪失した女性患者の多くは、同時再建手術を希望している。事実、欧米では5~7割の患者が同時再建を選んでおり、それが普通になっている。
しかも、わが国では混合診療禁止の壁に阻まれて同時再建手術を行うと乳ガン手術を含め全額自己負担になってしまう。それを避けるには、乳ガン手術後に期間を置いて乳房再建手術を行わなければならず、精神的にも肉体的にも患者に大きな負担を強いている。これは、まさに不合理である。
また、現在では保険診療となっているが、以前は胃炎や胃潰瘍、胃ガンの主な要因となるピロリ菌除去についても、ピロリ菌除去だけを保険外ですることができず、同除去を行うためには胃潰瘍の治療全てを自費負担でするしかなかった。このため、欧米では十数年前から一般的となっていた、ピロリ菌除去による胃潰瘍治療の導入が、日本では大きく遅れてしまった。
同じく前立腺ガン治療も、最近では全摘出手術だけでなく、多くの手術法が開発されている。これは何も混合診療禁止だけではなく、放射線規制の要因もあるが、米国などで数年前から盛んに行われている放射線を発する小さなチップを埋め込んでガン治療をする手術も、わが国への導入はかなり遅れをとった。この治療を希望する患者は訪米して、全額自費負担で行なっているが、わが国で混合診療を認められれば、かなり安い治療費ですむはずである。これらの事例を背景に混合診療を自由化すべきだとの議論が、活発になっているわけである。
8)混合診療を先取りしている介護保険
ここで、混合診療をめぐる議論を整理すると、解禁論者の主な主張は、①医療保険財政逼迫による保険医療費抑制政策下で混合診療を認めないと、社会の医療ニーズ増加に応えられない、②医療機関にとっての不採算医療の存在や医療技能と価格が対応していない診療報酬体系の不合理性を補完する働きが混合診療に期待できる、③新医療技術へのアクセス、主に外国で開発された新薬・新技術導入の遅れを補完する、④医師への謝礼やレセプト(診療報酬明細書)診断名による保険請求などで実態的には現状でも混合診療は行われている、⑤一律に自己負担を引き上げる場合に比べて所得格差の医療アクセスに及ぼす影響は小さく、患者の選択自由度を高め医療保険制度の硬直性を補完する、⑥保険枠にとらわれない医療機関間競争によるサービス改善効果が期待できる、などである。
一方、混合診療解禁反対論者の主張は、①保険収載が大幅に遅れることで事実上の自己負担拡大を招来し、所得格差が拡大している状況下での導入は医療アクセスの不平等拡大に繋がる、②新技術が何時までも自由診療のままでは新技術へのアクセスが制限され、不合理な報酬体系や審査体系の改善が遅れる、③現行では保険収載審議過程で新技術の適否がチェックされているが、混合診療では不適切なサービスが診療現場に入りかねない、④低所得者にとっては自由選択が困難となり、逆進性の上昇と医療費支出比率の上昇が同時に起こる、⑤低所得者の医療アクセスを悪化させないような配慮が必要で、そのためには全ての自由診療を認可するのではなく、特定療養費の拡大で対応すべきである、などである。
ただ、このような医療保険の矛盾点を十分に認識した上で創設された介護保険では事情が異なってくる。具体的には高齢者介護・医療を対象とした介護保険の場合、①定額払いが原則(医療保険は原則出来高払い)であるのをはじめ、②高度付加サービスは全額自己負担(医療保険では混合医療は限定的)、③営利企業の参入は段階的に拡大(医療保険では非営利で原則配当禁止)、④加入は個人単位(医療保険は世帯単位加入)、⑤保険料は市町村単位で決定(医療保険は全国一律)、要介護度認定は委員会で決定(医療は医師個人が決定)、などとなっている。つまり、介護の世界では混合介護が当たり前の原則になっており、その意味では介護保険がまさに混合診療の一般化を先取りしたものと言える。
多摩地区に起業家精神が極めて旺盛な医師が手掛けている、一旦入院すれば人生の最期までを看取って貰える介護保険適用型病床が主体の高齢者専門病院がある。入院患者の平均年齢は84歳程度で、平均在院期間は4年弱程度。そこでは生活の質を重視した介護が主体で、医療サービスが必要な場合には治療やリハビリもして貰える。費用については、差額ベッド代(個室の場合)のほかに、日常生活費の名目で一日5,000円程度の保険外費用を患者に請求している。この保険外費用は日常生活費であって、厳密には混合診療ではないが、実態的には徹底した看護師や介護士のサービスに対しての対価(保険適用外)が医療費・介護費(保険適用)ととともに支払われている。
この病院は病院の周りにマンションを建てて、その個室を入院患者の希望者に賃貸する計画を進めており、そこでは病院に入院しているのと同様のサービスが在宅形式で受けられるようになる。そうなると、保険適用の医療費の中に室料や食事費の一部が含まれていること自体の矛盾が表面化し、将来的にはこれらの日常生活費はすべて保険適用外の自己負担、純粋の介護・医療サービスだけについて保険適用とする方向に進むことも考えられる。
9)大きい民間医療保険の役割
政府はいま直ちに混合診療を全面解禁するのは少し性急すぎるとの判断に立っており、これまで徐々にしか増やしてこなかった特定医療費の領域拡大ペースのスピード・アップが現実的な制度改革の方向かと考えられる。
具体的には、患者の利便性向上、患者の選択肢増大、医療のコア部分でないなどを条件に、①室料、食事代などアメニティー(快適性)全般、②追加的な検査、③外国で認可されている医薬品、医療機器の使用、④資格が必要な代替医療、⑤指名料や迅速な診療を確保するための予約料、⑥ゲノム治療など個別性の強い高度先進医療全般への拡大、などが今後予想される。
その手順について経済諮問会議案では、一定水準以上の医療機関に限定した利用者との契約に基づく包括的な特定医療費の設定が打ち出されている。この案によれば、一定水準以上の医療機関に限定することで診療所や中小病院には当面適用せず、儲け主義の質の低い医療機関を排除できる。混合診療を広範に手掛けることができる高度なサービスの医療機関を設定することにより、医療機関相互間の医療の質向上への競争を促進するというもので、医師会の全面解禁反対の意見にも配慮している。
そのような中で、経済同友会も最近、保険外の新しい医療を受けようとすると、患者は非常に高額な負担を強いられる。混合診療原則禁止の現状は、むしろ低所得者に高負担を課しているとの報告書を出し、混合診療解禁の必要性を訴えている。
混合診療を拡大するには、拡大部分についての民間医療保険の拡充が求められる。自己負担医療部分が全くの自己負担となってしまっては、それを払える人には問題ないが、そうでない人も多いはずだからである。やはりその部分は民間保険がカバーしていかなければならない。
現在でも、すでに多くの保険会社が医療保険分野に進出してはいるが、わが国の場合はその主流は付加方式である。付加方式とは、本体の生命保険などに入院費などの給付を付加するもので、あくまでも付録に過ぎない。本格的に医療サービスを対象とした保険商品の開発が望まれるところである。
欧米主要国の私的医療保険の性格を比べてみると、英国では私的保険は奢侈財的性格が顕著で、公私ミックスは認められていない。米国は65歳未満に公的医療保険はなく、混合診療が一般的で、私的保険は必需財的性格が強い。そして、ドイツでは高所得者は自発的に公的保険から脱退して民間保険に移れるものの、一度脱退してしまうと二度と公的保険には戻れない。現在2割程度の高所得者が公的保険から民間保険に移っている。
いずれにしても、将来的には民間保険による混合診療への給付対象や保険給付の条件などを厳密に規定する必要がある。具体的には、①専門学会の認定医などに追加料金を支払う人対象、②特定な医療機関に追加料金を支払う施設対象、③特定の材料、医療行為についてだけを公的保険外で請求する物対象、などが考えられる。ただ、人対象では専門医認定制度の未成熟、認定基準の不統一など問題も多く、名医の請求した金額をそのまま給付するような保険商品の設計は難しい。施設対象でも一般的に設備、人員が充実しているのは、税金で建設された公的病院であり、そこでのサービスに民間保険をどこまで適用できるか、などの問題点がある。順序としては、最も可能性のある物対象について検討すべきであろう。その他にも、公的保険との並存や公的保険の代替など、いろいろな形での民間保険の活用方法が考えられる。
いずれにせよ、わが国の医療を少しでもよいものに変えていくには、消費者(患者)である医療については素人の皆様方が、その仕組みや問題点を理解して発言していくことが、何にもまして重要である。日本の医療環境をめぐっては、まだまだお話ししたいことが数多くあるが、本日はこの辺で終わりにしたい。
<平成16年5月6日 午後3時より4時10分まで行われた(社)日本証券経済倶楽部 常設研究会での広島国際大学教授岡部陽二講演「消費者が動かす医療サービス市場」の要旨>
(2004年6月1日発行、社団法人・日本証券経済倶楽部、常設研究会資料、合同研究会No.103 p1~p24所収)