JCAHOのシカゴ本部でジャネスキー氏をはじめスタッフの方々のプレゼンテーションを聞いて痛感したのは、JCAHOが辿って来た歴史の重みである。彼らが手際よく解説してくれたJCAHOの評価手法は50年近くにわたる長い歳月を経て、積み上げられ磨き上げられたものである。その間に自らの組織や理念にも絶えざる変革を行って来た。その結果出来上がった現在の形だけを真似ることはたとえ容易であっても、その背後に秘められている精神や考え方を汲み取ることは不可能に近いのではなかろうかとの思いを深くした。
歴史といえば、19世紀に活躍したドイツの大医学者ウィルヒョウは「医学はいずれの科学にもまして歴史を必要とする」と喝破しているが、わが国の医学系大学80校の中で医学史の研究室があるのは一校だけのようである。日進月歩の最新技術に追いつくのが精一杯で、過去を振返る余裕などないのかも知れない。しかしながら、医学だけでなく、医療サービスの提供形態にせよ管理手法にせよ試行錯誤による経験から導き出された過去の蓄積過程を理解せずに、欧米の先進手法を形式的に採り入れてみても身に付かないのではなかろうか。
JCAHOのホームページにはその使命と克明に記録された創設以来の歴史が掲載されている。ただ、最近は毎年の主な出来事を次から次へと追加してくれるので、その中で何が本当に重要なのか判断するのが難しい。幸いにも、われわれは出発前に岩崎先生からJCAHOの歴史の中で転機となったポイントに絞って懇切に講義して頂いたので、シカゴでの短時間のプレゼンテーションにもかかわらず、背景が判っていて理解し易かった。とは申せ、JCAHOの発展史をどこまで理解出来たものか心もとないが、その節目について私なりの解釈を披露してみたい。
JCAHOのそもそもの歴史は1910年代にエルネスト・コッドマン医師の「End Result System」の提唱にはじまり、さらに当時の「医療の標準化」運動に呼応して、全米外科医師会を巻き込み、病院が守るべき最低基準を作成した時点にまで遡る。1951年にJCAHOの前身であるJCAHが組織され、1953年に第一号の病院認定が行われ、1970年には最初の認定基準が作られた。この過程で驚くべきことは、コッドマン医師が提唱した医療の標準化は当時彼が所属していたハーバード大学では受入れられず、やむなく大学を離れて一医師として彼を理解する同僚とともに頑張ったという事実である。標準化といった最低限の基準設定にも抵抗が強かったのである。わが国の医学界では現在でも医学用語とかカルテの書き方一つをとってみても標準化にはほど遠く、医療システム全体の標準化となるとまさに大事業であろう。コッドマン医師のようにこのような難事業に職を賭しても信念をもって立ち向かう強力な推進者の出現を切に望みたい。
最初の大きな転機は1965年のメディケア・メディケイド法制定を機に、JCAHの認定を受けた医療機関は政府の審査抜きで両制度への加入者を受入れることが出来るようになった時であろう。もっとも、この時にもJCAHの独自性を失ってはならないとする考え方からJCAH内部には行政とリンクすることに反対する意見も強かった由であるが、結果的には独自性を保持しつつ行政ともリンクする形で理想的な発展を遂げて来たのは見事である。
1970年には、これこれの最低基準を守るべしとのこれまでの最低限基準から脱して、病院施設にとって最も望ましい基準として提示された上限値の達成度を評価する方向にJCAHの指導方針を改めた。CertificationとかLicensureといった最低基準を満たしておれば取得できる資格からJCAHのAccreditationを差別化出来た意義は大きい。
1987年には評価対象施設の拡大に対応して名称をJCAHOに変更しただけでなく、「Agenda for Change」という改革に取組み、絶え間なく質の改善を進めるCQI(Continuous Quality Improvement)の手法を導入した。この手法開発に当たっては、トヨタをはじめとするわが国のメーカーが品質と生産性の向上面で大きな実績を挙げたTQM(Total Quality Management)や改善運動を徹底的に研究し、そこから有益なヒントを多数得ている。わが国の医療界が世界レベルの品質改善手法を誇る製造業から直接学ぼうとせず、米国経由でこれを再輸入しようとしている姿は滑稽である。また、この間には、Structure(組織構造)やProcess(過程)の評価に加えて、Outcome(成果)をPerformance(目標達成度)に焦点を合わせて評価するといった段階にまで評価基準を高めた。
1995年からは「Action Plan」を発足させて、Indicator Measurement System(生産指標計測システム)を徐々に導入した。これをさらに発展させたORYXと称する次世代の調査・認定手法が1999年には開発されている。Oryxは砂漠を跳梁するアフリカ産の大カモシカに因んで名づけられたもので、その構想の雄大さを象徴している。
1999年には設立来掲げてきた「使命」の文言を変更して、患者にとっての安全性の確保がJCAHO最大の使命である旨、明確に表明した。この改定の契機となったのは、マネジドケアの行き過ぎによる医療の質低下を懸念した米国保健省が1997年に「米国の医療の質研究プロジェクト」を発足させ、その最初のテーマとして「患者の安全性」を採り上げたことにある。昨年公刊されたその報告書「過ちは人の常-より安全な医療システムの構築」で、医療事故による年間死亡者数は交通事故死者数を上回ると指摘のうえ、事故率を下げるには個人を非難するのではなく、医師・看護婦・薬剤師・その他の専門職間の壁を低くして、協調システムによるチェック体制をとることが重要と強調している。JCAHOがその「使命」に安全性の向上をことさら書き加えたのは、このような動向に逸早く対応したものであろう。
最後になったが、一昨年から準備が進められ、昨年公表されたJC国際認定基準の初版はJCAHOの歴史の中でも画期的なことである。医療の質向上を求めるニーズは世界中至る所で高まっている。このニーズに応えるべく各国固有の法律の壁を乗り越えて共通化出来るところから手掛けて、評価手法のインターナショナル・スタンダードを各国と協働して確立しようというまさに初の試みである。このように意欲的な国際プロジェクトは米国の組織でないとなし得ないところであり、今後のわが国との協調進展が期待される。
JCAHOが行って来た主な変革だけを取り出しても、このように常に前進あるのみといった医療の質向上に向けての活力がみなぎっている。わが国の医療評価機構は発足したばかりであるが、わが国の医療関係者もJCAHOの歴史に満ち満ちている常に自らを変革してやまない姿勢から大いに学ばなければならないと認識を新たにした次第である。
(広島国際大学教授 岡部陽二)
(2001年3月(社)日本医業経営コンサルタント協会刊行「2000年米国の医療・看護・介護研修団報告書」12-14頁所収)