医療経済研究機構専務理事 岡部 陽二
はじめに
米国の保健福祉省の内庁であるCMS(Centers for Medicare and Medicaid Services)が十余年前から実施してきた「研究データ支援」ならびに「メディケア医療保険受給者現況調査」の2プロジェクトについて、レセプトの電算処理化状況調査の過程で見聞したところをとり纏め参考に供したい。
「研究データ支援」は、メディケア・メディケイドのレセプト・データを利用した研究を志向する医療経済研究者を支援するために、CMSが大学などに補助金を出し、人材を派遣する教育プロジェクトである。その典型的な成功例であるミネソタ大学の「研究データ支援センター(Research Data Assistance Center、ResDAC)の活動を紹介する。
一方、「メディケア医療保険受給者現況調査」は、レセプト・データのみでは把握できない高齢者・障害者の健康状態、受診状況、医療費支出の状況などについて、長期にわたって直接インタビュー方式で追跡調査を行ない、ナショナル・データベースを整備する全国規模のサンプル調査である。
何れのプロジェクトもメディケアを保険者として直接管理し、メディケイドについても州政府と共管しているCMSが、制度の効率的運用には、研究者の協力を得て、保険給付状況を不断に分析評価するこが不可欠である、との認識に基づいて企画された施策である。
Ⅰ.ミネソタ大学「研究データ支援センター(Research Data Assistance Center、ResDAC)」の研究支援プロジェクト
ミネソタ大学では公衆衛生学部内の別組織としてResDACと略称される研究支援センターを10年前に開設した。この研究支援センターは、CMSに蓄積されたデータを用いて医療経済分析を行なう研究者のための技術支援活動を展開し、着実に実績を積み重ねている。
CMSが直接管理している65歳以上の高齢者と障害者を対象とする医療保険・メディケアが処理している個票データ(Claim Form、以下ではレセプトと表記)は年間9.5億枚(2005年)に上る。メディケアの受給対象者は42.3百万人で、一人当たりの平均レセプト枚数22.5枚となっている。わが国の医療保険のレセプト枚数年間約2億枚(一人当たり平均1.6枚)に比して格段に多い。これは、米国では診療行為一件ごとに医師・病院・検査機関等への支払いが個別に保険者に請求され、わが国のような一ヶ月締めの扱いがないためである。メディケアでは、これまで薬剤給付は行なわれていなかったが、本年からメディケアDとして開始されるので、これが加われば年間約15億枚に増加する見込みである。
州政府が管理主体となっているメディケイドについては、給付対象者数49.3百万人(2006年)で、年間約20億枚のレセプト請求が行なわれている。
米国では、これらの公的医療保険にかかる支払請求はほぼ100%オンライン化されており、紙による請求は極めて例外的にしか存在しない。
レセプト・データは、もともとは医療費の請求・審査・支払のためのものであるが、CMSでは10年以上前から、このレセプト・データを医療経済分析に活用し、その成果をCMSの保険政策に反映させていくことに積極的に取り組んでいる。
研究目的でのデータ利用を可能にするために、CMSは患者のプライバシーと権利保護の観点からメディケア・メディケイドの受給者番号暗号化や個人情報を含む機密性の高い患者情報ファイルの取扱い規制を徹底してきた。
同時に、データを利用した研究者教育活動の一環として、CMSが保有する情報資源を効果的に活用することのできる研究者を「研究データ支援センター」の活動を通じて育成する方針を打ち出し、財政支援をも行なっている。医療経済の研究成果が、最終的に公的医療保険の質を向上させ、より効率的な社会的再分配システムを生み出す結果になるものと期待しているからである。
CMSが育成を図っている「研究データ支援センター」の最大手であるミネソタ大学に置かれているResDACの概要は以下の通りである。
1、規模と財政基盤
ResDACは、ミネソタ大学の中に置かれているが、別組織として独立して運営されている。陣容はAdministrationに4名、うち1名はCMSから派遣されている。2名は出版担当。Active ResDAC Faculty(主に出版関係)に2名、Technical Advisor Staffが6名、その他2名で、計14名(一部兼務者があり、フルタイム換算9名)から成る。
スタッフは全員、疫学・医療経済・公衆衛生・統計学・情報工学などの修士資格を有するプロである。
年間予算は1,000千ドル(約1.2億円)、うち900千ドルはCMSからの補助金で賄われている。残余の100千ドルはワークショップ参加者からの受講料収入などである。
2、業務内容
ResDACの目的は、CMSが保有するレセプト・データなどを用いてのメディケア・メディケイドとその利用者についての経済分析を目的とする専門的な医療経済研究を支援することにあり、教育機関としての位置づけである。
CMSが保管するレセプト・データはメディケアだけでも年間9.5億万件という膨大なもので、これがすべて電算ファイルに保管されている。その中から特定の研究目的に必要なデータだけを引き出して、分析可能な形にデータ処理をするには、そのための技術が求められ、その技術を習得するための研修も必要となる。
この研究データ支援センターの活動は、個々の研究目的に適ったCMSデータ・ファイルに関する情報の提供と利用方法の指導が主体である。研究者からの照会に対して、CMSデータの最新情報を提供し、どのようなデータが入手可能か、その処理手順などを具体的に指導している。
別途、年に数回CMSデータの利用を希望する研究者を対象にデータ処理に関する技術トレーニングなどを行なうワークショップを開催している。
ResDAC のWebsite;www.resdac.umn.edu、簡単な質問はこのWebsiteの閲覧で解決する。
Ⅱ.メディケア医療保険受給者現況調査(Medicare Current Beneficiary Survey、MCBS)
このMCBS調査は、1991年から米国厚生省のCMS(Centers for Medicare and Medicaid Services)が開始、現在2003年度まで12回の調査結果の報告書が刊行されている。調査の実施は民間の調査会社Westat社に委託、調査の設計には上記のミネソタ大学ResDacがアドバイザーとして関わっている。
米国の高齢者・障害者を対象とした公的医療保険・メディケアの受給者数は42.3百万人(2003年)、うち86%が高齢者、メディケアが支払った医療費;5,210億ドル、一人当たり12,331ドル(約150万円、2003年)となっている。メディケア受給者は人口の14%、総医療費の36%を占める。メディケア受給者が支払った医療費の64%がメディケアとメディケイドでカバーされ、残余の34%は個人負担・民間保険でのカバーとなっている。
これまでにも、メディケア受給者を対象とした同種の調査はいくつかあったが、サンプル数の不足、施設居住者の把握が困難、メディケアでカバーされる以外の医療費についての把握がなされていなかったなどの、弱点があった。そこで、メディケアの利用状況を分析して、CMSの政策立案に役立てるとともに、研究者による研究のための活用を目的としたナショナル・データベースとして発足したのが、このMCBS調査である。
このMCBS調査は、いわば全米の高齢者・障害者を対象とした医療サービス受給状況と医療費に関する国勢調査であり、メディケア対象者4,200万人の中から選んだサンプル16,000人を長期間にわたって直接インタビューにより追跡調査することによって、調査の精度を格段に高めているところに、その特徴がある。
面接調査員(インタビューアー)一人に一回300ドルを支払っているため、年間の調査費用は1,600万ドル(約19億円)に上る大規模調査となっている。このMCBS調査の概要は以下の通りである。
1、調査の対象者と調査項目
65歳以上と障害者のMedicare受給対象者の健康状態、医療サービスの利用状況、その財源、医療保険の利用状況を年齢階層別、社会階層別に把握している。調査データは同一の対象者に対し年に三回、四年間にわたって直接12回の面接による聞き取り調査で収集している。対象者は、在宅、施設入居の双方をカバーしている。
調査データは、対象者別の調査項目別クロス・データの公開ファイル(Public Use File、PUFs)として、毎年刊行され、原資料の利用も開放されている。このデータは長期間にわたるメディケア受給者の動態分析も可能な形式としている。
MCBS調査の特徴は、メディケアの利用状況のみではなく、対象者個々人別の医療サービスすべての利用状況とその財源(Medicare給付、民間保険適用、Medicaidとの併用、自己負担など)について、時系列推移を含め調査しているところにある。
この調査に基づく公開ファイル(PUFs)は二種類ある。"The Access to Care PUFs"は、1991年から2005年までの対象者の医療機関へのメディケアによる医療サービスへのアクセス、治療の満足度、健康状態、年齢や資産状況などについての調査をとりまとめたデータである。もう一つの"The Cost and Use PUFs"は、1992年から2004年までの間につき、メディケアだけではなく、すべての財源によるメディケアではカバーされない医療サービスすべてを含んだデータを集積したものである。
2、MCBS調査の目的とこの調査で得られるデータ
この調査の目的は、次の5点にある。
(1)メディケアでカバーされていない医療費について全面的に把握すること
(2)メディケア対象者の特徴と健康状態を階層別に把握すること
(3)メディケア・サービスに対する満足度を測定すること
(4)メディケアに関する知識や関わり合い方を知ること
(5)年齢の変化に伴うメディケア利用状況の変化を調べること
MCBSの調査で得られるデータには、次のようなものがある。
(1)年齢階層別、性別、人種別、所帯構成別、教育程度別、収入階層別、居住地別などのメディケア・サービスの利用状況
(2)総医療費とその財源別(メディケア、メディケイド、民間保険、自己負担など)の支出状況
(3)高齢者・障害者の医療へのアクセスの状況、満足度、
(4)対象者の健康状態、メディケアについての知識、情報の必要性、情報を求めての患者の行動など
MCBSデータのサマリーはhttp://www.cms.hhs.gov/MCBSで見られる。また、原データから別の切り口での研究を行なうことも可能である。
3、MCBS調査の設計
MCBS調査は長期継続、多目的、全国規模の高齢者・障害者のサンプル調査であり、2003年度には、在宅・施設居住の17,967名がサンプル対象者として選ばれている。
サンプルはメディケア・パートⅠかパートⅡのいずれかまたは双方に加入している者で、45歳以下、45~64、65~69、70~74、75~79、80~84、85歳以上の7グループに区分されている。地域は全国をZIPコードにより107の地域に区分されている。
この調査の仕組みは、次のように設計されている。
(1)約4,000に毎のパネル(回答者団)を四つ作る
(2)各パネルの構成者を対象に4年間にわたり、12回のインタビューを行なう
(3)各パネルは、全米のメディケア対象者の構成を忠実に反するように選定する
このように、この調査の特徴は、サンプル対象者に直接インタビューを年に3回行ない、同一対象者について原則として4年間以上追跡調査することを原則としているところにある。
インタビューはコンピュータ化された質問プラグラムを使った質問方式で、洩れや間違いの防止に努めている。回答の正確度を高めるために、回答者にはあらかじめ治療の記録、メディケアの記録、医療費などの領収書を保管して提示することが求められている。
2003年には12,486人のデータを収集できたが、弟1回目の回答率は84%、二回目は前回回答者の94%が回答、三回目以降は99%と直接インタビュー方式を採っているため他の調査よりも回答率が高い。
おわりに
わが国においても、高齢者医療保険制度の新設や介護保険の改革にあたっては、MCBS調査のような全国規模の長期追跡調査によって、高齢者の生活実態と医療費・介護費支出の状況を総合的に把握することが不可欠となる。医療行政を科学的な根拠に基づいて行なうためにも、このような診療情報のナショナル・データベースの作成を急ぐ必要がある。
厚労省が策定した今後5年間のアクション・プランでは、全国規模でのレセプト・データの収集・解析体制の構築を2008年度まで、レセプト・データをもとにしたナショナル・データベースの整備および制度的対応等が2010年度までに実施されることとなり、現在約20%に留まっているレセプト・オンライン化率を急速に引上げる方策がとられつつある。
レセプト・オンライン化は、医療情報のナショナル・データベース作成を手掛け、レセプト・データを活用した医療経済研究の促進を図る好機である。この際、米国のCMSが同国の公的医療保険について10年来進めてきた上記2プロジェクトから学べるところには大きなものがあろう。
(2007年5月医療経済研究機構発行「Monthly IHEP(医療経済研究機構レター)」No.153 p23~26 所収)