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オバマ政権の医療改革(2)

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2、メディケア・メディケイドの機能不全

 米国の医療制度は国民皆保険とはなっていない。しかしながら、65歳以上の高齢者の医療はメディケアにより、低所得者の医療はメディケイドによって保障されている。両制度によって部分的には皆保険となっているが、問題は両制度によってカバーされている対象者の範囲とカバーの対象となる医療サービスの範囲である。

 メディケアには65歳以上の高齢者の98.1%が加入、カバー率は高い。しかしながら、表5に見られるとおり、医療費ベースでのメディケアでの負担は、49%(2004年)と必要な医療費の1/2にも満たない。メディケイドなどによる公的負担18%を加えても、公的財源は67%に留まっており、高齢者医療費の33%が民間保険と自己負担で私的に賄われている。

 これは、メディケアの負担範囲が局限されているためである。たとえば、入院費用を給付するメディケアAでは、入院期間60日まではほぼ全額がカバーされるが、それ以降カバー率が削減され、150日超の医療費は全額自己負担となる。また、メディケアは院外薬剤費をまったくカバーしなかった。ようやくその一部をカバーするメディケアDが2006年から実施され、2007年にはメディケアDが約500億ドル(うち80%弱が公的負担)に急拡大したので、高齢者医療費のメディケア負担率は、55%程度には上昇したものと見込まれている。

 一方、メディケイドによる医療給付は、各州が定める受給資格基準に適合する貧困者が対象で、有資格者から申請があれば、州政府は給付の義務を負っている。財源は全額公費で、2007年度平均では連邦政府が57.2%、残余を州政府が負担している。ただし、負担割合は州ごとに異なる。

 メディケイドの受給者数は3,830万人(2007年)に上るが、最大の問題は総体的に対象者の所得レベルがかなり低く設定されていることである。また、各州が定める貧困者の適格基準がまちまちであることも問題とされている。前回掲げた表3の「無保険者階層別人数とその階層人口に占める比率」によると、貧困ライン以下の無保険者が1,150万人存在し、これは貧困ライン以下人口の31.6%に相当する。別の切り口では、年収5万ドル未満の低所得者中、無保険者は2,930万人で、同階層人口の23%程度を占めている。

 連邦の定める貧困ラインは、一所帯で年収10,400ドル以下、親子4人所帯では21,000ドル以下である(2009年現在)。メディケイドの適用基準は、これよりも高い年収レベルに設定されている州が多いが、問題は給付制限にある。連邦のガイドラインはあるものの、各州は独自に給付内容とその制限方法を厳しく設定している。たとえば、一人当りの給付限度額、医師訪問回数、入院期間などの限定、あるいは給付供給前に事前認可を要するなどの制限が多い。

 メディケイドのもう一つの問題点は、65歳以上の高齢者の医療は一義的にはメディケアでカバーされているにもかかわらず、その給付に前述のような制約があるため、メディケイドの適用も併せて受けている高齢者が約14百万人と多い点である。表5に見られるとおり、メディケイド総受給額のほぼ37%を高齢者が費消している。65歳以上の高齢者は、一人当りでは65歳以下の3倍近くのメディケイド給付を受けている。これはおもにナーシング・ホームなどに居住する高齢者の長期ケアに要する費用であり、実体的には介護サービスも一部含まれている。

 このように、メディケア・メディケイドで保障されていても、そのカバーが十分でない対象者が多数存在することは明らかである。これを踏まえて、最近では無保険者(Uninsured)4,700万人に加え、低カバー被保険者(Underinsured)2,000万人に対するフル・カバーをまず実現すべきであるとの議論も起きている。

 一方、6月13日のラジオ演説でオバマ大統領はヘルスケア改革の費用を賄うために、メディケア・メディケイドの公的支出をこの先10年間で3,130億ドル節減することが不可欠であるとし、メディケアの出来高払い診療報酬の伸びを制限するなどの具体化策を提示している。

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3、クリントン医療改革の概要と挫折の原因

 民主党のビル・クリントン大統領が1992年の当選直後に取組んだ最重要課題の一つが、国民皆保険を目指した医療保険制度の改革であった。クリントン大統領は、就任4日後の1993年1月25日に「健康保険制度改革作業委員会(Task Force on National Health Care Reform)」を設置、夫人のヒラリー・クリントンをその議長に任命した。委員会は厚生・財務・商務・労働の各長官とその他の補佐官で構成され、34の小作業部会に500人以上のスタッフを擁する大組織であった。

 法案の制定作業は難航し、ようやく10月27日に1,300ページを超える複雑な構成の「健康保障法(Health Security Act)」が議会に提示された。この改革法案の要点は、①国民皆保険を原則とする、②「国家医療委員会」を新設して、医療関連の価格・料金を抑えるための強制力を付与する、③企業の従業員については医療保険料の8割を企業負担とする、④1996年から5年間で1,050億ドルの増税と政府の関連経費2,380億ドルの削減を行うといった内容であった。

 この改革案は、①現行の企業による民間医療保険の任意提供を全企業に義務付け、小規模企業や貧困層には政府が補助金を出す、②中小企業と個人は直接民間保険会社と契約するのではなく、新たに設けられる「地域医療保険組合」が介在して民間保険会社との交渉を一括して行う、③大企業が従業員に提供している保険内容とほぼ同等の条件が全国民に適用されるようにする、④保険会社は加入申込者を病歴、年齢、職業などにかかわらずすべて受入れなければならない、といった民間保険会社にとってはかなり厳しい内容のものであった。

 議会での審議の最大の争点は、企業への医療保険加入の義務付けであった。保険給付の義務化には中小企業経営者の反発が強く、民主党内にも反対が根強かった。また、改革案では政府の介入が過剰となり、かえって政府の財政負担が増えるとの反対論も多かった。

 そこで、上院は従業員の100%保険加入を断念して95%加入を目指す、保険料の企業負担率を50%に引下げるなどの緩和措置を織り込んだ妥協案を作成したが、共和党の議事妨害などで審議は進まず、採決は1994年の中間選挙後に持ち越された。この中間選挙では、医療保険制度改革の失敗が招いた民主党への不信感から上下両院とも共和党が過半数を占めた結果、米国の医療改革は2009年のオバマ政権誕生まで棚上げされる事態に立ち至った。

 クリントン改革挫折の要因としては、いくつもの理由が挙げられているが、中でも医療費の見積もりが曖昧で甘く、5年後の医療費予測で議会の予算局(CBO)見積もりとの間に500億ドルもの乖離が存在した矛盾を無視し続け、上院の妥協案にも耳を貸そうとしなかったヒラリー・クリントンの非妥協的な姿勢を指摘する見方が多い。彼女が改革案立案の作業を政府内で閉鎖的に行なった姿勢が、AARP(米国退職者協会)やHIAA(米国医療保険協会)といった圧力団体を敵に廻しただけでなく、メディアからの反感を買った点も失敗の原因とされている。

 この過激な改革案に反対する民間保険会社をはじめとする圧力団体は1.2億ドルという史上最高の献金をネガティブ・キャンペーンのために行なったと言われており、さしものヒラリーもこの激しいロビー活動に屈したという見方もなされている。

 作業委員会の議長をヒラリー自身が務めたため、政策立案過程において、議長の意見に反対する手段としての大統領への直談判できなくなった組織面での不備も指摘されている。さらには、反対陣営がメディアの前で彼女の理想主義に正面から反駁するのは不得策と判断したため、議会での論争がきわめて低調であった事実も判明している。

 オバマ大統領は、クリントン改革失敗の轍を踏まないよう、①改革は大統領主導で進め、利害関係者やメディアとの対話を最重視する、②議会予算局が考えられ得る改革のシナリオ別に財政に与える影響を分析し、改革案との整合性を保つ、③政策の立法化は議会に任せる、といった柔軟な現実路線で臨んでいる。

4、全米初、州民皆保険のモデルと評価されるマサチューセッツ州の医療改革

 米国では、バーモント州、メーン州などいくつかの州で州独自での皆保険化の動きが見られる。メリーランド州やハワイ州でも試みられたが、皆保険化には至っていない。こうした中で、マサチューセッツ州では2006年4月に「医療アクセス法(Act Providing Access to Affordable, Quality, Accountable Health Care)」が成立し、住民の皆医療保障のための各種政策が着実に実施されている。

 この医療アクセス法は、共和党のロムニー知事が同州選出の民主党のエドワード・ケネディー上院議員と手を組んで、超党派で成立させた意義が大きい。ロムニー知事は2008年の大統領選に共和党候補の一人として出馬している。ケネディー上院議員は上院で医療改革法案を審議する通称HELP委員会の委員長を務めている。

 医療アクセス法では、①18歳以上の全州民に医療保険加入を義務化、②所得が連邦貧困レベルの300%以下の無保険者に民間保険加入のための補助金を州政府から支給、③医療保険未加入者に対して購入可能な民間医療を斡旋するために「コネクター」とよばれる準公的組織を設立、④被雇用者11人以上の事業所主に医療保険を提供するか年間295ドルの拠出金負担の義務化などが定められた。

 医療アクセス法施行後、2008年までに44万人が新たに医療保険に加入し、2005年に約60万人であった州内の無保険者数は、2008年には約17万人(州人口の2.6%)にまで一挙に減少した。

 マサチューセッツ州の方策が成功した最大の要因は、雇用主企業ではなく、個人に医療保険加入を義務付けた点にある。これまで、州立や非営利病院が表向き慈善医療として行っていた医療への補助金を直接無保険者個人に手渡す方式の採用が奏功したものである。もっとも、現状の補助金では個人加入の被保険者は州政府が設計した医療保険プランしか選べないといった不便さもあるが、皆保険実現への解決策としては優れた方式と評価できる。

 一方、メリ-ランド州では州内の大企業に支払給与総額の8%を医療保険に使うよう求める州議会の決定が企業の反発を買い、せっかく誘致したウォールマートの配送センター撤退といった事態を招いた。また、ハワイ州では、全企業に対し週20時間以上働くすべての従業員に医療保険の提供を求めた結果、正社員のパートタイマー化が進み、これが社会問題化している。企業への医療保険の提供義務化は、やはり連邦ベースで進めないことには、うまく行かないようである。

 マサチューセッツ州での州民皆保険改革が成功と評価されてことの意義は大きく、オバマ大統領にとって追い風となることは間違いない。

(医療経済研究機構 専務理事 岡部陽二)

(2009年9月14日、医療経済研究機構発行「医療経済研究機構レター(Monthly IHEP)」No.179、p35~38所収) 

 

 

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