1、南アフリカ共和国の政治経済概観①
南アフリカ共和国(以下、南アと略称)はアフリカ大陸最南端に位置する共和制国家。東にスワジランド、モザンビーク、北にジンバブエ、ボツワナ、西にナミビアと国境を接し、レソトを四方から囲んでいる。南アフリカは首都機能をプレトリア(行政府)、ケープタウン(立法府)、ブルームフォンテーン(司法府)に分散させているが、各国の大使館はプレトリアに置かれているところから、国を代表する首都はプレトリアとされている。南アは1910年から1994年まではケープ州、オレンジ自由州、ナタール州、タランスヴァール州の4州で構成されていたが、1994年に表1および図1に示したとおり9州に分割された。
国土面積は122万平方キロ(日本の3.2倍)で、国土の2/3は内陸高地である。高地の大部分を占めるハイ・ベルト地域は標高1,200~1,800米で、ヨハネスブルグもこの高地にある。内陸高地と東部から南部にかけての海岸線との間には山地が続いている。内陸高地の北西側はカラハリ砂漠、西側はナミブ砂漠に連なっている。気候は地域によって差があるが、総じて年間を通じて温暖、内陸高地の年間平均降水量は502ミリと少なく乾燥しているが、高い山の山頂には積雪も見られる。
総人口は50百万人(2010年央の推計値)で、多人種、多部族から成っている。人種構成はアフリカ人(黒人)79.4%、白人9.2%、カラード(混血)8.8%、アジア人2.6%となっている。アフリカ人はルーズー族(22%を占め最大)、コサ族など9部族から成り、白人はオランダ系(アフリカーナーまたはボーア人と呼ばれ、白人全体の2/3を占める)、英国系、ドイツ系などが多い。 ズールー語(話者人口比率;23.8%)、コサ語(17.6%)、アフリカーンス語(13.3%)、北ソト語(9.4%)、英語(8.2%)など11の言語を公用語として採用している。宗教は80%がキリスト教で、ほかにヒンズー教徒、イスラム教徒も存在する。
政治体制は大統領(2009年5月から第11代ジェイコブ・ズマ大統領)を元首とする共和制を採っている。 国民議会(下院、400議席)の総選挙後、下院が下院議員の中から大統領を選出する。このようにユニークな大統領選出方式は世界で南ア1カ国のみである。任期は下院議員と同様に5年、3選まで認められている。議会は国民議会と全国州評議会(上院、90議席)の二院制を採っている。
2001年にゴールドマンサックスが生み出したBRICsはブラジル、ロシア、インド、中国(sは複数形)を指していた。その後、一部の投資銀行などの間で複数を意味する"s"が南アを指すとする用法も定着しつつある。さらに、2009年6月にはBRICs4ヵ国の首脳会議が初めて開かれたが、2010年12月には中国が2011年の首脳会議に南アを招待したいと発言,本年4月に中国南部の三亜で開催された第3回の新興国首脳会議に南アのズマ大統領が参加してBRICS5ヵ国の首脳会談が実現した。②
もっとも、南アは資源国としての経済発展のポテンシャリティーは大きいものの、BRICsで最小のロシアと比べると、人口50百万人はロシアの1/3弱、経済規模でもロシアの1/4以下と小さい。保健医療分野では、南アの医療費はGDPの8.7%(2008年、2007年は8.5%)と割合としては先進国並みに高く、BRICs 4ヵ国(ブラジル:8.4%、ロシア:5.4%、中国:4.3%、インド:4.1%(いずれも2007年)よりもかなり高いが、一方で妊産婦死亡率や結核罹患率などの健康度指標は、後掲の表4および表6に見られるとおり、BRICs 4ヵ国に比べるとかなり劣悪である。③ また、南アの平均寿命は51歳で、これも中国の73歳、ブラジルの68歳、ロシアの64歳と大きな差がある。④ このような一見矛盾した現象がどのようにして起こっているのか、医療経済の研究対象としては注目に値する国である。
かつての南アはアパルトヘイトと呼ばれた白人による有色人種に対する人種差別で知られ、国際社会では孤立していた。アパルトヘイト(Apartheid、アフリカーンス語で分離、隔離を意味する)は白人と非白人(黒人、インド、パキスタン、マレーシアなどからのアジア系住民や、カラードとよばれる混血)間の諸関係を差別的に規定する人種隔離政策であった。
19世紀に2回にわたって戦われたボーア戦争で勝利した英国の直轄植民地となっていた南アは、1910年5月に4州からなる南アフリカ連邦として統合され、大英帝国内の自治領としてオランダからの移民を中心とするアフリカーナーによる自治を確立した。翌1911年には、この自治政府により鉱山における白人・黒人間の職種区分と人数比を全国的規模で統一して白人労働者の保護を図る最初の人種主義法「鉱山・労働法」が制定され、その後もアパルトヘイトを徹底する方向での人種差別法の制定が続いた。
1948年にはアフリカーナーの農民や都市の貧しい白人を基盤とする国民党が政権を握り、国際連合の抗議やアフリカ人民評議会(ANC)などの団体の抵抗にもかかわらず、国民党はアパルトヘイトの維持に固執した。イギリスからも人種主義政策に対する非難を受けたため、1961年には英連邦から脱退して共和制を採用、国名を「南アフリカ共和国」に改めた。
1980年代後半になると、この隔離政策は国際社会から激しい非難を浴び、貿易禁止などの経済制裁を受けて経済的に行き詰まった。その結果、1991年に当時のデクラーク大統領はアパルトヘイト法撤廃を打ち出し、ANCなどの非白人解放勢力との長期にわたる交渉の末に、1994年に全人種による初の総選挙が行われて新憲法が制定された。ANC のネルソン・マンデラが民主化後初の大統領に選出されて、アパルトヘイトは完全に撤廃された。
南アはこの隔離政策のために1960年のローマ・オリンピックを最後に1992年にバルセロナ・オリンピックで復帰するまで長期間にわたってオリンピックからも追放されていたが、2010年にはサッカーのFIFAワールドカップを主催するほどに国際社会への復帰に成功している。
アパルトヘイトが撤廃された21世紀になっても、アパルトヘイトが生み出した教育格差が残っており、依然として人種間の失業率格差は解消されていない。アパルトヘイト時代に教育を受ける機会を得られなかった国民は、炭坑労働者など、雇用が不安定な業種にしか職を求めることができなかったからである。しかしながら、撤廃後16年以上が経過し、教育を受ける世代が一巡したことで、白人・黒人間の失業率格差は縮小しつつある。一方で、隣国のジンバブエからの移民が急増し、国内に住む黒人の失業率が増加したため、大規模な移民排斥運動が起こっている。さらに、黒人優遇政策により、これまで要職に就いていた白人が押し出されて、白人の失業率が上昇するといった現象も起きている。
南アはアフリカ大陸では最大の経済大国であり、アフリカ唯一のG20参加国である。南アの主要経済指標は表2に掲げたとおり、実質経済成長率は1994年の民主化以降徐々に高まり、2008年まで4年余りは5%前後で推移した。先進国と比べるとかなり高い成長率であったが、BRICS5ヵ国の中では、ブラジルをやや上回っているものの、10%を超える中国と7%前後のインドやロシアなどに比べれば見劣りする。
南アの経済成長の原動力のひとつは、豊富な天然資源の輸出にある。金の生産量は中国に抜かれ世界2位になり、ダイヤモンドも世界5位に落ちているが、金よりも希少なプラチナでは世界生産量の約77パーセントを占めている。これらの天然鉱物資源は、近年の商品価格高騰の恩恵もあって、南アの外貨獲得源となっている。資源をベースにした経済成長という点では、ロシアやブラジルと同じタイプの国である。
もう一つの原動力は、南ア国内の内需拡大にある。これは、20世紀には貧困層であった黒人層からも富裕層や中間所得層が増えてきており、彼らの購買力増加が経済成長に寄与している。また、海外から南アフリカへ進出する企業も増えており、経済拡大に寄与している。もっとも、内需拡大は現状では富裕層中心に限られているが、大量の貧困層の人々が職にありつけば、南アの内需は爆発的に拡大する。そのためには、25%を超える高い失業率を改善することが急務であり、この失業対策が政策の柱となっている。
2010年通年の経済成長率は前年比+2.8%のプラス成長であったが、2010年10~12月期の実質GDP成長率は前期比年率+4.4%と加速、景気先行指数からも先行きの生産の回復が期待され、今後も堅調な景気拡大が見込まれている。サッカーW杯後の大規模ストで景気は足踏みしていたが、スト収束後の生産拡大や資源価格高騰による交易条件の改善が景気を押し上げている。
金融面では、ランド高による輸入物価の下落により、物価上昇率は鈍い基調にあり、金融当局は2010年中に計3回の利下げを実施して景気を下支えしてきた。他方、昨年春よりマネーサプライは拡大に向かい、国際商品市況高騰による食料品やエネルギー価格の上昇から、足元の物価上昇圧力は高まりつつある。
政府は今年度も拡張型予算を継続する方針で、今後3ヵ年でインフラ投資などを通じて雇用拡大を図る一方、中長期的な潜在成長率向上を主眼に置いた歳入拡大で財政赤字の圧縮を目指している。⑤
2、南アフリカ共和国の人口問題
1996年に40,583千人であった南アの総人口は、表3にみられるとおり、その後14年を経て、2010年央に49,991千人となり、同年末には50百万人を超えた。年間の増加率は表4のとおり、2002年の1.4%から2010年には1.06%へと漸減、増加のペースは鈍っている。これは表3にあるとおり出生者数が減少傾向にある一方、死亡者数は増加傾向にあることが主因であるが、総人口には自然増減に加えて移民の流入増が大きく影響している。
移民については、近隣諸国おもにジンバブエからの不法移民が1970年代から活発化し、民主化後は政府が比較的寛大に難民を受入れてきた。南ア政府の発表では、1999年から2010年までの累計で、アフリカ人(黒人)の純流入が1.3百万人、白人の純流出が0.4百万人となっているが、実際にはこの間年間10万人以上の規模での流入が続いたものと見られている。人口統計にはその一部しか含まれていないので、総人口の実数はもっと多いとの見方が強い。
不法移民数についての南ア政府推計は一切発表されていないものの、いくつかの機関の推計では2百万人から4百万人と言われており、米国のCIAは3.6百万人と推定している。さらに、CIAは南ア国内での不法移民排斥運動が激化したため、昨年からはジンバブエからの大量流入が流出に逆転したため、2011年には人口減になるものと分析している。⑥ 南アの国勢調査は2001年以降行なわれておらず、2011年に行なわれる調査の結果次第で総人口は大きく修正される可能性がある。
平均寿命(出生時の平均余命)は1996年には57歳(男女合算)であったが、表3および図2に見られるとおり、その後は低下を続け、2006年以降は若干改善傾向にあるものの、2010年には男性53.3歳、女性55.2歳となっている。この水準より低い国はナイジェリア、ジンバブエなどアフリカ諸国以外にはほとんど見当たらない。男女間の性別平均寿命格差はロシアでは13歳と大きく、OECD平均で6歳弱であるのに対し、南アでは2歳程度と小さい。図3に示した南アとロシアとの顕著な男女間の違いが、どのような社会環境の差違によるものか、興味深い課題である。
年間の出生者数は減少傾向にあるものの、一人の女性が生涯に出産する合計特殊出生率は、表4のとおりいまだに2.4と日本の2倍近く高い。15歳未満・65歳以上の小児・高齢者率は表4(歳右欄)のとおり16%にまで高まってきたものの、15~64歳の労働力人口は84%と依然として高い。南アの人口問題は乳幼児期と若年層の死亡率が異常に高い点に絞られる。
国民の健康水準や平均寿命は狭義の医療セクターの充実度だけではなく、社会インフラや教育の状況に大きく左右される。教育水準については、2000年当時においても南アの成人識字率84%、初等教育総就学率100%、中等教育総就学率95%と極めて高い水準にあるうえに、顕著な男女格差も見られない。
また、感染症に影響する安全な水および適切な衛生設備へのアクセスについても、全国民の9割近くは不便を感じていない。さらに、国民の栄養状態に影響を与える食糧も豊かで国民一人当りのカロリー摂取量は2,900カロリーを超えている。このように平均値は高いにもかかわらず、健康水準全体の改善に繋がらない理由としては、社会階層間の格差が大きいことが指摘されている。⑦
南アが直面する最大の人口問題は総人口比の死亡者数が多過ぎ、かつ2000年に入って死亡者数が漸増傾向にあることである。その原因の第一は、表4(第3欄)に掲げた「新生児千人当たりの1歳までの乳幼児死亡数」の多さである。この乳幼児死亡数46.9人(2010年)は、若干改善傾向にはあるものの、先進国でもっとも低い日本の2.6人は別としても、ロシアの8.5人、トルコの17.0人(いずれも2008年)などと比べても異常に高い。問題の第二は、図3に見られるとおり、30歳から34歳の成年期にかけて死亡者数が急増、この若年層の30歳前半世代が死亡者数のピークとなっていることである。図3の下に<参考>として掲げた日本では、この死亡者数のピークは85歳前後となっており、南アとは50歳もの開きがある。
南アにおいて若年層での死亡がきわめて多いのは、エイズや結核罹患率がきわめて高いことにあるが、その眞因として挙げられているのは所得格差の大きさである。図4に掲げたとおり、南アの所得格差はジニ係数で0.7と世界主要国の中でもっとも大きい。同じ新興国のブラジル、中国、インドに比べても格段に大きく、OECD平均の2倍以上の大きな格差となっている。ジニ係数は不平等さを客観的に比較する際の代表的な指標の一つで、0から1の範囲で、係数の値が0に近いほど格差が少なく、1に近いほど格差が大きい状態であることを意味する(日本のジニ係数は上昇傾向にあるが、2000年代では0.2以下でスエーデンと並んでOECDでもっとも低い)。⑧
しかも、南アの所得格差は1990年代に比して2000年代にはさらに拡大している。このように大きな所得格差が生じる最大の要因は若年層の高失業率にあるものと見られている。21歳から30歳の階層の失業率は1993年の20%から2008年には33%にまで上昇している。人種間の失業率格差は縮小傾向にあるものの、それでも全体の失業率で見ると2008年にはアフリカ人27%に対し、白人10%と大きな差があった。所得格差に起因する若年層の高死亡率は生活環境や医療体制とも密接に関連している。
統計が入手可能な最近3年間の主要な疾病別の死亡者数は表5のとおり、主要10疾患が総死因の約1/2を占めている。この主要疾病名は、表6に見られるように日米などの先進国とはもとより、ブラジル・ロシアなどの新興国とも顕著な違いがある。ロシアとの対比で見ても、南アの結核は7倍、エイズは40倍と多く、逆に南アのがんはロシアの1/3、自殺は1/50と少ない。以下におもな疾病についてその要因を観察したい。
(1)エイズ(Acquired Immune Deficiency Syndrome, AIDS、後天性免疫不全症候群)
エイズはヒト免疫不全ウイルス(HIV)が免疫細胞に感染し、免疫細胞を破壊して後天的に免疫不全を起こす伝染力の強い疾患で、1980年代以降に急増した。
HIVウイルスの感染経路は性行為や出産時の母子感染、輸血時や麻薬のまわし打ち時の血液感染などであるが、多くの人は急性感染期を過ぎると症状が軽快し、5~10年は無症状で過ごした後に発病する。この病気の原因となるウイルスがHIV であり、感染してからおよそ10年で免疫機能を壊し、いろいろな病期を経てエイズという最終病期にいたる。つまり、エイズはHIV感染の結果、微生物や病原体に対する体の抵抗力が機能しなくなる疾病で、HIVウイルス保有者が発病した最終状態ということである。
これまでに様々な抗HIV薬が開発され、薬効も著しく向上しているが、完治・治癒に至ることは困難とされ、抗ウイルス薬治療は一生継続する必要がある。⑨ もっとも、体内のウイルス量を低く保ち、免疫機能を正常に近いレベルにまで回復させることはできるようになり、HIV感染を「死刑宣告」から「共に生きることの出来る病」に変えたといわれる抗レトロウイルス薬(ARV、anti-retroviral drugの略)のジェネリック化も進んでいる。先進国ではエイズによる死亡者を激減させたこのARVを南アでも低価で大量に供給できるようになれば、エイズ治療が劇的に改善される可能性がある。⑩
エイズは1981年に最初の症例が報告されてからわずか10年程度で、世界中の感染者数が1.0百万人にまで広がり、2009年現在では33.3百万人に達したものと推定されている。ただし、HIV感染者数33.3百万人に対し、エイズによる年間の総死亡者数は1.8百万人程度に留まっている。また、世界的なエイズの流行は2000年までにピークを迎え、新規感染者数は2001年の3.1百万人から2009年の2.6百万人へと19%ほど減少している。⑪
南アのHIV感染者数は、表7のとおり人口の10.9%を占める5,318千人と、全世界の16%を占め、一国として最大の規模である。南アにおいてもHIV感染者数は、2000年まで増え続けたが、2000年代に入ってようやく横這いないしは若干減少に転じている。ことに表8の最上段にある母子感染による14歳以下の小児の感染比率が大きく低下しているのは注目される。この感染比率推計は、南ア政府が15千所帯、約34千人を対象に対象者の64%からHIV検査の同意を得て3年ごとに行なった悉皆調査によるもので、推計値の信頼度は高いものと見られている。
しかしながら、南ア保健省が2009年に行なった全妊産婦検診時の検査結果をとりまとめたHIV感染者比率は表8に掲げたように、全国平均で30%弱と表7の感染比率よりかなり高い。表8は対象者を15歳から49歳の妊産婦に限定した調査結果であり、全国民についての比率よりはかなり高くなるのは当然ではあるものの、それにしても表7の全国民平均10.9%(2008年)は過小推計との見方も強い。国連は独自に南アの感染者数を5.7百万人、人口の12%(2007年)と推計している。⑫
南アのエイズによる年間死亡者数については、大きく異なった公式統計が二つ存在する。HIV感染者の死亡をすべてエイズによる死亡と見なした表3の統計では、毎年300千人内外がエイズにより死亡、総死亡者数の40%強を占めている。この統計によると、南ア国民の疾病別死因としては「エイズ」が他の疾病を大きく引き離して断然首位である。全世界のHIV感染者数33.3百万に対し年間死亡者数1.8百万人(感染者18.5人に1人)という国連エイズ計画推計の比率を南アに当てはめて算出すると、やはり年間300千人前後となり、このエイズによる死亡者は妥当な数字である。
これに対し、表5に掲げた医師の死亡診断書をベースとした疾病別統計でのエイズによる死亡者数は、15千人前後とあまりにも少ない。
いずれも南アの公式統計であるエイズ死亡者数が20倍も大きく食い違っているのは、エイズという疾病の特性にある。一つには、エイズは直接の死因となる疾病名ではなく、その前提となる免疫不全の後天的体質であって、死因として一つの主病名を特定できない事情がある。HIV ウイルスによって免疫不全となり、その結果として肺炎とか結核といった通常の疾病に罹患して死に至るのである。たとえば、肺炎の場合、若者は肺炎に罹っても肺炎球菌に対する強い免疫力を持っているために、肺炎で死亡に至るケースはきわめて少ないが、HIV感染によってこの免疫力が奪われると、肺炎球菌に感染すると簡単に亡くなるという構図である。
したがって、HIV感染者が肺炎で亡くなったケースの診断病名を「肺炎」とすることは必ずしも間違いではない。また、医師自身、患者がHIV感染者であることを認識していないケースも多い。エイズによる特徴的症状としては、肺炎や結核、一部のがんなど23の疾患が挙げられており、複数の合併症が重なることも多い。
もう一つは、エイズの烙印を避けてほしいという家族などからの強い要望があり、さらにはHIV感染の事実を生命保険会社に告げていなかった場合には、死亡診断書に死因をエイズと明記されると保険金が支払われないという切実な不都合もある。Medical Research Council of South Africa(MRC)という医療調査機関が2000年と2001年に交付された死亡診断書の12%について再検証を行なったところ、診断書上の死因が結核のうち43%、呼吸器疾患のうち32%の主病因はエイズであったとする調査報告書を出しており、ほかにも同様の推計が報告されている。⑬
エイズが南アにおいて他の新興国や途上国以上に急速かつ広範に蔓延した背景として、南アの大きな所得格差や性風俗の乱れ、生活環境整備の遅れなどが挙げられている。これらの理由はそれぞれもっともではあるが、一方で南アの医療水準は高く、医療費支出のGDP比も高いので、適切な政策対応がなされていれば、これほど酷い状況に陥ることはなかったであろうとの指摘も多い。
南アにとって不幸であったのは、民主化後初のネルソン・マンデラ大統領に次いで1999年6月から2008年9月まで9年余にわたって国家元首であったタボ・ムベキ大統領がエイズ否認主義者であり、さきに述べた抗レトロウイルス薬(ARV)治療の普及や公費支援に否定的であったことである。エイズ否認主義者は、エイズがHIVウイルスによって発症するという科学的知見を認めず、逆にエイズに効くARVは有害で、HIVウイルス原因説はその薬を作っている大手製薬会社の陰謀であると主張している。
最近出版された米国の心理学者セス・C・カリッチマン著「エイズを弄ぶ人々」によれば、この著者はムベキ元大統領がエイズ否認主義者であったことにより増加したエイズによる死亡者数を2.6百万人以上と見積もっている。⑭ 否認主義者の中には、優れた研究者やジャーナリストも多く、このような理不尽な主張が罷り通ったのは、迫害や差別が日常茶飯であった南ア社会で陰謀説が流行し易い土壌があったという不幸な歴史的背景があったとはいえ、人類の悲劇としか評しようがない。
2009年5月に元首となったジェイコブ・ズマ大統領は、就任後ただちに「2011年までに国内のHIV陽性者の80%がARV治療を受けられるようにし、同年末までに新規感染者数を半減させる」というエイズと闘う南ア政府としての明確な政策目標を表明した。このための追加予算を9億ランド(約113億円)計上、モツォアレディ保健相がHIV/エイズの予防・治療・管理についての具体計画を発表している。⑮ このような施策が強力に進められれば、南アのエイズ撲滅作戦もようやく軌道に乗るものと期待される。
(2)結核
表6にあるとおり、南アの結核による死亡率は人口10万人当り149.3人と、ロシアの21.5人、ブラジルの3.0人に比しても格段に高い(日本は1.8人)。これを結核罹患率で見ると、南アは10万人当り960人と、ロシアの107人、ブラジルの46人に比して群を抜いて高くなっている。
南アには、全世界でHIVと結核に二重に感染している人々の50%が住んでいると言われている。しかも、従来の結核治療薬に耐性を持つ結核菌が流行し始めており、これは免疫系がHIVウイルスによってダメージを受けると結核菌に感染し易くなるという事実とも関連している。結核は適切な治療を行なえば完治する疾病となっているにもかかわらず、南アでは結核発病後平均25日で死亡するといった地域があることも報告されている。これはHIV感染者のケース以外には考えられず、結核はエイズ同様にHIV感染の結果にほかならない。
したがって、南アにおいては結核とHIV感染とは同時に対策を講じなければならない特殊な疾病となっている。これを踏まえて、これまで別個に対応してきたHIV感染と結核を統合するための新政策も打ち出されている。⑯
(3)肥満
南アには飢餓で栄養失調に陥っている人も存在するが、国民全体としての健康上の問題はむしろ肥満の増加にある。表9の国際比較に見られるとおり、南アの過体重成人は男性59%、女性67%と米国並みに多く、BMI30以上の肥満者(日本の呼称では超肥満者)も女性では35%とやはり米国並みに多い。エイズや結核に加えて、心疾患、糖尿病、高血圧などの慢性疾患が死因の上位にランクされているのは、この肥満の多さが原因となっている。
肥満の増加は都市化の急進展により、これまでの自然食中心から安価なファーストフードや油脂分の多い食べ物が多くなってきたためと考えられている。これに加えて、南ア人は肥満を健康によくないとは認識せず、豊かさと権力が体のサイズにも反映し、むしろ「太り過ぎはよいことだ」という意識が根強いことが肥満の増加を助長している。ことに黒人女性は肥満体を美しくて魅力的と考えているため、成人女性の過体重の比率は67%と世界一高い。さらには、エイズや結核はやせ細って死に至る病であるため、太っていることは「エイズに罹っていないことの証明」となるといった誤った意識が蔓延しているのも問題である。⑰
参考引用文献一覧
① ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wikiの記述などから筆者が構成
② 2010年12月24日、ロイター記事http://jp.reuters.com/article/worldNews ③ WHO, World Health Statistics 2010、 http://www.who.int/whosis/whostat/2010/en/index.html
④ 2010年2月4日、毎日新聞国際欄「中国経済」
⑤ 2011年3月2日、第一生命経済研究所「経済レポート」 http://www3.keizaireport.com/report
⑥ CIA Fact-book https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook
⑦ 2000年12月、瀧澤邦雄著JICA、南部アフリカ援助研究会報告書第2巻第5章p93
http://www.jica.go.jp/jica-ri/publication/archives/jica/country/2002_01.html
⑧ 2010年、OECD報告書 "Tackling Inequalities in Brazil, China, India and South Africa"
⑨ ウィキペディア「後天性免疫不全症候群」、http://ja.wikipedia.org/wiki
⑩ オックスファム・ジャパン・スタッフ・ブログ、http://www.oxfam.jp/staff_blog/2010/05/post_103.html
⑪ 2010年11月、国連合同エイズ計画(UNAIDS)レポート「世界のエイズ流行」2010年版
⑫ 国連合同エイズ計画(UNAIDS)レポート、http//data.unaids.org/pub/Global Report/2008
⑬ HIV and AIDS statistics for South Africa, http://www.avert.org/safricastats.htm
⑭ 2011年1月31日、化学同人社刊セス・C・カリッチマン著野中香方子訳「エイズを弄ぶ人々」p283
⑮ 2009年6月3日、Bus News, http://allafrica.com/stories/200906030837 html
⑯ 2010年11月3日、BUSINESS Day"New one-roof policies on TB,HIV/AIDS are challenging"
⑰ 2009年11月2日、Newsweek、http://news.goo.ne.jp/article/newsweek
(医療経済研究機構 副所長 岡部陽二)
(2011年5月10日、医療経済研究機構発行「医療経済研究機構レター("Monthly IHEP")」No.197号 2011年5月号 p23~35所収」