出席者: 尾崎重毅氏(医療経済研究機構前理事長)
宮澤健一氏(医療経済研究機構所長)
幸田正孝氏(医療経済研究機構副所長)
上條俊昭氏(医療経済研究機構前専務理事)
司会: 岡部陽二(医療経済研究機構専務理事)
医療経済研究機構レター(月刊誌;Monthly IHEP)100号記念企画として、今月号は5月31日に行なわれました記念座談会『医療経済研究機構の将来展望』を掲載します。
医療経済研究機構が発足時から現在までに果たしてきた役割、さらに将来へ向けての課題等に関して、機構発足当初から研究機構の運営に深く関わってこられました方々からお話を頂きました。
〇 「医療経済研究機構」発足の経緯
岡部 最初に、医療経済研究機構発足の経緯についてお聞かせいただけますでしょうか。研究機構は1993年の7月に設立準備に入り、10月には設立と同時に、この「医療経済研究機構レター・第1号」が発刊されております。
このように短期間で本邦初の医療経済専門の研究所を立ち上げられるのには、種々なご苦労があったものと思いますが。
尾崎 当時、私は(財)社会保険福祉協会の理事長であり、社会保険福祉協会が年金の転貸融資だけを行なっているということに、大変不満を持っていました。何とか、有益な公益事業を立ち上げたい、と考えていました。そこで、どのようなことをなすべきか幸田さんに相談しました。
幸田 私が長年にわたりヘルスケアポリシーの立案・実施に携わって痛感したのは、さまざまな利害関係者がそれぞれ主張はされますが、やや科学的な裏付けや根拠が乏しいのではないか、ということでした。
また、日本の政策決定過程が少しずつ変化をしつつあるのではないか、ということを感じていました。これからは、政策決定過程は透明性を持ってやらなければならない、そのためには政策研究機関がどうしても必要だ、と思いました。
実際、欧米とくにアメリカやイギリスでは、大学には医療経済学の講座があり、また、政策提言を行なうシンクタンクも多数あります。各シンクタンクからさまざまな報告・提言がなされて百家争鳴の状態の中から政策が形成され、それが議会や役所に影響を及ぼすということは、アメリカではごく普通のこととなっています。
日本でも、いずれはこのような状態にならなければならないのではないか、と考えたのが医療経済研究機構を設立しようとした動機なのです。
岡部 一昨年度に医療経済研究機構では各国の医療政策の決定過程に関する比較研究を行ないましたが、欧米、ことに米国では政府や議会の提案に対し民間のシンクタンクがその政策の基礎となる事実や計画の妥当性に具体的に反論し、喧喧囂囂の議論が展開されています。
日本は政策決定の基となる根拠に乏しいのが確かに問題です。また、政策決定過程の透明性の確保という点は、重要なポイントです。
〇 機構発足後に、調査研究に取り組んだ内容について
尾崎 私は、発足後の機構の役割としては、まずは調査研究を行なうことを第一の役割とし、政策提言は第二の役割と考えました。発足当初は政策提言を行なうところまで実力はありませんでしたから、まずは調査研究に注力して実力をつける体制を作ることを優先しました。
そのためには、調査研究のテーマとして何を取り上げるかが第一の問題、第二は調査研究後にどのような効果的かつ効率的な結果が生み出せるかの検証を行なうことが重要だと考えました。この二点に関し、理事長ミーティングの場で私は大いに主張したことを今でも覚えています。
上條 尾崎さんが、「調査の基となる統計や基礎的データをきちんと集めて欲しい」と何度もおっしゃられたことを私もよく覚えています。「基礎データとして何を集めるか」ということを考えた結果、一つには国民医療費について研究しようと考えました。この研究は、ずっと慶応大学経営大学院の田中滋先生に引き続きご指導いただいています。最近では、OECDのSHA(System of Health Accounts)につながっています。
もう一つは、宮澤先生が長年にわたり産業連関の研究をされてきたこともあり、産業連関の中で医薬品事業、あるいは医療関係全体のヘルスサービスをどのように位置付けるか、の研究を行なってきました。医療経済研究機構発足後、産業の中における医療産業の位置付けと、国民経済における医療費の位置付けについては、世間一般の認識がかなり改まってきているのではないか、と感じています。
宮澤 従来までの医療の研究は、制度的な問題面に集中しがちで、他方の機能的な面の解明が非常に足りないという点、また、データの基礎がはっきりしないということ、この二つの難点がありました。上條さんがおっしゃられた、機能的な分析とデータの拡充面で、機構が一つの仕事を拓いてきたということは重要な点だと思います。
上條 もう一つ機構発足当時から引き続き研究を行なっているテーマとして、診療報酬の問題があります。これまでも何度も改定は行なわれていますが、もっと体系的かつ統一した理念に基づいた診療報酬体系を再構築すべきであるという考え方から原価計算やDRG/PPSの研究を行なってきました。
岡部 診療報酬体系の体系自体の見直しが医療制度改革の重要なテーマとなっております。この議論には医療経済研究機構の今までの研究成果も生きてくるでしょうし、これからやるべきことも増えてくると思います。
〇 今後の機構の果たすべき役割について
岡部 今後、医療経済研究機構が果たすべき役割としては、どのようなものがありますでしょうか。
宮澤 今まで機構が行ってきたのは、先発シンクタンクとしての先駆的、先導的な役割だったと思います。しかし、機構発足後にこの分野に関する研究機関が複数でき、機構発足当時とは状況が変わっていることを踏まえて切り替えていかなければならないと思います。当初は先駆的・先導的であった研究領域もかなり一般化しましたし、相互討議の必要な領域も生まれていますから、今後はどのような側面に重点を置くか、領域全体を体系的に見渡しながら、優先順位付けが必要となってくると思います。
幸田 今の医療経済研究機構で当初考えていたのと違っているのが、研究員の養成に関する点です。当初は大学と医療経済研究機構がうまくつながり、大学から研究者が医療経済研究機構へ来て、機構からまた大学へ帰るという流れを考えていたのですが、どうもうまくいきませんでした。
この点は、研究の質を決めることにもなりますので、どうしたら研究の質を高められるのか、またそのための研究員をどのような方法で養成していくのか。この問題は、医療経済研究機構にとってこれからの重要な課題だと思います。
それからもう一つ、医療に関する情報バンクとしての役割があります。これだけIT化が進んだ現状では、医療経済研究機構が医療に関する情報バンクとして役割を果たすことは、それほど大きくはないかもしれませんが、もう少しこの分野にも注力する必要があると思います。
宮澤 医療経済研究機構に限らず、この分野の研究者が育たない大きな要因は、二つあると思います。一つには、この分野は制度が複雑で変更が激しいため、研究者が制度を一通り理解し参入するのに時間がかかることです。もう一つは、研究したことが政策決定のプロセスに反映するパイプが整えられていないため研究者がインセンティブを感じにくい、という面があるのかもしれません。
岡部 約8年にわたって機構運営に直接関わってこられた上條さんのお立場から、やらなければいけないと考えておられながら、やり残されたお仕事はありますでしょうか。
上條 幸田さんがおっしゃった研究員の養成については十分にはできませんでしたが、医療経済研究機構の初代の事務局長であった浜田淳さんは今信州大学の教授になりましたし、研究部長であった西田在賢さんは岡山大学で教授をされています。研究副部長をされた野口一重さんは現在日本福祉大学で助教授となり、また、調査部に在籍されていた森口尚史さんは東大で客員助教授をされるなど、数は多くはありませんが学界で活躍している人材が育っています。
宮澤 今後は大学と医療経済研究機構との間で、研究者の循環・交流が大切で、連携の「核」をつくっていくことが重要ですね。
岡部 現状では医療経済学に関する研究者が不足している状況ですから、当医療経済研究機構で養成して、機構出身の研究者が幅広く活躍できるような環境整備を心がけてまいります。
本日はご多忙の中お集まりいただき、ありがとうございました。今後とも、当医療経済研究機構へのご支援・ご鞭撻をお願い申し上げます。
(取材/編集:広森、石井)
(2002年7月1日、医療経済研究機構発行「医療経済研究レター(Monthly IHEP)」No.100号, p1~5所収)