個別記事

ベルリン工科大学教授 ラインハルト・ブッセ氏とのIHEP有識者インタビュー~「ドイツにおける医療制度改革とわが国への示唆」

061102.jpg  

 

話し手: ベルリン工科大学 保健医療管理学科 教授
ラインハルト・ブッセ氏
聞き手:医療経済研究機構 専務理事 岡部陽二

 今回は、当医療経済研究機構主催、(財)ユニベール財団、読売新聞社、マックス・プランク国際社会法研究所共催、健康保険組合連合会、(財)年金シニアプラン総合研究機構の後援で10月上旬に東京と箱根で開催されました「日独社会保障シンポジウムとワークショップ」に参加のため来日中のベルリン工科大学保険医療学科のラインハルト・ブッセ教授にドイツの医療制度改革問題に絞って最近の状況を中心にお伺いしました。
 ブッセ教授はドイツのマルブルグ大学で医学を学び、英米へ留学、ハノーバー医科大学で公衆衛生修士号を、マルブルグ大学で医学博士号を取得後、ベルリン工科大学で医療管理学講座を担当、現在は同大学の経済・経営学部長と保健医療管理学科長を務めておられます。
 研究分野は主に医療システムや医療保険制度の国際比較研究、医療サービスの費用効果分析、医療技術評価など多岐にわたり、ドイツ国内のみならず、EUやWHO、OECDなどの国際機関のアドバイザーなど多くの公職に就いておられます。

〇 日独社会保障シンポジウムとワークショップの意義

岡部 今回、先生は日独の医療・介護・年金分野における著名な研究者が参加された研究プロジェクトでの討議と公開フォーラムのために来日されました。この研究プロジェクトでは、両国における各制度の現状・問題点・改革のための政策に関するエビデンスを整理したうえで、「持続可能で国民に支持される制度」を構築するには、どのような政策が必要であるかを重点的に討議されました。
 本日は、その中でブッセ先生が担当されました医療分野に絞って、ドイツ側の事情を中心にお伺いしたいと思います。まず、最初に討議を通じて浮き彫りにされた日独共通の政策課題にはどのような点が挙げられたのか、お教えください。

ブッセ 日独に共通するテーマはたくさんあります。それは単に、日独の医療保険制度が似ているからだけでなく、双方の社会とも高齢化が進んでいるためです。その結果、求められる医療サービスの内容が変わってきていることや医療提供者のあり方の問題にも共通の課題があります。
 さらに、両国ともに財政基盤の安定化が問題になっています。ドイツでも、高齢者には年金収入しかないことが疾病金庫の財源不足につながっていますし、高い失業率が保険料収入の伸び悩みの原因となっています。このように日独ともに、誰が医療費を負担すべきなのか、保険料の雇用主負担を減らして被保険者が多く払うべきなのか、それとも患者がもっと自己負担を増やすべきなのかという議論があります。
 また、どのように財源を確保するかというお金だけの問題ではなく、医療サービスの質、すなわち支払っている額に見合うだけの医療サービスの質が確保されているかどうかということも日独双方で問われるようになっています。

岡部 ドイツ国民の医療制度に対する信頼度やサービスの質に対する満足度は比較的高いものと聞いておりますが。

ブッセ いや、そうでもありません。他のヨーロッパ諸国と比べると、ドイツよりもっと満足している国があります。英国の不満度は高いかもしれませんが、デンマーク、オーストリアはかなり満足していると言えるでしょうし、フランス、オランダの方がドイツより多少満足度が高いようです。また、誰にその質問をしたのか、保険料を払って制度を支えている人に尋ねたのか、病院に通って制度の恩恵を受けている患者に尋ねたのかでも答えは違います。医師にかかっている病人はドイツでも比較的満足しています。
 しかし、医師にかからずに済んでいる健康な人たちは、自分たちが支えている医療システムに疑問を持っていると言えるでしょう。
 日独米の医療サービスの質のレベルを比較するとなると、そのためには同じ尺度が要りますから、どちらが優れているかは一概には言えません。大病院だけを見ると、米国の方が高度な医療を提供しているかも知れませんが、平均すると必ずしもよいとは言えないでしょう。米国では、病院によって目指すところが違うのです。日独では誰でも質のよいケアを得られるようにすることを目指していますが、米国ではそうではありません。
 ドイツでは、国民が医療に要する費用だけでなく、質が保証されているかどうかを気にするようになってきました。この点に関する国際比較はデータもなく、いくつかの満足度比較調査は行なわれているものの、調査に用いる質問項目にもよるので、一概に優劣をつけるのは困難です。ですから、私はあえてどの国の質がよいとは申さないことにしています。

〇 ドイツにおける医療制度改革論議の焦点

岡部 ドイツでは、昨年秋に政権が交代して、キリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)のメルケルが首相となり、シュレダー前首相の率いる社会民主党(SPD)との連立内閣が成立しました。
 この内閣では、医療制度改革を巡るCDU/CSUとSPDとの対立が鮮明となり、議論を重ねた結果、①来年度は保険料を0.5%引上げ(50億ユーロの増収)、2013年まで固定する、②2008年に「医療保障基金」を創設し、30億ユーロの税金投入を行なうなどの最終的合意が成立したものと承知しております。2007年度には70~100億ユーロの赤字が見込まれる医療保険財政は当面これで改善するとして、長期的にはどのような課題が残されたのでしょうか。

ブッセ CDU/CSUとSPDの基本的な合意はできましたが、目下、細部を詰めている段階で、年内には何らかの改革法案が出てくるでしょう。
 保険料が一律に値上げされるように伝えられていますが、その言い方は必ずしも正しくはありません。というのは、すでに今日、250ある疾病金庫がそれぞれ違う保険料率で徴収しており、金庫の財政状況によって保険料率の値上げ率も異なります。将来的には、今より少し高くなるでしょうが、すべての金庫の保険料が一律に今より0.5%上がるわけではありません。
 医療への税金投入はこれが初めてではなく、これまでにも医療費についての税額控除の形での投入などは行なわれていました。ただ、今年からは30億ユーロの税金が直接疾病金庫に支払われます。ただ、さもないと、疾病金庫が潰れるというのではありません。そのかわりに保険料率を値上げせざるを得なくなるだけです。
 今、ドイツ国民は平均して所得の14%を医療保険料として支払っていますが、疾病金庫の支出は1400億ユーロですから、1%の保険料率が100億ユーロにあたり、この30億ユーロの税金の投入があれば、それがなかった場合に比べ、保険料率は0.3%少なくて済むことになるというわけです。
 昨年、財務大臣が医療にはもう税金を使わないと明言したのですが、結局、解決策として新たに税金を投入することになったので、分りにくい話です。

岡部 日本では税金の投入が今は33%程度ですが、将来は50%になるかも知れません。ところが、ドイツでは現状、税金の医療保険への直接投入は3%程度と少ない額です。ドイツ政府はこの税金投入を漸増させる方向に転換したと考えてよいのでしょうか。保険料中心主義からの転換に対する先生のお考えは。

ブッセ ドイツでは、これまで医療は社会保険だけでやってきましたが、最近では、より多く税金を投入するのがよりよい解決策であるというのが大方の意見です。民間保険と公的保険を合体させないのであれば、税金を投入するしかないと国民の多くも考えています。貧富の格差を是正するため、保険制度に税金を投入した方がよいというコンセンサスがあると言ってよいでしょう。連立政権は長期的解決法として、年間30億ユーロからやがて60億ユーロの税金投入をすると表明しています。

岡部 ドイツでは、日本のような公的な国民皆保険制度はなく、人口の約10%を占める高所得者や公務員は生涯「民間医療保険」に加入しています。昨年の選挙戦での医療制度改革論議で、SPDは公的保険と民間保険を統合・一元化した「国民保険(Buegarversicherung)」への転換を主張しました。
 最近では民間保険加入者の増加が顕著で疾病金庫の財政基盤弱体化に拍車を掛けているとも聞いております。確かに民間保険では高所得者が低い保険料負担で済むために、所得移転には寄与しないといった公平面での問題点もあります。「国民保険」は、この観点からの問題提起と考えられますが、先生はどうお考えでしょうか。

ブッセ ドイツでは、ビスマルクが医療保険を導入してから120年以上も経って国民皆保険がようやく議論されるようになりました。それも、3年前からです。旧東ドイツでは皆保険を実施していたのに、統一後はそれを廃止してしまいました。その際にも、国民皆保険という議論は全く聞かれませんでした。
 SPDは、現状では高所得者などが入ることのできない公的保険の定義を見直し、国民はみな同じ額の保険料を支払って一定の医療サービスを受けられるようにすべきであると提唱しました。それ以上のサービスについては、ニードに応じて受けられるように、別体系の保険料を設定すべきと主張しています。このような二階建ての保険制度が持続できるか、という点に議論は絞られています。
 私も国民皆保険に反対ではありません。現行の公的保険を上位10%の人にまで拡大するのが、それほど重要で、現実的かという程度の感想を持っています。それに、民間医療保険はドイツにおいては、ある種の生命保険のような意味合いもあり、老後資金でもあります。民間保険には1,000億ユーロの積立金がありますが、これは民間のものであって、これをただちに廃止することはできません。

岡部 ドイツの民間医療保険は、日本などでの公的保険の補完機能とは異なり、公的保険と並ぶ根幹的な制度として定着しているのですね。

ブッセ そうです。まず、ドイツの民間医療保険は、法律で医療保険しか営業できないと定められています。他国とは異なり、損害保険も生命保険も兼業できません。総数で50社ありますが、半数が営利目的の業者、半数が非営利の事業者です。大規模な保険会社の子会社というところがいくつかはありますが、法的には独立の別会社です。
 加入者の保険料の支払方式も異なります。公的保険では収入に応じて保険料を支払いますが、民間保険ではリスクに応じた掛け金となります。積立金は運用されますが、運用益は大部分積立金に加えられるので、保険料率の値下げには結びつきません。
 また、医療機関に支払われる診療報酬も民間保険と公的保険とでは異なります。現状、民間保険で支払われる報酬には差異がありますが、公的保険ではありません。そこで、監督官庁は10年から15年かけて、まず診療報酬の支払方式一元化を進めることを考えています。

岡部 公的保険と民間保険で受けられる医療サービスの質に違いはないのでしょうか。

ブッセ 公的保険と民間保険の加入者が受ける医療サービスの質の違いは議論の的です。二層に分かれているという見方をすると、民間の方が受けられるサービスが豊富で、質もよいのではないかと考えられ勝ちですが、それは早計かも知れません。疾病金庫は患者が受ける医療の質を監視しているのに対し、民間保険の場合には、だれも監視していません。
 予防や健診についても、疾病金庫の管理の方がしっかりしています。そこで、民間保険で受ける医療サービスの方が悪いこともある、という意見もあながち否定できません。一元化の議論は、財源面からだけでなく、こうした医療サービスの質の面でも、二つの異なった制度を続けていくのはよくないという観点からも重要です。
 政府が考えている統合の方向には、法律により二制度を合体するという方法と、もう一つは公的保険だけはしっかり監視したうえで、よい質が保たれていると宣伝し、国民が民間より公的の方を選ぶように誘導するという方法、この二通りがあります。

岡部 一方、CDU/CSUは「人頭定額保険料(Kopfpauschale)」を主張しました。これは、個人はすべて一人当たり月169ユーロの保険料負担で、企業の従業員については60ユーロを企業が負担する。低所得者や扶養家族については、国が補助金を出すといった案と聞いております。受益者負担の観点からは望ましい案かと思われますが、社会保障である以上、所得移転が連帯の基本ではないかと考えられ、かなり企業寄りの印象を受けます。この点、先生はどう見ておられるのでしょうか。

ブッセ 人頭定額保険料では、所得移転が起こらないのではないか、というお尋ねですが、考え方によってはそうとも言い切れません。あとから、CDUは修正し、雇用主は賃金に基づき疾病金庫に対し直接保険料負担をする、としました。CDUの案自体、二転三転したので、どの案がオリジナルの案だったか混乱しています。
 選挙では、雇用主が賃金の一定率の保険料を支払い、被雇用者が人頭保険料というかたちで定額を支払うという案に変更になりました。CDU/CSUは、現状では保険料が源泉徴収なので、被保険者にコストの実感がないが、この案では医療のコストが見えるようになる点がよいという議論を展開しました。
 この方式では、確かに被保険者は定額を支払うだけですから、所得移転は限られたものでしかありません。ただ、低収入の人は税金で補填されます。そこで、民間保険に入っている高収入の人から徴収した税金によって、公的保険でカバーされているより貧しい人々に補助をするという連帯の構図は成り立ちます。ただ、この提案は大連合になった時には、すっかりお蔵入りでした。実のところ、選挙公約でも支持されなかったので、実現はしないものと見ています。

〇 疾病金庫の統合と金庫間の競争

岡部 ドイツの公的医療保険は、現在229の企業疾病金庫、17の一般地区疾病金庫などの疾病金庫(日本の国保・政管健保・組合健保に相当)によって運営されています。かつては1,000を超えていた金庫数は、1993年以降統合により急激に減少、2004年には総数で300を割って、将来的には、50金庫くらいに集約されようとのことです。統合の効果を、どのように評価しておられるのでしょうか。

ブッセ 連邦全体の疾病金庫の数は、最終的には30-50金庫で充分だと厚生大臣は言っています。100くらいに留まるかもしれませんが、今より減るのは確かです。そうなった場合、金庫間での競争が減るのでは、という懸念ですが、現在でも250ある金庫すべてが選択の対象となるわけではありません。
 現実的にはどこに住んでいるかで異なるものの、80-100くらいの中から選択できる程度です。100残るとすれば、その地域限定の金庫は10くらいで、90は全国をカバーしている金庫になりなす。その100金庫の中から選ぶことになり、これが50に減ってもあまり変わらないと言えるでしょう。

岡部 ドイツでは加入者に疾病金庫選択の自由が認められ、保険料率の水準も金庫によって異なるため、金庫間の加入者獲得競争も激化しているものと聞いております。加入組合の選択は認められず、保険料も組合の種別ごとに原則一律である日本では想像がつかない状況ですが、公的保険のもとでの疾病金庫間の競争は、具体的にはどのような形で行われているのでしょうか。また、保険料の格差はどの程度あるのでしょうか。医療給付の内容には差が無いものでしょうか。

ブッセ 疾病金庫同士の競争に関しては、実は、1996年以前から、多くの人に選択の自由があったのです。1995年まではブルーカラーとホワイトカラーとでは扱いが異なっていました。ビスマルクの時代に遡るブルーカラーにだけ適用される法律があったためです。
 これによりブルーカラーが所属する金庫は決められていましたが、ホワイトカラーは地域ごとに組織されている地区疾病金庫(AOK)でもそれ以外の金庫でも自由に選べたのです。人口の50%以上であるホワイトカラーに選択権がある以上、残りの人たちにも選択権を与えるようにするのは、平等という観点から当然でした。
 1990年代始めからもうひとつ大きな変化が起こっていました。疾病金庫が自助組織ではなくなり、たとえば銀行出身の人を雇って、専門的運営ができるようになったのです。1990年代になって、ドイツでは全員に平等に金庫の選択権を与えるのか、それとも選択権をまったく放棄させるのか、という二者択一を迫られたのです。ただ、外から見ると大きな変化に見えたのかも知れません。

岡部 そのように被保険者が自由に疾病基金を選べるようになると、金庫間の競争によって制度がよくなり、国民も歓迎するのでしょうか。

ブッセ 被保険者が疾病金庫を選べるために、被保険者が金庫に圧力を加え、経営陣の刷新を迫るなどの動きが可能になります。疾病金庫は保険料の面でも熾烈な競争をしています。
 ヨーロッパ各国の医療保険制度をみると、半数は選択がある方がよいとし、オランダ、ベルギー、ドイツ、スイスはそうしています。一方、フランス、ルクセンブルグ、オーストリアなどは選択をさせない、と半々です。選択推進派の理論は立派に聞こえますが、実際問題としては、競争が医療保険の質を向上させているかどうかは疑問です。

岡部 日本でも、保険組合を各県単位に統合する一方、組合間に競争原理を導入することによって保険料率が下がることを期待する向きもありますが、これについてはどう考えられますか。

ブッセ ドイツでも一部の人は被保険者に金庫の選択権があるから、被保険者の構成の違いを調整するリスク調整システムがあると思っていますが、そうではありません。この二制度が同時に導入されたので誤解されていますが。
 日本にとって大切なのは、選択制を導入するにしても、しないにしても、まず、保険組合間のリスク構造調整制度の導入が必要であると思います。リスク構造調整をして健保組合間のリスクを平等にしなければなりません。組合を選択できるようにするのがよいかどうかは別問題だと思います。なぜなら、ドイツでも疾病金庫の選択が効果的かどうかは、経験的に確かめられていませんから。
 ドイツでは、リスク調整を行なったうえで、疾病金庫同士を競わせることによって効率性を高める政策がとられてきましたが、この政策の結果として、逆に疾病金庫の自治能力が弱まり、医療の国家管理が強化されるのではなかろうかという懸念も強まっています。

〇 診療報酬の総額規制と医療サービスの質の評価

岡部 ドイツでは、外来の診療報酬において、以前は保険医協会と疾病金庫連合会との間で、1年間の診療報酬総額を定める総額請負方式が採用されていましたが、今後、総額請負方式は廃止されると聞いております。総額請負方式は医療費抑制にとっては有効な手段であったものと考えられますが、どのような背景で廃止されることになったのか。また、新たな制度はどのようなもので、メリット、デメリットにはどのようなことが挙げられるのでしょうか。

ブッセ ドイツでは、公的医療費全体についてのグローバルな総額請負方式は一度も採用されていません。医療費全体の支出の六分の一にあたる外来診療についてのみ、予算枠が毎年決められていました。薬剤についても、2000年から上限が設けられていましたが、二年後に廃止されました。
 外来診療報酬については医師が政府を説得し、総額請負制度は廃止され、代わりの新しい診療報酬の仕組みが合意されました。新しい制度では一件あたりの診察について診療報酬が決まります。つまり、医師は一人の患者により多く治療サービスを施しても、一定額以上の診療報酬は支払われず、診療件数を増やせば報酬が増えるという方式になります。

岡部 財政の観点からはトータルの医療費は経済の成長、つまりGDP に合わせて抑制しなければならないという意見もありますね。

ブッセ そのような議論で問題になるのは「死亡率」のリスクを誰が負うかを理解していないからです。医療提供者は患者が増えた場合には、疾病金庫から増えた分だけ余分に支払って貰わないと困ると主張します。保険は損害に対する支払いですから、損害が増えれば支払いも増えるのは当然です。
 病気が増えるリスクは金庫が負うのであって、医療サービスを提供する病院には関係のないことなのです。病気になれば、それなりに治療をしなければいけないのであって、支出を抑制しさえすればよいというものではありません。病院や医師が余分な治療を控えさえすればよいという考え方には与しません。

岡部 ドイツでは医療サービスの質と経済性、効率性の確保のために、「医療サービス評価研究所(IQWiG)」が2004年に設立されました。この研究所では特定の疾患領域の診断・治療手続きに関する最新の医療基準を評価し、医療給付における質と効果について、国民向けに情報発信をしていると聞いております。この評価機関は、具体的にどのようなデータを収集し、分析を行なっているのでしょうか。先生はこの制度についてどのように評価しておられるのでしょうか。

ブッセ この研究所を「イクウィッグ」とドイツでは呼んでいます。これは、2000年に設立が決められ、2005年から稼働し始めました。この医療の質の評価システムは医療改革の要です。当初、製薬業界はこれができてもたいした力はないと思っていましたが、実際には物事が変わり始めています。
 たとえば、イクウィッグがヒトインシュリンよりも高価な人工インシュリンによる治療に効果はないと判定し、人工インシュリンには薬剤費の償還が行なわれなくなりました。製薬業界もいまやイクウィッグに対する見方を改めています。
 前回の2003-04年の改革で、緑の党が政権についていた時の構想では、イクウィッグの役割に「費用対効果分析」を入れたいと考えていましたが、CD/CSUの反対で結局「効果分析(効力・効能の有無の判定)」だけになりました。ただし、診療報酬の答申機関である連邦委員会(Federal Joint Committee) はコストと効率の両方を見る役目を担っています。現在のところでは、イクウィッグはその報告書のなかでコストには言及せず、何らの決定も行いません。
 ただ、イクウィッグの報告書を受取った連邦委員会が、たとえば、高価な人工インシュリンの効能がヒトインシュリンと効能には変わりがないと知ると、それに高いお金は払わないという決定になるのです。最終的には、連邦委員会が政府に答申します。将来的には、イクウィッグが費用対効果分析も行なう方向です。
 イクウィッグの報告書は一般にも公開されて、大きな関心を集めています。何千もある製薬会社がすぐに淘汰されるということはないでしょうが、彼らはイクウィッグに圧力を感じ、調査されていることを意識しています。イクウィッグは現実に大きな影響を与え、環境が変わりつつあります。
このような制度は英国、フランスなど、ヨーロッパのほとんどの主要国が先行しています。ドイツはこれらの国の先例に倣ってこの制度を作りました。日本でも、早急に考えるべきでしょうね。

岡部 病院の質の評価については、どうなっているのでしょうか。

ブッセ イクウィッグの姉妹機関として病院の評価を行っているところがあります。病院からデータを入手し、評価をしています。米国のJoint Committee(JCAHO)のドイツ版で、こちらはデータではなく、プロセス(手順)をみているものです。ヨーロッパでは、フランスが組織的に一番進んでいて、プロセスだけでなく、病院全体の運営状況を見て、アウトカム評価もしています。この二つの制度が、医療の質を担保する大きな鍵でしょうね。

岡部 デジタルデータが医療の分野でも費用対効果分析に有効に使えるようになってきました。ドイツでは、医療の質の向上に向けて、どんなデータを収集し、分析しているのでしょうか。

ブッセ 医療の質を見るのはITの問題というより、それぞれの病院からどんな指標が得られるかが問題になります。重篤の患者を扱っている病院の方がデータ的には見た目が悪くなります。そのリスク調整が非常に重要です。指標をつくるために科学的に分析するグループを作り、きちんとした手順にもとづいて評価を進めることが大切です。
 癌の治療であれば、うまく手術を行なっているかを見ます。癌の周辺組織をどれくらい取るのか、たとえば、標準値を2ミリメートルとか決め、取り方が少なすぎないか、取りすぎてはいないかを確かめれば、それで外科医の腕を測れるようになるでしょう。乳ガンであれば、遺伝子のタイプで違う薬を使うべきなので、処方された薬が合っているかどうかを調べます。
 このように疾患により、用いる指標が違います。病院の質を見るのは指標だけではありませんが、毎年、新しい指標を加えています。また、病院はそのようなデータを出さないと診療報酬の償還額が少なくなるのです。少なくとも患者全体の97%のデータを出さなければならないと決まっているところを95%分のデータしか出さなければ償還額が減らされます。

岡部 ドイツの医療改革では、疾病金庫の自治、透明性の確保、医療の質の担保などが大きな課題となっている最近の変化がよく分かりました。競争原理に基づいて医療の効率化を進めることが、逆に政府の関与を強めて、当事者の自治を弱める懸念があるというご指摘など、わが国の医療改革にも大いに参考になります。お忙しいなか、ありがとうございました。

2007年2月発行、医療経済研究機構レター”MonthlyIHEP”No.150p1~8所収)

コメント

※コメントは表示されません。

コメント:

ページトップへ戻る