話し手 : NHK解説委員 小宮英美 氏
聞き手:医療経済研究機構 専務理事 岡部陽二
今回は、NHK解説委員の小宮英美氏をお招きし「痴呆性高齢者ケア」についてお話を伺いました。小宮英美氏は、高齢者の介護問題に絞り込んで現場に密着し、社会性の高い報道を精力的に行なってこられ、NHKでもユニークな存在です。小宮氏がディレクター時代にグループホームを長期取材した番組「ぼけなんか怖くない ~痴呆老人ケアの新たな挑戦~」(1997年1月26日NHK総合テレビで放送)は、各方面に話題を呼び、研修用ビデオ教材として無料配布されております。著書に「痴呆性高齢者ケア(中公新書)」があり、現在は、解説委員として、様々な取材活動を続けておられます。
〇 痴呆性高齢者のケアに関心を持たれた経緯
岡部 小宮さんは、現在、解説委員でいらっしゃいますが、長くディレクターのお仕事をされておられました。ディレクターのお仕事は、非常に幅広い分野を扱われていると思いますが、高齢者、特に痴呆性高齢者の介護に関心を持たれた経緯についてお聞かせください。
小宮 朝のニュース番組の中で、高齢者に関する年間企画を放送したことがきっかけでした。こうした取材をする中で考えさせられたのは、寝たきりや痴呆の高齢者の問題は、病気として治らないということではなく、医療や介護のやり方や仕組みなど、社会保障制度の不備が原因であること。解決策はいろいろあるのに、それが社会的に行われず、そのために多くの人が不幸な晩年を送っていること。これは非常に悲しいことだと感じました。
岡部 勤務地も、東京だけではなく、札幌や福岡など様々なところに行かれていますね。
小宮 東京にいると中央官庁の政策担当者や一流の学者の方と交流ができるメリットがありますが、どうしても現場感覚が薄くなる傾向があります。福岡へ転勤になったことで、介護現場の方々との深いお付き合いができました。現場のジャーナリストとして関わりをもったほか、現場の方々と一緒に様々なボランティア活動を行ってきました。例えば福岡では、「福岡痴呆ケアネットワーク」という団体を作り、痴呆に関わる様々な専門職の方々と交流し、ケアの向上のために地域社会に働きかける運動をしました。そういう意味では福岡での経験は非常に勉強になり、自分のための蓄積にもなったと思っています。
岡部 「グループホーム」は、介護保険制度ができる前は法律上や制度上の定義は、何もありませんでした。それが、介護保険施行後、二・三年の間に、ものすごい勢いで増えており、最近では、一日3軒ほどのペースで新設されている現状があります。高齢化が進んでいるのは、ここ2・3年の話ではなく、そのようなケアを必要とするニーズというのは、かなり以前からあったはずです。にもかかわらず、グループホームのようなものが生まれなかったのは、どこに原因があったとお考えでしょうか。
小宮 行政をはじめとして介護の現場においても、痴呆性高齢者がどうすれば暮らしていけるのか、そのためにはどのような支援が必要で、どのような介護の方法であれば、きっちりとした生活を送ることができるのかといったノウハウが不十分でした。もちろん、特別養護老人ホーム(以下、特養)などで、様々な試みが行われてきました。
しかし、最低でも50人以上のお年寄りをお世話する特養では、痴呆のお年寄りは混乱してしまいます。また四人部屋で他の人に対する気兼ねから自分のペースで生活できなかったり、キッチンなど自分なりの生活を展開するために必要な設備もなかったりして、結局は受動的に生活せざるを得ませんでした。さらに、日本ではまだ、痴呆の人でも適切な支えがあればいきいきと生きていかれると考えられてなかったように思います。
高齢者問題の専門家の間では、高齢化率15%の法則というものが話題になります。どの国でも、高齢化率が人口比15%ぐらいになる頃から、高齢者問題を真剣に考えるようになるというものです。日本でもつい最近まで、市民一人一人が自分の問題として真剣に考えなかったことが、対応が遅れた原因ではないかと私は思います。
〇 グループホームの意義
岡部 グループホームは痴呆性高齢者数人(5~9人)をグループ化して介護サービスを行なっているものですが、これまで特養などの福祉施設では、原則雑居部屋でした。グループホームでは個室が基本となったのは何故なのでしょうか? ただ、形としては福祉施設とは違って、高齢者から家賃を頂く形になっています。衣食住のホテルサービス部分は自己負担にして、介護サービスの人件費を介護保険でカバーするという生活と介護のミクスチャーが、グループホームではでき上がっています。どのような経緯から、このような発想や仕組みが生まれてきたのでしょうか。
小宮 まず痴呆の人をケアする空間として、小規模であること(つまり少人数であること)、自分のペースで生活できる個室があること、他の入居者と交流する共有スペースがあること、またそれが家庭的空間であることが重要であることが分かってきました。それまでの福祉制度は、基本的にはどうしても困った人だけを対象とする救貧福祉的なものでした。ですから、個室は贅沢と考えられてきたのです。
しかし、個室は痴呆の人のケアにはどうしても必要なものだということがわかってきたため、考え方が変わってきました。痴呆の人には、できるだけ個室を使って頂こう、ただ、自宅に近い「居住空間」を保証するのだから、それを全部公的サービスでカバーするのではなく、その部分の負担はして頂いてもいいのではないか、ということになりました。そこで介護保険ができた時に、グループホームについては家賃を支払って頂くことになったのです。財政難の中、こうした形をとれば一人当たりの介護費用が安くなり、その分多くのグループホームを普及させられるという計算もあったようです。
今までの入所系のサービスは、所得が高かろうと低かろうと、どんな人でも四人部屋でした。しかし四人部屋の生活には抵抗があり、もっと自由度が高く、ゆったりと生活できる環境を求める高齢者層もいます。だから、そのような環境で介護してもらえるのなら、住宅費の負担をしてでも入居したいという人がいることも現実です。そうした人たちにとってもグループホームは魅力的に見えるのだと思います。
岡部 介護サービスだけを介護保険の対象として、ホテルサービスは自己負担にするというのは、介護保険制度の優れた面であるわけですね。
介護保険制度では、サービスの提供主体として、医療法人や社会福祉法人に加えてが一般の事業会社とか有限会社なども認められるようになりました。この点の評価はいかがでしょうか。
小宮 グループホームの数が大幅に増えたという意味では良かったと思います。さらに、今までの病院や施設でありがちであった「お仕着せのケア」では駄目だという考えを持った事業者の方々が、グループホームを開設し、成果をあげていることは素晴らしいと思います。
一方で、悪い面として、「遊休不動産を活用したい」という程度の動機で参入して来られる方もいます。スタッフに介護の仕事に携わった人がほとんどいなくて、介護を甘く見ると、すぐに行き詰まります。そうした人たちがどんどん参入してきた結果、途中で「こんなはずではなかった」ということで、痴呆が重度化して行動障害が出てきたりすると、「出て行ってほしい」というような身勝手なグループホームも出てきています。
痴呆の人は適切なケアがあればとても穏やかになり、グループホームでターミナルを迎えられるような例も少なくないのです。逆に生活環境や人間関係が変わるとそれがきっかけで混乱し、状態が悪くなることも多いので、自分たちのケアのあり方を棚に上げ、安易に出て行ってくれというようなホームは問題です。
痴呆のケアは、痴呆症のために混乱し、不安感を持ちやすい人たちに、総合的な安心感を保障するものです。初めての人には、その奥深さが分かりにくいものです。良いグループホームであればあるほど、その人の自尊心に配慮して、できるだけさりげなく支えていますから、外から見ているとスタッフは何もしていないように見えるのです。
身体介護のように目で見て簡単に分かるものではないのです。「その人らしさを支えるために、生活暦に配慮して支えること」や「その人の精神状態を考えること」や「その人の自尊心を保つためのケア」は、外から見ただけでは分からないのです。法人形態にかかわらず、こうしたケアに真剣に取り組むサービス提供者が増えて欲しいものです。
〇 痴呆性高齢者ケアワーカーの人材育成
岡部 痴呆性高齢者のお世話をするケアワーカーの人材養成という面では、何が問題になっているのでしょうか。
小宮 圧倒的に人材が不足している状態です。痴呆のケアを必要としている人が多くいて、そのケアワーカーが不足しています。それまでまったく介護の経験がない人でも、どんどん現場に入ってくるのが現状です。
岡部 専門職としての資格認定はないのですか。
小宮 介護という意味での国家資格は、ヘルパーの資格や介護福祉士がありますが、その教育の中でも痴呆介護に関しては、内容が非常に薄いのが現状です。そもそも、今までの介護は、全般に「寝たきりモデル」で行われてきたため、「身体介護」が主体であって、「痴呆のケア」は考えてきませんでした。理想的な介護をしているところで一年間働けば、非常に勉強になりますが、多くは、小規模施設であるため、そこで一年間に一人受け入れたとしても、人材育成はなかなか進みません。
岡部 いまのところ、最大のネックというのは、そういう痴呆高齢者のケアワーカーのプロが少なく、養成が追いついていないということですね。
〇 痴呆性高齢者ケアのあり方
岡部 痴呆症の人の多くはグループホームにたどり着くまでに病院や老人保健施設を転々するケースが多いと聞きますが。
小宮 特に一般病院ですと、3ヵ月を過ぎると診療報酬が下がるということがあり、そのようなことが起きていると思います。逆にいえば痴呆の人が安心して生活する場にはなりえない「病院」いう環境に、痴呆の人が長く入院させられていること自体が間違っています。いま厚生労働省で、現在ある病床を、一般病床と療養病床に区分する、病床区分の届出の作業を進めていますが、将来的には、療養病床は医療の場というよりもむしろ生活の場に編み換えていく必要があると考えています。つまり、病院で人が生活する「いわゆる社会的入院」のようなことは、なくしていかなければならないと思います。
岡部 それには、病院側の意識改革を待つしかないのでしょうか。
小宮 自分の病院は医療を行うのか、介護を行うのか、病院が自分自身で考えて決めなければならないと思います。それが、「病床区分の届出」の意味するところです。ですから、病院は入院しないと受けられない急性期医療をするような形に特化していくのか、それとも、介護を行うのであれば、「病院」というあり方自体を変えて、そこを高齢者の生活の場に変えていかないといけないと思います。このような整理はきっちりとやる必要があると考えております。
そもそも、病院は、医療を行いやすいように作られている建物であって、高齢者が自ら主体的になって生活する場ではありません。また、私たちが家にいてくつろいで、わがままをしたいようなことは、病院ではできません。「大切な家族に好物の手料理を作ってあげたい」というようなこともできません。そうした中で、お年寄りは生きがいを失い、無気力になって寝たきりになったり、痴呆が悪化したりしていきます。
人が意欲を失わずに生きていくのには、生活の場としてのしつらえが必要です。したがって、医療機関は、急性期の治療が必要でないお年寄りについては、病院の中に取り込んで漫然と過ごさせるようなことはやめるべきです。急性期の医療のみを「医療に特化した空間」で行い、それ以外はできるだけ生活の場をまず整えて、そこに医療を必要なだけ外から取り入れるという考え方をした方がよいと思います。
岡部 現状では、医療も介護も供給者の論理が強く出る形になってしまっているわけですね。
小宮 人は介護を受けるために生きているわけでもないですし、リハビリを受けるために生きているのでもありません。ところが、介護やリハビリが仕事だという人たちが増えてくると、自分の仕事を効率的にやるためにどうしたらいいかということばかりに関心が行ってしまい、肝心の高齢者本人たちの生活が無視されてきます。
その結果、高齢者が意欲を無くしたり、日々の生活で身体を動かしたりすることがなくなり、ますます元気がなくなってしまいます。皮肉な結果ですが、医療を受けて元気でなくなったり、「何でもしてあげる型」の介護を受けて、寝たきりになったりとか、そのようなことが、多く起きています。
岡部 先ほどのお話にも出てきた「福岡痴呆ケアネットワーク」の活動で、介護療養型の病院の方ともお付き合いなさって、いろいろと興味深い発見があったそうですね。
小宮 福岡痴呆ケアネットワークで一緒に活動した有吉通泰さんは、このネットワークで福祉系の人たちと交流した結果、一念発起して、療養型の病院を個室ユニット化されたのです。長期療養の場であるのなら、病院であっても生活の場としてのしつらえが必要と考えたのです。有吉病院では患者さんの部屋を個室化し、各部屋にトイレを作ったところ、排泄介助の時間が大幅に減りました。
昔は個室にすることにより、介護量が増えると言われていましたが、まったく逆の減少がみられたのです。トイレを作ることにより、ケアワーカーがポータブルトイレの汚物処理をしなくて良くなった結果です。お風呂についても個浴にしたら介助時間が減りました。身体介護の量が減れば、その分その人らしい生活をするための介護に当てることができます。個室にトイレを作るというような、療養環境のハードに対する投資ということも、もっと積極的に考えていく必要性を感じております。
岡部 先般、急逝されました京都大学大学院の外山義先生による有名なご研究でも、個室ユニット化することによって、入居している高齢者同士がお互いに交流し、いきいきと生活するようになったという報告があります。このように、生活環境を変えることで、高齢者が劇的に変わることに、今まではどうして気がつかなかったのでしょうか。
小宮 これまで「痴呆性高齢者の介護」という点に社会的な関心が払われてこなかったという点が大きいでしょう。そもそも、特養なども家族で介護するのが当たり前の時代に作られた施設で、「普通の人は、みんな自宅で介護しているのだから、この程度のケアで我慢してくださいよ」ということで、非常に限られた人だけを対象に施設が作られたのが現実でした。そのような建物は、痴呆の人が混乱しないように設計されたものではありません。
時代が変わり社会が高齢化し、核家族化も進行し、介護は社会が担うものという考えが一般化してきました。それによって、介護のノウハウも社会的に蓄積し、より良いものに変えていこうという土壌ができてきました。その人の生活の場に、医療や介護を必要なサイズで、ちょうど良い文脈で位置付ければ、人は皆、かなり生き生きと生活できます。こうした考え方で、もう一度、サービスの体系全部を再編しなければならないと思います。
〇 痴呆性高齢者のケアモデル確立の必要性
岡部 痴呆高齢者の介護においては、施設の充実もさることながら、ケアのソフト面での介護手法の確立がことのほか重要ではないかと思うのですが。
小宮 そのとおりです。痴呆性高齢者のケアモデルは先進的な現場では既にほぼ確立していると思います。ただ、それを誰でも分かる形に体系化したり、言語化したりする作業がもっともっと行われていかなければなりません。痴呆性高齢者のケアのモデルは、グループホームでのケアが基本です。高齢者のある時期だけグループホーム的なものがあればいいということではありません。
岡部 居住地域に存在する同じグループホームに最期まで居られるのが理想ということでしょうか。
小宮 厚生労働省も「施設機能の地域展開」ということを言っています。ある施設で広域をまとめて看るのではなく、ケアが必要になった時には自分の家から歩いて通えるぐらいの距離、いわゆる「一中学校区」に一つぐらい、サービス拠点が存在する必要性を感じます。
つまり、家族や自分の友人などから突然切り離されないような形でケアを受けながら、自分の生活を継続できることが大切です。そして、ケアを受けるために生きるのではなく、生きるために必要なケアが受けられる環境が整う必要があります。
岡部 グループホ-ムはあと二~三年内に全国で五千施設ぐらいにはなると思いますが、この程度ではまだまだ足りませんね。
小宮 当然、現在ある施設も小規模になる必要があります。町の中に介護機能がきっちりと備わったような地域づくりをしていかなければならないでしょう。また、そのためには、一つの中学校区で、例えば医師や看護師が24時間体制で訪問できる体制を整えていく必要もあります。
一つの箱庭のように囲った医療機関や施設の中に医師や看護師が何人必要かということを考えるのではなく、その地域の普通の医療ニーズに24時間応じられる体制が整っていることが必須です。そうすれば、グループホームなどの小規模展開した介護施設には、必ずしも医師や看護師を配置しなくても、運営していくことができるようになると思います。痴呆の人が安心して暮らしていかれるようにするためには、地域で支える医療体制が必要です。
時々思うのですが、郵便局のサービスと高齢者介護とには共通点があります。郵便物をできるだけ迅速に効率よく配達するのには、地域の中にたくさんの郵便局があって、配達のための移動距離はできるだけ少なくする必要があります。高齢者介護においても、本来自分の家から近いところで、高齢者のニーズに従って臨機応変にサービスを受けられるのが理想だと思っています。したがって、郵便局を明治の草創期につくったのと同じような感覚で、その地区に見合った、介護インフラを作り上げていく気構えが必要です。
岡部 高齢者の数はこれからの20年間で二倍くらいに増えていくわけですから、今からでも遅くはないですね。
小宮 地域で暮らして、その人がやりたい生活を続けることができるような環境を保ちながら、そこに介護なり医療が出前してくるというような形が理想です。
また、私自身としては、ジャーナリストとして、痴呆になってもきっちりとしたケアを行えば、その人らしい生活を送ることが可能であるということを広く世間にお伝えし、また、痴呆になったら、「もう死んだほうがまし」と思っている人に対しては、決してそうではないということを伝えていくことも重要な役割と考えております。
岡部 今後のご活躍を期待しております。ありがとうございました。
(取材/編集 山下)
(2003年10月医療経済研究機構発行「Monthly IHEP(医療経済研究機構レター)」No.114 p2~9 所収)