話し手: 早稲田大学商学部 教授 土田武史 氏
聞き手:医療経済研究機構 専務理事 岡部陽二
今回は、土田武史早稲田大学商学部教授に、ドイツの医療保険制度について、わが国への示唆を踏まえて、最近の動きを中心にお伺いしました。先生は昨年三月まで三年間中央社会保険医療協議会会長を務められ、その後、社会保障制度研究のためドイツに留学、本年初に帰国されたばかりです。
土田先生は1943年秋田県生まれ、早稲田大学政治経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了の後、日本労働協会、(社)産業労働研究所、国士舘大学を経て、93年に早稲田大学商学部助教授、95年教授に就任。商学博士。社会保障論を担当、主にドイツと日本における社会保障の歴史と最近の改革について研究してこられました。
おもな著書には『ドイツ医療保険制度の成立』(勁草書房)、『社会保障概説・第6版』(共著、光生館)、『世界の社会保障4・ドイツ』(共著、東大出版会)、『社会保障改革~日本とドイツの挑戦~』(共著、ミネルヴァ書房)などがあります。
〇大連立政権の評価とメルケル首相二期目の課題
岡部:去る9月27日に行なわれましたドイツの連邦議会選挙でメルケル首相が率いるキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)が第一党となり、自由民主党(FDP)との保守中道連立政権が発足しました。2005年から4年間続いたCDU・CSUと社会民主党(SPD)との左右大連立内閣は解消されましたが、この選挙結果をどう見ておられますでしょうか。大連立の解消で、社会保障政策は安定化の方向に向かうのでしょうか。
土田:そう見ています。SPDとの大連立解消で、近年大改革を重ねてきたドイツ社会保障政策は、むしろ安定すると思います。ただ、大連立政権では双方の主張を組み合わせた多くの改革が行なわれましたが、FDPと連立を組むメルケルの第二期政権では、それの揺り戻しもあり、これからもかなり大幅な改革が行われるものと見ています。
岡部:私は大連立の4年間にはさほど大きな改革は行われなかったのではないかと思っていましたが。
土田:いや、そうではなく、実態は改革のやり過ぎであったと見ています。と言いますのは、連立する前の総選挙で、医療改革についてはCDU・CSUとSPDがまるっきり別の政策を掲げて選挙戦を闘っておりました。大連立を組むときにも、医療改革をどうするかということでは、意見が一致しませんでした。その結果、連立政権を立ち上げるに当たっての政策協定合意の中には盛り込まれず、平行線のまま医療だけは持ち越してしまったのです。
岡部:その持ち越したポイントは、SPDは勤労者中心の公的医療保険と富裕層や公務員など国民の14%が加入している民間医療保険を一元化して「国民保険」を創設する、CDU・CSUのほうは「連携的医療プレミアム構想」の柱として「人頭割保険料」を導入するということでしたね。この二つとも実現はしていないものと理解していたのですが。
土田:たしかに、そのままでは実現しなかったですが、その後の話合いでほとんど八割がた両党の主張が政策合意に組み入れられたのです。国民皆保険は本年一月から法律で義務付けられ、そのために民間医療保険では年齢と性別に対応して「基本タリフ」を設定し、民間保険の給付にも公的保険と同等の医師による現物給付が義務づけられました。公的保険と民間保険の統合は実現しませんでしたが、両保険の差異が実質的に大幅に縮小したのです。
2001年からSPDのシュレーダー首相のもとで保健相を務め、2005年11月に成立したメルケル首相の大連立政権でも引き続き連邦保健相のポストで入閣したウラ・シュミット女史がかなり強引に民間保険を公的保険に近づける改革を強行したのです。
民間保険側は訴訟にまで持ち込んだのですが、この春の判決で敗訴しました。ですから、民間保険も公的保険並みに運営しなければならないということになっています。民間保険としては、これではたまらないと非常に反発してきたのですが。
岡部:公的保険と民間保険の大合同は実現しなかったものの、実質的にはかなり同質化したということですね。
それに、国民の大多数が医療保険に入ってはいるものの、法律上は加入が義務化されていなかったドイツが、国民皆保険国の仲間入りをした意義は大きいですね。米国のオバマ改革で皆保険が実現すれば、主要な先進国はすべて国民皆保険となります。
土田:ええ、そうですね。それから、CDU・CSUが主張する全面的な「人頭割保険料」は実現しませんでしたが、大連立政権はこれまで各疾病金庫が独自に決めていた保険料決定方式を改め、本年1月からは、全国一律の法定保険料15.5%(7月から14.9%)を労使折半で負担、これだけでは財源が不足する疾病金庫は「付加保険料」を徴収することになりました。
この付加保険料率の基本は「人頭割」で月額8ユーロ以下の定額徴収か、1%以下の定率徴収とされましたが、疾病金庫では実務的に面倒な定率徴収よりも定額徴収を選択するといわれています。定額徴収は、収入とは切り離され、しかも事業主負担はありませんから、追加保険料は、CDU・CSUが主張した均等割システムが入ってくることになります。
岡部:CDU・CSUの構想は「人頭包括保険料」で基本保険料部分にも定額制をとり入れ、応能原則から応益原則に重点を移そうという考えのようですね。
ところで、医療保険料が、基本部分と付加部分とに分けられたのは、将来的には医療給付の範囲も基本的なものと付加的なものに分けようという考え方でしょうか。
土田:私は「タリフ」という言葉をそのまま使っていますが、要するに被保険者が多様な給付と料金表を自由に選択できる方式の導入です。公定保険料以外に上乗せで各疾病金庫が自由に付加保険料を設定し、付加給付をつけるわけです。被保険者は疾病金庫を選択して、一定の保険料を別に払って、給付範囲の広いサービス内容の保険契約をする方式です。
具体的には、わが国でも問題となった保険免責制を選択して、免責された自己負担分を民間保険でカバーする契約を疾病金庫と結ぶとか、1年間一度も医療保険のお世話にならなかった場合には保険料を還付するとか、そういうオプションを選択制で導入したのです。これは以前からをCDU・CSUが提案し、要求してきた方式です。
岡部:そうすると、人頭保険料というのは、国民保険とは矛盾する差別化政策が同時に進められたわけですね。
土田:そうです。両方の改革が同時並行的に進んだものですから、こちらが満足すると、あちらでは不満足のほうが強いといった、ものすごいアンバランスが生じたのです。医療改革では、大連立の評判はCDU・CSU側でもSPD側でも決してよくありません。
岡部:すると、メルケル第二期政権でSPDが外れるということは、国民保険構想は後退すると考えてよろしいのでしょうか。
土田:そうなるでしょう。それと、SPDが考えていたのは、最終的には疾病金庫寡占体制の完成です。いくつかの大きな疾病金庫にしっかりとまとめてしまうか、あるいは一つにまとめてしまうのではないかという見方もあったくらいです。ところが、CDU・CSUとFDPの連立政権はそういった極端な寡占政策はとらないと思います。やはりある程度、多数の疾病金庫の主体性を尊重する政策をとるでしょう。民間保険に対しても、公的保険並みにやりなさいという強硬な政策はかなり緩和されると予想しています。
岡部:CDU・CSUのメルケルが、大連立とはいえ、どうして反対党のSPD(社会民主党)で剛腕のウラ・シュミットを保健相に指名したのでしょうか。自民党内閣で社会党の重鎮が厚生労働大臣をやっているようなものですね。
土田:SPDが保健相のポストを強く求めたのではないでしょうか。ドイツでは政権が変わると米国と同じように局長級以上は全部政治任用で入れ替ります。保健相のポストをSPDがとったので、あまり国民の人気はなかったんですが、ウラ・シュミットが保健相となり、その下で医療・介護政策を担当するフランツ・クニープス保険局長とともに、前政権から連続して医療改革を担うということになりました。
岡部:それでは、今回の選挙で誕生したFDP(自由民主党)との連立政権では、社会保障政策もがらりと変わりますね。
土田:かなり変わると思います。ただ、CDUと組んでいるCSU(キリスト教民主同盟)のホルスト・ゼーホーファー党首は、1993年改革時の保健相で、SPDのウラ・シュミットとは2004年改革で合意をして以来、関係は悪くないと思います。CDUはCSUよりも右寄りですが、厚生行政に関しては中央集権的な考え方が強く、それでウラ・シュミットとよく話が合うようです。
岡部:なるほど。すると方向として、規制強化がさらに進むのでしょうかね。
土田:よくわかりません。ただ、連立を組むFDPがどのくらい市場主義を主張するかどうかでしょう。本来、医療保険に市場主義は合わないのですが、FDPは市場競争原理を強く主張しますから、そこがどうなるかにかかっています。
岡部:昨年から一年間、ドイツに滞在して研究されましたが、現地での実感が、先生がこれまで考えられていたところとかなり違っていたといった点はなかったでしょうか。
土田:やはり、「大連立というのは、こんなに問題が多いのか」という印象が強烈でした。連立政権では、通常は両党の主張が似通っている共通の政策を最小公約数として採用することが多いと思うのですが、ドイツの大連立では、最大公倍数というか両党が持ち込んだ要求の多くを満たすという方向に進みました。ですから、原理原則が混ざりあって、全体の姿がよくわからないといった感じでした。
岡部:大連立の悪いところを全部見てこられたわけですね。
土田:大連立政権のやったことは、医療保険関係者の間ではドイツ滞在中にどこに行って聞いても評判が悪かったのです。大多数の国民の意思からも離れて行ったようです。逆にいえば、両党が合意すれば連邦議会も連邦参議院も全部通るわけですから、ある意味で恐ろしいことです。大連立で圧倒的多数を占める政権が生まれると、政府の思い通りになってしまうのには、びっくりでした。
岡部:大連立への国民からの批判が、今回の選挙でのSPD凋落に繋がった状況がよく分かりました。
〇ドイツとわが国の医療サービスに対する満足度の違い
岡部:最近の改革はかなり支離滅裂であったとしても、ドイツの医療制度の基盤はかなりしっかりしているように思うのですが、実態はどうでしょうか。ドイツはOECD諸国の中では、米国を別にすると、医療費の水準は高く、医師の数も多いほうですが、その結果として、日本と比べて、医療の質も高く、国民の満足度も高いものと、判定できますでしょうか。
土田:そうですね。基盤はしっかりしています。ただ、以前2000年版のWHO Reportに掲載された健康水準や公平性などを指標化した医療水準達成度の国際比較で、日本が一位になり、ドイツは22位と低ランクに評価されたことがありました。これは、ドイツにとっては大変なショックで、ドイツ国内では大きな問題となりました。
岡部:日本がともに一位になっている平均寿命と健康寿命でも、ドイツは世界14位と10位と低いですね。それでも、医療崩壊とか医師不足とかはあまり問題となっていないのでしょうか。
土田:医師はむしろ過剰だと思いますが、不足問題も起こっています。医師数全体では過剰ですが、やはり地域的な偏在と診療科別の偏在がものすごく大きくて、東ドイツの一部では完全に医師不足と言われています。
岡部:たしかに、下掲のOECD Health Dataでは、人口千人当りの医師数は3.5人とわが国の倍近い多さですね。それでも、偏在が顕著なわけでしょうか。
土田:はい、医療崩壊といったことは言われていませんが、医師はものすごく偏在しています。旧東ドイツから西側へ医師が移動してくるために、東側は医師不足に陥っているのです。
岡部:ドイツでは、病院を診療所、病院でも入院と外来とで、医師が別体系で動いているということですが、それも影響しているのでしょうね。
土田:そうですね。ドイツではシェフ・アールツト(医師長。大学教授など一定の資格が必要)などは病院内に自分のもっているベッドで混合診療が認められているなど特権がありますから、医師のなかでも特殊な扱いになるといった相違もあります。富裕層は大学教授が自分で持っているベッドに入院して、高い費用負担を余儀なくされるといったことにも不満があります。
岡部:このOECD Health Data(表1)によると、ドイツはわが国と比べてGDP比で2.4%も多くの医療費を使っています。それでも、国民の満足度は必ずしも高くないのですね。
土田:医療の実態と国民の満足度が、どう関係するのかというのはなかなか難しい問題です。
わが国では、所得の高低によって受ける医療に差はありません。どの医療保険に加入しているかで差別されることもありませんが、そういう国は世界でもわずかしかありません。ドイツでは公的保険に入っている人と民間保険に入っている人との間に明らかに差別があります。それから、公的保険の中でも、全国をカバーしていて誰でも入れる「代替金庫」に入っている人はやはり待遇がいいといわれています。選択タリフが入ってきましたので、加入している疾病金庫によって、保険のカバーする範囲や自己負担の限度など受けられる医療サービスに明らかに差が生じています。
岡部:ドイツでは疾病金庫の選択が自由化されていますが、それでも種別の異なる疾病金庫間でもそんなに差があるのでしょうか。
土田:全国展開の代替金庫と地区疾病金庫との間には差があります。疾病金庫の財政力に差があるので、基本的には地区疾病金庫をどうやって救うかということが医療改革の大きな課題になっています。同じ公的保険であっても、全国的に拡大している代替金庫は、民間保険と地区疾病金庫のちょうど中間的に位置していて以前は財政も非常によかったのです。最近は代替金庫も財政的に苦しくなってきましたが、それでもまだよいほうです。
不思議なのは、ドイツ人は格差があることに対して、あまり不満を持っていないことです。同じ病院を受診しても、民間保険に加入している人は、早くから並んでいる公的保険の患者を飛び越して先に診察を受けることができるのですが、それを当然と思っているようです。
岡部:エコノミーとファースト・クラスの待遇が差別されるのは当然という感覚ですね。その感覚は、ドイツに限らずヨーロッパ諸国は依然として階級社会であるところから来ているのではないでしょうか。不公平感への反発はよほど日本人のほうが強いわけですね。
土田:間違いなく強いです。おっしゃるとおり、階級がなくなったといっても、ヨーロッパには厳然として残っていると思います。
〇医療保険制度の日独比較~公的皆保険vs民間保険
岡部:先生が編著者となっておられます「社会保障改革~日本とドイツの挑戦」に、表2のような指向する共通テーマと制度の相違点を浮き彫りにした日独対比が示されています。この対比に示されております「相違点」を中心にお伺いできますでしょうか。
まず、ドイツも今年から皆保険国にはなったわけですが、民間保険が14%にすぎないとはいえ、アメリカ流に公的保険と並列で存在しています。さきほどのお話で、これを一本化しようとしてきたSPDが大連立から離れたので、一本化は遠のいたと見てよろしいのでしょうか。
土田:そう思います。公的と民間の同質化がかなり進みましたが、今後はまた元へ戻ると思います。
ドイツではビスマルク以来伝統的に医療だけでなくて年金も含め、社会保障は基本的には労働者のための保護政策として出てきました。その思想は根強く残っていて、そういう保護政策のお世話にならなくてよいハイクラスの人々は、保険も年金も自分でやればよいという考えです。民間医療保険は公的保険に吸収されることはなく、民間保険のままで残るものと思っています。
岡部:わが国は全部公的保険ですから、次元は違いますが、それでも組合健保や共済と国保を一緒にするのは難しいでしょうね。
土田:同じ公的保険でも、保険者の性格はかなり違いますから、一元化は容易ではありません。ドイツでも、公的保険の疾病金庫は強い独立意識とそれぞれの理念を持っていますから、これ以上の合併には抵抗感があります。わが国の健保組合は、それぞれ独立しているメリットを発揮できているかどうかという点が問題です。
岡部:ドイツでは、公的保険に入っている場合の自己負担率はせいぜい数%ときわめて低い水準です。それでも、富裕層などが入る並立的な民間保険のほかに、公的保険に入っている人が民間保険に補完的に入るケースも結構多いそうですね。
土田:そうです。それは、先ほど申しましたように、公定の自己負担の上に混合診療がありますから、それをカバーする必要があるのです。公的保険に入っている人の自己負担率は確かに低いですが、この混合診療分がありますから、混合診療を受けざるを得ない患者の自己負担はグッと大きくなります。そこがやはり問題です。
岡部:混合診療は、わが国に比べるとかなり盛大に行われていると見てよいのでしょうか。
土田:ドイツでは、医師の選択ができますから、シェフ・アールツトなどを指定すると自動的に自由診療となり、公的保険に入っていても、その部分は民間保険でカバーすることになります。
岡部:その民間保険は、公的保険の補完的な民間保険ですね。
土田:そうです。わが国のがん保険や入院保険に近い補完的な民間医療保険です。
岡部:わが国で医師選択制のような混合診療を認めるのは、やはりまずいでしょうね。
土田:それを認めると、やはり公的保険でカバーする医療の水準はここまでと局限されてしまいますので、わが国では公的保険の給付範囲の拡大が望ましいと思います。医療の公平性というのを守るとすれば、混合診療の個別承認は維持すべきです。一方、わが国の保険料は異常なほど低いですから、それを引上げれば対応できます。
岡部:ドイツもわが国も被用者医療保険の保険料は原則として労使折半ですが、ドイツは今年から平均で15.5%(14.6%を労使折半、0.9%を強制加入者である被用者が負担)に引上げたのに対し、わが国の保険料率は協会けんぽで8.2%、組合健保の単純平均は7.3%とドイツの半分程度の低い料率です。フランスでも、13.9%ですから、まだ引き上げる余裕があるということですね。
土田:そう思います。保険料はもっと引き上げる余地があります。
岡部:ドイツはもうその余地がない、これ以上雇用主負担を引上げたら、国際競争力がそれこそなくなってしまうということで、労使折半が崩れたわけですね。
土田:そうなのです。ドイツでは雇用主の負担増はきわめて難しい状況です。一方、わが国では、税負担ではなくて、労使折半負担の保険料率をもっと上げていってよいと思っています。このような国際比較を企業や国民にキチンと示して、だからもっと保険料率を上げますよと説明すれば、国民も納得すると思います。
岡部:そうですね。まさに、ドイツはわが国の反面教師ですね。
土田:わが国のように格差のない医療給付をやっている国はないのですから、混合診療の全面自由化などを議論する前に、医療保険財政の確保策として保険料の引上げを決断すべきです。
一方、ドイツはもう大変です。税金は原則として投入しないと言ってきたのですが、それも崩れてきました。おっしゃるように、わが国はドイツのようにならないように努力しなければなりません。
〇高齢者医療の日独比較
岡部:ドイツでは公的・民間ともにいわゆる「突き抜け方式」で、年齢による区分や加入保険の変更といったことはあり得ません。わが国の「高齢者医療制度」も年齢による差別が問題視され、民主党政権は廃止を公約していますが、先生のご見解は如何でしょうか。
土田:ドイツにも以前は「年金受給者医療保険」という財政上別建ての制度がありました。医療給付の内容はまったく同じですが、医療費については財政調整を行っていました。それを1995年に廃止して、公的保険全体のリスク構造調整方式に変えました。ですから、高齢者だけを対象にした財政調整はもう無くなりました。
岡部:そうですか。ただ、年金受給者医療保険も保険者は一般の保険と同一であったのでしょうね。いまは、リスク調整を年齢別に全体として行っているのですね。
土田:そうです。年齢別だけではなく、疾病率によるリスク調整も入りましたから、高齢者保険への財政調整といったものは必要がありません。
岡部:そうすると、わが国も以前に議論された「突き抜け方式」にするにしても、リスク構造調整を行わないことには保険として機能しないわけですね。
土田:はい。ただ、長寿医療制度への批判は財政面だけではなく、給付内容にも及んでいます。私も中医協委員として、後期高齢者に対する医療給付の仕組みの変更と診療報酬の包括化を実験的に行ってみようと思ったのですが、これほど批判を浴びてしまうと、やはり医療給付と診療報酬の仕組みが75歳で変わるというのは日本では馴染まなかったのではという感じはします。ですから、医療保険は突き抜け方式にして、リスク構造調整的なものを導入していればスッキリしていたと思います。
岡部:「後期高齢者診療料」の設定はトータルケアへの入り口であり、しかも選択制です。「後期高齢者医療制度高齢者終末期相談支援料」は、評判が悪く、すぐに凍結されました。私も75歳を過ぎていますが、この制度の導入で高齢者の医療内容が差別されたとはまったく感じていませんが。
土田:それはそう思います。しかも、その二つとも中医協の委員は高齢者のためになる診療料の導入と受けとっていました。この二つの診療料が後期高齢者医療の象徴みたいになってしまったのは不幸でした。私も導入の意図がまったく違った風に医師や高齢者に受けとられたのにはがっかりしました。
岡部:今後の制度設計に当っては、医療給付内容に差はつけず、年齢と疾病率によるリスク構造調整の導入が不可欠ということですね。
土田:そうです。ドイツの疾病率のリスク調整を見ますと、実によくできています。いかに公平性を維持していくかということにこだわりをもっているかがよく分かります。公平性にこだわりをもった制度設計をすれば、競争はこういうふうになるはずであるというところまで考えたやり方というのは、やはり学ぶべき点が多いと思います。
もう一度組み立て直すとするなら、今の後期高齢者医療制度よりもっとよくしないと意味がないですね。ただ、どこの国でも高齢者の医療費を自分達だけで賄えないのは当たり前です。何らかの形で世代間扶養を入れています。ドイツの場合は、年齢別あるいは疾病率で調整して世代間扶養を行っていますが、どこの国でも必ずやっていることです。ですから、わが国もそういう世代間扶養という理念をきちんとした上で、若者は高齢者の医療費をある程度援助していくのが当然だという合意形成を図るべきだと思います。
岡部:高齢者の部分にだけ公的資金をたくさん入れるという考え方は保険の理屈に合わないということですね。
土田:合わないです。ただ、もちろん若者の負担だけで全部できるかというと、そうはいかないので、税投入があってよいのですが、理念としては、やはり世代間扶養という考え方をベースにした保険の議論が必要だと思います。
〇保険者への競争原理の導入
岡部:ドイツでは1996年に、疾病金庫選択の自由が認められ、保険料率の引下げ競争が起こった結果、1992年には1,223あった金庫数が2005年には267にまで減少しています。金庫間の引下げ競争により、一時的に保険料率が下がっても、寡占化により引上げが容易となって、被保険者は右往左往させられるだけで、米国のマネジドケア同様に、意味のある競争政策ではなかったとの批判もあるようですが、どのようにお考えでしょうか。
土田:ドイツでも企業疾病金庫を開放型にして誰でも入ってよいという仕組みにしたことに対する批判はあります。依然として閉鎖型を守っている疾病金庫も70金庫ぐらいあります。しかも、ドイツ銀行、ベンツ、BMW、それからガス会社で最大手のイーオンといった優良企業が多く含まれます。これらの閉鎖型金庫の財政状況は非常によくて、特別な健康管理をやっているので、さらによくなります。他の疾病金庫にも移れるとした1993年改革は、非常にまずい選択だったと私は思っています。
岡部:本来、企業の健保は閉鎖型であるべきでしょうね。だって、トヨタの人がホンダの保険に入ってもよいというのは、ちょっと考えられないですね。数社が合同して一つの健保をもつのはよいでしょうが。
土田:やはり企業の特性に見合った健康管理の方式もありますから、開放型には限界があります。閉鎖型であっても、サービスや付加給付などにおいて、疾病金庫間の競争はあってもよいと思います。
岡部:それでは、政府としては疾病金庫間の競争はもうあまり奨励しないようになっているのでしょうか。
土田:いや、そうはなっていません。疾病金庫同士の合併についても依然奨励しています。これまでは、同じ種類の疾病金庫間の合併であったのですが、今は垣根を取り外して、どことでも自由に合併できるようにしました。さきにも申しあげたように、予算内に収まらない場合には疾病金庫が自由に追加保険料を徴収できるということになったので、追加保険料を支払いたくない人には別の疾病金庫にすぐに移ることができるという権利が与えられました。これも、被保険者の移動に拍車をかけることになります。
岡部:でも、それも全国規模の疾病金庫が三つか四つになって、寡占体制が確立すると、そう簡単には移りづらくなるのではないでしょうか。
土田:そうなると思います。競争させると言いながら、競争する金庫が寡占体制になってしまうと、結果的に競争が働かなくなります。だから、競争奨励と合併促進は矛盾した政策だと思います。
岡部:競争政策が失敗したからといって、それをやめようというムードはないのですね。わが国では、ドイツのような選択制にしようという意見はありませんが、健保組合の合併推進や国保の一体化は政策の選択肢として考えられますね。
土田:ええ。私は健保組合間にある程度の保険料率格差があってもよいと考えています。格差があるのは自分のところの特性だというぐらいに認識すればよいのです。
たとえば、銀行の健保のように若い人が多いと保険料は低くて済みます。製造業の場合には高年齢の人が多くて、保険料を高くせざるを得ない健保もあります。その格差は、そういうものとして認めたうえで、財政調整で格差を縮小していけばいいので、その間を自由に移動できるようにする必要はありません。
岡部:それは確かにそうですね。選択を自由にするのではなくて、健保は保険料率はもとより、予防などサービスの質で競争すればよいのですね。
若い人の多い健保の加入者が得をするのは、ある程度はやむを得ないとしても、はやりそれぞれの年齢階層で調整する必要はありますね。
土田:ええ。合意の形成は簡単ではないと思いますが、健保相互間で財政調整を行う必要があると思います。
〇医療機能分化の日独比較
岡部:ドイツでは、病院と開業医の機能分化が明確で、開業医もさらに一般医と専門医に明確に区分されており、患者は原則として最初に一般医の診察を受けることになっていますが、このシステムは効率的に機能しているのでしょうか。
土田:機能の分化、分担ははっきりしています。ただ、向かう方向は、ドイツと日本では明らかに違っていて、ドイツでは現に分化している機能をお互いに接近させようとしています。病院では外来をかなり認めるようになってきています。
病院で外来の直接受診は例外的であったのですが、たとえば、手術前の前後とか、あるいはエイズなどの特別の病気の場合は外来診療を認めるということにして外来の幅を広げています。
診療所のほうは、診療所の医師が手術で病院を使う場合に、滞在型でも使えるといったふうにして、病院と診療所の機能とがかなり接近してきています。
わが国の場合は類似していた機能が最近やっと分化し始めたということで、方向性は逆です。ただ、病院と診療所の機能はハッキリ区分したうえで、お互いの便宜をどう図っていくかという基本は同じではないでしょうか。
岡部:ドイツでは英国のGPや米国のゲートキーパーのように、総合医の役割は確立しているのでしょうか。
土田:はい、ドイツでは保険医の中で一般医と専門医と分かれており、患者はまず一般医を受診するように定められています。
岡部:わが国もそういう方向で整備するのが望ましいのでしょうね。
土田:そう思います。ただ、わが国の場合には、大学の医学教育から抜本的に変えなければなりませんから、一朝一夕にはいかないでしょうが。
岡部:これからの課題ということですね。
〇介護保険の日独比較
岡部:先生はドイツの介護保険についても、かなり以前から研究論文をたくさん書いておられ、ドイツの研究者や政府関係者とも意見を交わしておられますが、最近のテーマは何でしょうか。
土田:昨年行ったドイツの介護保険改革は、日本がモデルになっていることがいくつかありますが、それらを比較検討してみたいと思っています。
岡部:そもそもは、わが国の介護保険制度は、世界で最初に介護保険を創設したドイツをお手本にして、5年遅れでできたものと理解していますが、今度はドイツが日本を見習ったのですか。
土田:ええ。ドイツの介護保険で一番大きな問題は、介護の質をいかにして担保するかということでした。とくに在宅医療の場合には家族介護が主体となりますから、家族介護の質が悪いと、施設に入った場合の介護度が高くなることにもなります。この介護の質を改善するために、ケア・マネジメントをとり入れたのです。日本をモデルにして改革を行ったと、フランツ・クニープス医療・介護保険担当総局長自身がハッキリと言っていました。
岡部:わが国では、あまりにも精緻なアメリカ・モデルでとり入れて、うまく機能しないのではないかと懸念されていたそうですが。それが、わが国でも何とか機能して、ドイツに輸出されたということですね。ドイツでも、ケア・マネジャーの独立性を担保するのは、難しいでしょうね。
土田:そうですね。ドイツではケア・マネジャーの養成を始めたばかりです。看護師と同じような教育課程を履修させて、そのうえで試験をやってケア・マネジャーの資格を与えていくシステムです。
ただ、ドイツでも介護職の待遇が悪いのはわが国と同じで、その待遇改善は非常に難しいです。
岡部:ドイツの介護保険では,1996年の発足当初から、家族の介護を評価した介護手当(現金給付)が認められ、1996年には、介護給付費の43.1%を占めていました。この割合は、総額の伸びに伴い年々減少して、2005年では23.9%となっていますが、介護における家族介護の評価は重要であり、介護費の適正化にも資するのはないかと思いますが、この点はどうお考えでしょうか。
土田:これは判断の分かれる難しい問題です。わが国でも、介護保険を導入するときに、現金給付も行なうべきという議論に対して、反対した方から出された理由が三つぐらいありました。一つは嫁介護を固定化してしまうということ、二つ目は本当に介護に使われたかどうかがチェックできず、バラマキ給付になってしまうという懸念、三つ目は家族介護よりもプロのほうが介護の質が高いという理由があったものと思います。
そのうち、現在ではおそらく嫁介護の固定化は少ないし、バラマキ給付の可能性もあまりないので、要するに一番の問題は、必要な介護をどこまで家族で担保できるかということではないか思います。ただ、家族はどうしても関わりを持たざるを得ないですから、それに対して何らかの社会的な評価を与えなくてもよいのかという問題は残ります。ドイツでは、現金給付は、家族に支払う賃金ではないと言っているわけです。家族が家族として行っていることに対する社会的評価であると割り切っているのです。
岡部:評価として、現金を支払うとなれば、今度民主党が打ち出した子ども手当と同じ考え方ですね。
土田:まさにそうです。
岡部:子ども手当は託児所に出すのではなく、子供に出すという考えで行けば、要介護者に対する現金給付を導入しても悪くはないと思いますが。
土田:ドイツも要介護者に現金を与えて、要介護者はそのお金で家族を雇うという考え方です。
岡部:それを貯金してはいけないというような縛りは簡単にできますね。
土田:ドイツでも、現金給付が必ずしも介護に使われないで、第二年金のようになっているという話はあります。たしかに、介護保険の大きな問題ですが、私としてはまだ整理がつかない問題です。
岡部:ドイツでも現金給付が減ってきているというのは、やはり施設介護に重点が移ってきているということですね。
土田:ええ。それに家族自身が外で働くケースが増えてきていますから、家族介護をやっている時間がなくなってきているということだと思います。
岡部:ドイツの優れている点は、医療保険と介護保険の保険者が同一である点ではないかと思うのですが。
土田:そう思います。おそらく後期高齢者の問題も、75歳以上にするか65歳以上にするかは別として、介護保険とドッキングする方向が考えられます。医療と介護のリスクは違いますが、ドイツのように保険者が同一というのはメリットが大きいと思います。例えばドイツでは、介護保険にはリハビリ給付は入っていません。介護認定時に、「この人にはリハビリ必要」と医師が判定すれば、医療給付が与えられます。保険者が同じですから、保険者サイドで給付内容別に医療と介護をキチンと区分しながら、うまくやっています。
岡部:わが国でも、医療保険よりは介護保険のほうが、問題は少ないのではないかと思われますが、ドイツではどうでしょうか。
土田:何年か前のことですが、ドイツの世論調査で一番評判のよかったのが介護保険でした。介護保険が圧倒的によくて、一番評判が悪いのが失業保険でした。
岡部:ハルツ改革に関する先生の論文を読んでもよく分からないのですが、ドイツでは失業保険がどうしてそんなにもめるのでしょうか。
土田:ひと言でいうと、ドイツの失業保険は手厚すぎたといわれています。失業保険の給付が切れたあとも、失業扶助という形で半永久的に手当がもらえたからです。その際には前歴や資格が重視されて、前歴に合わない仕事を紹介された場合には拒否できるということがありました。例えば、旋盤工が勤めていた会社が潰れて、旋盤の仕事がなかった場合には、他の仕事を紹介されても、それを拒否して、ずっと失業扶助をもらうことができました。でも、あまりに失業者が増えてしまって、財源が持たなくなったので、ハルツ改革で大幅にカットしたためです。
岡部:なるほど、そうですか。介護保険には、政党間の政策の違いとか争いとかはないのでしょうか。
土田:それほど多くはありません。従来から年金と介護は政党間の対立は比較的少なく、対立は医療保険と失業保険に集中していました。ただ、年金については、リースター年金導入以降、対立が激しくなってきていますが。
岡部:リースター年金は、2001年に導入された民間個人年金保険への補助制度で、個人年金保険を買うと、政府からの補助金によって、確定申告の際に保険料が納税者に返還されるという仕組みですね。
土田:公的保険の給付水準を引下げてそれに上乗せする形で、民間のリースター年金を導入しました。リースター年金は強制ではなくて任意加入ですから、任意で自分で積み立てできる人は従前通りの年金がもらえますが、自分で補填できない人は、所得代替率が公的扶助の水準まで下がっていきますから、受取額が減ります。リースター年金は約束違反で正当性がなく、年金制度の信頼性を壊すものだということで、これまで年金を手掛けてきた人たちは激しく批判しています。
岡部:ドイツは、わが国にとって社会保障のお手本であったものと思っていましたが、医療でも年金でも真似をしてはいけない反面教師に変わってきたのですね。
土田:それは、医療でいえば1993年の改革で市場原理といいますか、疾病金庫の選択制を導入したあたりから、改革の方向が従来とは異なってきました。わが国も影響を受けたわけですが、ドイツの改革の方向には十分な検討が必要だと思っております。
岡部:まだまだお伺いしたいことがありますが、今日はこの辺で。ありがとうございました。
(2009年12月20日、医療経済研究機構発行「医療経済研究機構レター(Monthly IHEP)」No.182、p2~14所収)