話し手:ロバーツ・ミタニ・LLC会長 神谷秀樹氏
聞き手:医療経済研究機構 専務理事 岡部陽二
今回は、ロバーツ・ミタニ・LLC会長の神谷秀樹氏に、わが国の医療制度改革議論の印象、バイオ・ベンチャー育成の問題点などについてお話を伺いました。
ロバーツ・ミタニ・LLCは、日本人一個人が初めて米国に設立した唯一の投資銀行としてNASD(米国証券取引委員会)に登録された投資銀行で、ニューヨークに拠点を置き、医療、金融サービス、教育に特化したM&Aなどの事業を展開しています。
〇 ロバーツ・ミタニ・LLCについて
岡部 ロバーツ・ミタニ・LLCについて簡単にご紹介下さい。
神谷 ロバーツ・ミタニ・LLCは、10年前に設立し、NASD(米国証券取引委員会)に登録した投資銀行です。現在日本人2人、中国人1人、韓国人1人、ユダヤ人2人というパートナー構成です。
投資銀行と言っても、われわれが興味を持っているのは投資とそのリターンだけではありません。お金で測れない大事な価値が、社会にリターンとして生まれるような投資案件を斡旋することが、われわれの哲学の一つです。お金で測れない大事な価値とは、人の命、健康、幸福感などです。その結果、我々の携わる仕事のうち、約7割がバイオ・テクノロジーや医療機器など医療に関わる案件となっています。
岡部 現在はロバーツ・ミタニ・LLC会長のほか、フランス国立ポンゼジョセ大学国際経営大学院の客員教授として東京で集中講義をされているとのことですが、その講義内容や対象となっている学生層などについてお聞かせ下さい。
神谷 ポンゼショセ大学で私が講義を始めたのは、ある意味でロバーツ・ミタニ・LLCにおける哲学の延長です。お金では買えない大事なものとして、われわれは三つのことに注目しています。一つは先程述べました命と健康の問題、二つ目はやはり金融になりますが、三つ目が教育です。
フランス国立ポンゼショセ大学国際経営大学院での学位取得はフランスの制度に基づくものですが、分校が日本にあります。昼間部はMBA取得のために数年間勤務した企業を辞めて入学された方が多く、夜間部は定年退職された元企業の役職者、都内でクリニックを開業されている医師など年齢や経歴、国籍は様々です。講義はすべて英語で行われますが、3時間から6時間の授業中居眠りをする生徒は一人もなく、活発に発言し、向学心が高い素晴らしい方々と巡り合えたことは大変名誉で有難いことと思っています。
講義では、「コーポレート・リストラクチャリング」即ち企業がどう生まれ変わっていくかを話しています。「リストラクチャリング」とは、英語でいうと「reinvent」、「生まれ変わる」ということであり、それは今の形から新しい形に一回だけでなく常に生まれ変わっていく、終わりがない活動であるという話から始め、企業においても上から与えられる問題ではなく、あなた自身が始めなければならない問題であることを伝えています。
〇 わが国の医療制度改革議論について
岡部 わが国において昨年来議論が一段と高まってきた医療制度改革議論について、お住まいの米国と比べて、ご自身がお持ちの印象をお聞かせ下さい。
神谷 医療費抑制という観点から考えますと、日本においては病気の予防に対して殆ど関心が持たれていないと感じます。アメリカの医療改革では、予防医学、即ち病気にならないことが最も医療費の抑制に繋がるという発想が基本になっていますが、これはわが国にも持ち込むべきではないかと思っています。
新薬の開発についても、治療薬に比べ、明らかに診断薬などの開発、認可はおざなりにされています。たとえば、がんを取り上げましょう。がんは早期発見さえすれば、現存の治療薬などで十分に治癒できます。ポイントは如何に早く見つけるかということです。しかし何十億ドルもかかり、10~20年かかるジーン・セラピー(遺伝子治療)には目が行くものの、現在まさにできようとしている血液や細胞検査による癌早期発見診断手段の開発などにはなかなか目を向けません。
岡部 わが国においては、予防のための検診などを公的保険の対象にするか否かの議論は従来からなされてきましたが、その検診自体の有効性に関するエビデンスに基づいた議論が充分になされてこなかった点が問題ではないかと思います。
神谷 現在の日本の医療システムは、病気になった人を治すことにインセンティブはありますが、病気にならないことに対するインセンティブは少ないと思います。日本の医療保険制度は病気になった時のための保険であり、健康診断などを受けるインセンティブは働いていません。
スピード違反や交通事故を起こすと、保険料はどんどん上がっていきます。同じように、健康診断に行かない人の保険料は、翌年10%上げるなどのシステムを作れば、健康診断を受けるインセンティブとなります。国民の健康を守ることができると同時に、医療費抑制にも繋がります。 国会で健康増進法案が審議されていますが、今後まだまだ改善の余地があるテーマではないかと思います。
〇 バイオ・ベンチャーの育成について
岡部 ロバーツ・ミタニ・LLCでは、バイオ関連のプロジェクトを多数手が手掛けておられますが、わが国でのバイオ・ベンチャー育成について、当面の課題と対応策についてお考えをお聞かせ下さい。
神谷 日本にも昨年「日本バイオ・ベンチャー推進協議会」などが出来、バイオ・ベンチャー育成のインフラ整備が始まったように思われます。当社のパートナーであるビビアン・リーが今春来日して、いくつかのベンチャー企業を訪ねてこのような動向に触れ、興奮して帰って参りました。その際、私に申しました感想が「日本は素晴らしい。いよいよバイオ・ベンチャーが生まれてきている。欧州の8年前、アメリカの20年前にそっくりだ。」というものでした。バイオ・ベンチャーと呼ばれるような企業群が生まれ始めたというのは素晴らしいことです。しかしこれをしっかりした産業、そう「日本の未来の基幹産業」に育てるには、まだまだ長い道程を歩んで行かなければなりません。いくつかの基本的な課題をご指摘申し上げます。
まず、知的資産の法的な保護が確立していません。私が大事な発明をすれば、間違いなく米国の法的システムにより保護を受けるようにします。実際に、現在私が関わっている世界的な大特許2件については、いずれも米国法人を作り、その法人を特許の所有者としています。侵害する者は直ちに米国の裁判所に訴える体制を整えています。
次に、ベンチャー・キャピタル(VC)コミュニティーも未発達です。私は日本の殆どの有力なVCとお付き合いがありますが、有力数社にライフサイエンスを専門に勉強している方がせいぜい一人か二人、日本全体で10人いるかいないか、そして米国のバイオ・ベンチャー企業への投資をリード・インベスターとして出来るところは未だ1社もないでしょう。もう暫く時間がかかります。
株式公開市場となりますと、日本人のライフサイエンス・ベンチャー企業を担当出来るアナリストや投資銀行家は皆無です。たとえ店頭市場などで公開するにしても、外資系の米国人バンカーやアナリストに頼らざるを得ないでしょう。生保など機関投資家も米国ベンチャー・ファンドなどを組織したり、それに参加したりして、海外で本業界に投資し、経験を積んできたファンド・マネージャーは皆無に等しいですから、実際には投資したくても投資出来ないでしょう。
政府が「バイオ、バイオ」と言って鐘や太鼓で囃子立てても、実際には投資家たちは未だ全く踊っていません。日本では医療よりむしろ産業用バイオの方に可能性が高いかなと感じているぐらいです。
岡部 日本でも特許の取得や新薬承認のプロセスは相当改善されて来ましたが、成立後の特許紛争解決に長時間掛かる裁判制度の改革が急務である点は同感です。
ベンチャー・キャピタルの使命は、自然に興こってきたベンチャー企業に資金を付けるのではなく、素晴らしい技術は持っているけれども会社の中では報われない人材を大製薬企業などから引き抜いて、資金を付けた上でベンチャーを起させることが仕事だという話をヨーロッパ訪問時に聞きました。要するに、ベンチャー企業というのは、放っておいて出来るものでなく、創らなければ出来ないということでしょう。日本には、そもそもそういうコンセプトがないような気がします。
神谷 日本でさらに不足しているのは、バイオ・ベンチャー企業を育成することが出来る経営者です。最近、大学教授によるバイオ・ベンチャーの起業などのお話がある意味でブームになっています。しかし、これらの企業の育成に関して実際にご相談を受けますと、ほとんどの場合、先生は大学教授とベンチャー企業の経営者との「二足の草鞋」を履いていて、大学の研究費、企業の予算がどんぶり勘定。経営感覚はゼロで、事業としてみれば箸にも棒にもひっかかりません。
おそらく,ほとんどが事業としては失敗するでしょう。またこのようなバイオ・ベンチャーに、分っていないのに分ったふりをするにわか作りのべンチャー・キャピタリストやお役人が安易に資金を出していけば、やがてITバブル崩壊の二の舞を演じることになります。ベンチャー企業の成功はブームに乗って出来るような生易しいものではないと肝に銘じて取組まれることが重要でしょう。
一般論で言えば、研究(R)をしたいのであれば大学で、ベンチャー企業を起すなら開発(D)に徹底するべきです。ベンチャー企業には基本的に「R」に関わっている余裕はありません。日本のバイオ・ベンチャーのほとんどは、あまりにアーリーな段階に取組んでおり、それがそもそも間違っていると私は考えています。
よい科学技術はどこにも産まれます。もちろん、日本でも生まれます。しかし、科学を事業として成功させることができるかどうかは、その9割は経営者に依存します。日本にはまだそのような経営者がいない。そこが最大のウイーク・ポイントです。製薬会社の合併再編が進み、人材の流動化が始まるまで、この問題は解決しないでしょう。ドイツにバイオ・ベンチャーが勃興しはじめたのも、人材の流動化が起こってからでした。
日本生まれのよい科学技術に対して、今私が出来る具体的なアドバイスは、残念ながら「アメリカへの企業移民」以外にありません。一方、アメリカへの企業移民は、イスラエルやオーストラリア生まれのベンチャー企業には相当普及してきました。
〇 製薬業界について
岡部 わが国のバイオ・ベンチャーが育たない原因の一つは、人材や技術の供給源である製薬業界にもあると思われますか。
神谷 日本の最優良企業のひとつはトヨタでしょうが、年間5百万台を超える自動車を販売し、そのうちの日本における販売は1.6百万台程度です。トヨタが最初の自前の車を売り出してから、まだ40年ほどしか経っていません。最も競争の激しいアメリカでも日本と同数の車を売り、レクサスという新ブランドを見事に構築しました。彼らが成功した理由は、極めて早い段階から名古屋を飛び出し、アメリカという厳しい市場で競争し、切磋琢磨してきたからです。日本の製薬業界には何百年の伝統がありますが、その中からトヨタのような会社はまだ一つも出ていない。日本で保護され続けてきたからだと思っています。
岡部 保護というのは、具体的には薬価制度についてでしょうか。
神谷 薬価制度が最も大きいでしょう。護送船団のシステムの下、非関税障壁や薬価に関する価格統制が生きている時代に育った人間、即ち「保護された産業」で育った人間が、自由競争の国際市場で対抗出来るような経営者に突然生まれ変わるということは殆ど不可能です。MOF担をうまくこなすことによって社内で出世街道を歩んできた銀行経営者たちに、銀行再建を託しても全く進捗を見せないのと共通しているように思います。
日産の再建は何もルノーの支援があって出来たのではないのです。CEOにブラジル人の優秀な経営者をもってきたからです。日本の製薬企業も、本当に生き延びたいのならば、取締役会主導でCEOをジョンソン&ジョンソンとかその他の優良企業から引き抜いてみては如何でしょうか。グラクソ・スミスクラインができて、元スミスクラインの多くの新薬開発担当者たちが抜けました。その多くを獲得したのはブリストル・マイヤーズです。日本の製薬企業が誰かをリクルートしたという話は聞きません。そうした改革が出来なければ、保護行政の退化、たとえば、薬価の引き下げに沿って、日本の多くの製薬企業は緩慢に滅びて行くのでしょう。
世界の製薬業界を見ても、アストラ・ゼネカのように、欧州の小国から出てきた製薬企業で、短期間に世界のリーダー足る地位を立派に確立したところがあります。このようなことが日本の製薬企業に出来ないかと言えば、「出来ない」という理由は全くないのです。これもまたベンチャー企業同様、経営の問題に尽きます。
日本の殆どの製薬企業に必要なのは、徹底した「コーポレート・リストラクチャリング」であると確信します。取締役会が問いかけるべきは「誰がそれを牽引できるのか?」ということでしょう。そして、私の知っている国内製薬企業の方にも、現状に危機感を持たれている方は大勢います。そうした社員の方に申し上げたいのは、企業改革は「あなたが始めなければ誰も始めない」ということです。
【神谷秀樹氏 Profile】
1975年 早稲田大学卒、同年 住友銀行(現三井住友銀行)入行
1984年 ゴールドマン・サックス社に転職
1992年 ミタニ&カンパニー(現ロバーツ・ミタニ・LLC)を創業
現在、ロバーツ・ミタニ・LLCの会長を務める他、フランス国立ポンゼショセ大学国際経営大学院客員教授として、主にコーポレート・リストラクチャリングを講義
(取材/編集: 広森)
(2002年8月、医療経済研究機構発行「Monthly IHEP(医療経済研究機構レター)」No.101 p2~6所収)