話し手:スタンフォード大学・アジア太平洋研究所医療政策比較研究
プロジェクト・アソシエート・ディレクター 西村由美子氏
聞き手:医療経済研究機構 専務理事 岡部陽二
今回は、医療社会学がご専門のスタンフォード大学・アジア太平洋研究所・医療政策比較研究プロジェクト アソシエート・ディレクター 西村由美子氏をお招きし、医療社会学、医療情報処理のIT化、レセプトデータと情報公開、国際比較研究のあり方など米国での最新の状況を踏まえたお話をお伺いしました。
〇 医療社会学について ~日・米・英の手術件数に関する国際比較研究から
岡部 まず、日本はもとより米国でも新しい「医療社会学」という分野を究めようと志された動機に興味があります。自己紹介かたがたスタンフォード大学に行かれたきっかけをお話いただけますでしょうか。
西村 私が医療問題を研究するようになりましたのは、1991年にスタンフォード大学アジア太平洋研究所に就職してからです。日本では「教育社会学」と「職業社会学」の中間領域の研究をしていまして、たとえば学校に行って資格を取ったり勉強したりすることが、キャリア形成や職業機会を得ることについてどのような効果があるのかなどの研究をしていました。
米国に暮らすようになったきっかけは夫の転勤ですが、米国でダニエル・オキモト教授という当時のスタンフォード大学アジア太平洋研究所の所長にお会いしたのがきっかけで、現在所属しているプロジェクトに採用していただき、そこから医療問題の研究をはじめました。その後12年間一貫してこのプロジェクトに携わっており、ここ数年はアクティング・ディレクターを任されて、自分のテーマでの研究だけでなく、研究プロジェクトの統括マネジメントをしてきました。
研究も面白かったですが、プロジェクトのマネジメントも大変に面白い経験でした。たまたまプロジェクトのスタート・アップの時期から参加しましたので、米国式プロジェクト・マネジメントのノウハウをつぶさに経験できたことが、非常に幸運であったと感謝しています。
岡部 任されてマネジメントしておられるそのプロジェクトの使命は。
西村 私どものプロジェクトは「Comparative Health Care Policy Research Project」で、日本語でいうと「医療政策比較研究プロジェクト」となります。ミッションは米国からオーストラリア、ニュージーランドまでのパンパシフィック・エリアの医療制度や政策に関する国際比較研究を行うことにあります。共同研究にはスタンフォード大学医学部のアラン・ガーバー教授が率いているチームと私のプロジェクトがジョイントしているものもあります。私はマネジメントのほかには、社会学的な視点からの研究を担当しております。
岡部 先生のご専門の医療社会学という切り口から、日米の医療に対する考え方の根本的な違いについてお聞かせください。先生のご研究に子宮全摘出手術の手術件数の国際比較研究がございますが、この研究内容についてもお触れいただければと思います。
西村 米国と英国の子宮全摘出手術件数を対人口比で比較すると、米国が英国よりはるかに多いという事実があります。私どもの調査は、はじめは米国と英国の医師を調査して、このような手術率の違いに医師の意思決定の違いがどう反映されているかを見ようとしたものでした。調査では六つの仮説的な症例ケースを提示し、それぞれのケースの患者に対して「(あなたが主治医だったら)手術を実施するか、実施しないか」と単刀直入に聞いて、医師の意思決定を実証的に比較検討しました。結果は、米国と英国の医師の間には意思決定においては統計的に有意な差が出ませんでした。
医師の意思決定の段階では統計的有意差がないにも拘わらず、手術件数に大きな差が出てくるということは、この両国の手術率の違いには医師の意思決定ではない別のファクターが効いているという事実の証明になります。それでは,どのようなファクターが手術率に影響しているのか?米英の比較を続けるならば、これが次のテーマになるはずでした。
しかし、私は米国の具体的な事例を参考にした調査の症例のケースづくりを見ていて、これはアジアと米国・英国の国際比較を実施すると面白い結果が得られるにちがいないと思い、まず日本で、ついで台湾で、米英両国で実施したのと同じ調査をしました。結果は予想通りで、きわめて興味深い違いがでました。一般に「手術を実施する」という医師の比率は、米国や英国の医師に高く、アジア系の医師の方が低い,中でも日本が相対的に一番低く、そして台湾の医師はやや米国寄りの回答ということが分かりました。
全体的な傾向とは別に私が非常に興味深いと思ったのは、日本の医師が、「現在はまだ、がんではないが、将来がんに転じる可能性は否定できない」というような比較的低いレベルの予測ケースについてだけは、日本の医師が、英米の医師よりもはるかに高い割合で、非常にアグレッシブに「手術をする」と回答したことです。
これは米国人も英国人も理解できない日本の医師独特の意思決定行動でした。その理由としては、調査当時の日本では医療関係者であっても、がんに関しては率直に患者さんと話せないという空気があり、また「インフォームド・コンセント」等も徹底していなかった医療現場の実態が効いていたのではないかと考えられます。患者と率直に話し合えないとすれば、医師は「将来がんに転ずる可能性が否定できないから、今後も定期的にきちんとモニターし続けましょう」と言えない可能性もあります。
「この人がフォローアップに来なくなった後に、がんになって何かあるよりは、あらかじめ子宮摘出をしてしまったほうがよいのではないか」という判断を日本の医師がしている可能性があるのではないかと考えさせられる結果でした。これは、患者の側からみた時にはあってはならないことですし、また、医師側にとってもこのような決定までを医師のみが負わされていてよいのかという問題を提起していると思います。
岡部 私がこの研究結果で注目した点は、「がんの恐れはまったくないが、重い生理痛があったり、子宮脱の症状など、子宮があることによって痛みを感じたり、非常にuncomfortableな状態である。本人は、今後出産するつもりもなく、子宮の摘出を希望している」という最も手術の必要性が薄いのではないかと思われるケースへの回答の違いです。このようなケースに対して、「手術を実施する」と答えたのは、日本の医師ではわずか10%であったのに対し、英米の医師は35%以上が手術を「実施する」というデータが出ている点です。
西村 この問題には、「身体観」が絡んでくる、いわば哲学の問題だと思います。私が最初に申し上げたケースは、患者と医師の対話がどうなっているかという社会的な仕組みの問題ですが、ご指摘のケースは、無意識のなかにある思想としての「身体観」が関係してくると思います。調査票の自由記入欄に「我々には人間の体というのは一つのものだという考え方がしみついており、この臓器は『必要』とか『不必要』といった判断を個々のケースで行うといったトレーニングはされてない」と指摘した日本人医師がいましたが、米国人の医師、特に外科医は、一般的に、自覚しているかどうかは別として、人間の身体というものはパーツの集合体だと、行動的にそのような考え方に慣れている気がします。
これらの議論は文化的な影響が大きいところだと思います。しかし、「文化の違い」で片付けて判断停止してしまっていてはお互いの理解が進みません。私が実施した調査のように、ある程度までデータや数値などにより事実を断面として切り取ってきて同じテーブルの上に並べて比較する努力をすることで、どちらがいい悪いの結論などは出せなくても、少なくともお互いの行動の違いをきちんと自覚することはできます。
医療社会学の研究は、このように、「たまたま」自分がやってきているにすぎないことを非常に正しい、あるいは唯一正しいことだと思っているお互いの思い込みについて、「目からうろこを落とす」手助けをすることだと思います。この部分に寄与するのが医療社会学の実証研究の重要な使命であると思っています。
岡部 人口1万人当たりの全疾病についての手術件数の日米比較では、米国の方が日本より3倍多いという数字が出ています。日本は「薬漬け」、米国は「手術漬け」などといわれますが、個々の疾病のケースごとにどのような治療が患者にとってベストの選択であるのかが国民の最大関心事です。先生のされております社会学的なご研究は、こうした方向での医療の質の向上に役立つところが大きいものと期待しております。
〇 医療情報処理のIT化
岡部 先生のもう一つの専門分野で、慶応義塾大学と共同で進めておられます「職域におけるヘルスプロモーション研究」などIT技術を駆使してのデータ解析研究についてお伺いします。米国の産業のIT化はわが国より進んでいると言われていますが、米国でも医療分野については、他の分野に比べればかなり遅れているようですが。
西村 米国では医療分野を一律にIT化するには、種々の困難があると思っています。米国の医療制度は、日本のようにすっきりした、演繹的に上から順番につくったような感じの制度から考えると、非常に複雑です。
岡部 そうですね。診療報酬体系にしても、病院ごと保険ごとに異なり、非常に複雑です。
西村 そもそもIT化が最も力を発揮するのは、一律に決まっているものを大規模処理する時です。ところが米国の医療は、まず州ごとに制度がバラバラです。医師や看護師の免許証を発給するのも州政府、公的医療扶助のメディケイドの制度も州によってかなり違います。病院システムごとにもいろいろ違いがあるのはもちろん、さらに公的保険であるメディケアやメディケイドと、民間保険でまた違いますし、民間保険もそれぞれバラバラです。したがって一律にIT化を進めるには多大の困難があります。
岡部 先生の見方では、日本の制度の方がむしろ画一的でシンプルであるため、IT技術を活用すれば、いまのレセプト情報だけでも十分な分析ができるとお考えでしょうか。
西村 米国に比べればはるかにIT化しやすいと考えています。たとえば日本の制度では、診療報酬点数表に載っていない診療行為については、基本的には保険からの医療費の償還はしない。しかも、ほとんどすべての医療機関は保険診療をしている。したがって医療機関と保険者とのお金のやり取りに関しては、全て診療報酬点数表のコードに則って情報がやり取りされています。しかもIT化が遅れている、遅れていると言われていても,日本ではほとんどの病院がすでに医事会計のシステムは導入しています。私は、この医事会計システムのデータベースに入っている情報を基本的な情報として活用するのがよいと考えています。
岡部 病名は、もちろん統一されるに越したことはありませんが、統一されていなくても、診療報酬点数表で統一されていれば、そのデータは使用できるということですね。
西村 病名の問題ばかりが問題視され、しかもかなり政治的に議論される傾向にあるのは残念なことだと思っています。しかし、病名に関する議論に決着がついていない今の段階でも、たとえば医事会計データベースのデータだけでも自由に使えるようになれば、かなりのことが分析できるという考えを私は持っています。繰り返しますが、医事会計データには病院が提供したサービスの明細が、原則的にはすべて記録されています。だから「単なるお金の記録」ではなく、病院が行った診療行為の記録でもあるのです。医療費の明細だけでなく、標準化できていないにしても病名や診断日も記録されていれば、診療科もわかる。入院日・手術日・退院日など様々な情報も含まれています。
たとえば、同じ症例の術前や術後の入院がいったいどのぐらいの範囲でばらついているのか。手術後の管理については、クリティカルパスがかなり普及してきましたが、それでもかなりバラツキがあります。それはなぜなのかを考えるためには、まずは実態をしっかりと把握しなければなりません。また、簡単なコスト計算を診療科ごと,患者ごと、入院のケースごとなどについて実施したりもできます。
さらに、データベースから必要な情報を検索・抽出できるようにしておけば、たとえば新たに副作用が見つかった医薬品の投薬記録を過去にさかのぼって調べたり、複合作用のある医薬品をあわせ服用している患者がいないか検索したりするなど、リスクマネジメントにも役立ちます。これらは医事会計データベースのデータがあれば十分に実現できます。
なぜ医事会計データにこだわるのかというと、日本の病院の大多数がすでに医事会計のシステムを持っているからで、つまり医事会計のデータはほとんど電子化されているからです。電子化されているデータは集積,統合しやすい。日本では医療のIT化が遅れていると一般的に言われておりますが、実際にはかなり進んでいるのではないでしょうか。ただ、残念ながらIT化の方向が間違っているのではないでしょうか。最大の問題はデータが自由に取り出せないシステムになっていることです。一般に考えられているように、病名の標準化が進んでいないことが最大の問題なのではありません。
岡部 医事会計システム内には有用なデータがありながら、それが医療の質を上げるための基礎データなどとして有効に使われていない現状があると言うことですが、それを使うようにするためには何が必要でしょうか。
西村 医事会計システムに限らず、基本的にいまの日本の病院情報システムは、病院のさまざまな日常業務を簡便化・合理化する目的で導入されています。つまり、すでにある既存業務の支援システムとして設計されています。医事会計システムでいえば、病院の会計窓口の方や医療情報部でレセプト出力をされる方の業務を支援するためだけに設計され、使われています。
だから、これまでやられてこなかった業務目的のために使おうとすると使えない。そもそもそのように設計されていないからです。しかし、すでにお話してきましたように、医事会計データのような多様な使い勝手のあるデータを,単に会計処理だけのために使い捨てているのはもったいないのです。これを活用できるようにしなければ、と思います。
岡部 単に有価証券報告書をつくるためだけに会計システムを持っている企業はありませんね。必ず財務分析を通じて経営の効率化推進に活用しています。
西村 病院ではこれまでデータを活用して客観的にパフォーマンスを評価したり、分析するというニーズが現場になかったので、一般企業のようにはシステム化されてこなかったのでしょう。ですが、時代の要請は病院にも及んでいます。病院にもさまざまな評価・分析が求められるようになってきました。ところが、今度はそのような評価のためのデータは「ない、ない」と言われている。そんなことはない、データはあるのです。たとえばほとんどの病院がもっている医事会計システム内にあるデータを利用するだけでも多種多様な分析ができる。当面はこの点を理解してもらうことが、まずは先決なのかもしれません。
〇 レセプトデータと情報公開について
岡部 病気を予防すれば医療費が節約できる」と観念的には理解できても、その具体的なエビデンスはこれまでありませんでした。そのエビデンスの解析手法を、この間の慶應義塾・スタンフォード・ヘルスケア・カンファレンスで、西村先生が中心となって開発されたレセプトデータを用いた分析システムを使って解析され、研究発表されましたね。
西村 レセプトデータはほとんど使いものにならないと日本の研究者の間で言われてきました。医事会計データと同様で、確かに病名の問題などいろいろありますが、保険者の持っているレセプトデータを使うことで、病院側のデータからだけでは見えないいろいろな分析ができる可能性があるのだということが見えてきました。
その一つが健康診断データと統合して行う分析で、ヘルスプロモーション事業の効果なども、きちんと母集団を規定したうえでより正確に測定・評価できるようになります。予防医療には医療費削減効果があるといっても、現実には、企業が予防医療だけに力を入れて疑わしい従業員のケースをすべて病院に送った場合には、長期的にはともかく短期的には医療費はかえって増えるでしょう。
現に私たちが解析した企業でも、確定診断がついてもおかしくない数値が健康診断で出ているのに、まったく病院にかかっていない従業員が相当数いるのです。これは他の企業のデータを見ている私の経験からも、また産業医をしている共同研究者によっても、日本企業ではかなり一般的な傾向だと思われるので、ヘルスプロモーション事業を実施すると個々の健保の負担はもしかすると短期間には増えるかも知れません。
しかし、日本全体で考えた時には、将来高齢者が消費する医療費を減らせるかもしれない。どのぐらいの率で減らせるのか、減らせるとすれば,そのために今誰がどこの部分の費用を負担すべきなのかということが分かるような方向に研究や議論を持っていくべきでしょう。
岡部 財務データは開示するのが原則である、という考えは日本にはありませんね。非営利法人は公開企業と異なって、財務データなどを公開する必要はないと考えられてきました。米国の状況はいかがでしょうか。
西村 日本はノンプロフィット・オーガナイゼーション(以下、NPO)の情報公開についての規制が緩いと感じています。一方、米国では、NPOも非常に厳しく規制されています。免税の特典を受けるためにも自分たちの経営状態を逐一数字にして出さなければなりません。またNPOの経営は資金的に厳しいので、病院であってもコミュニティから寄付の形でお金を集めなければ経営が成り立たない環境下にあります。
岡部 そのためにも情報公開が必要ですね。
西村 「自分の病院が赤字であるのは、これだけ無保険者を治療しているからなのですよ」とか、「これだけ先端医療をやっているから赤字なのです」というようなことを理解してもらうためにも情報公開をしなければなりません。そのような理由でコミュニティに対する情報公開が非常に進んでいまして、病院があることの受益者でもあり、だからこそ支援者として寄付をしてくれる可能性もある地元企業や地域住民へのPRはきわめて活発です。
また、やや話がそれますが、研究者への情報公開もかなり進んでいて、公的保険であるメディケアが持っている情報は、研究者がいつでも自由に使えます。また、カリフォルニア州のほとんどの病院の退院サマリーなどのデータが研究用に公開されています。
〇 国際比較研究の進め方に関して
岡部 米国に住んでおられて、日ごろの国際比較研究でお感じになられている点を最後にお聞かせください。
西村 比較研究の難しさを常に痛感しております。たとえば、日本の「病院」と言う単語は、ほかに訳しようがないので"Hospital"と英語に訳されています。しかし、機能的に実態をみると、"Hospital"というのは、日本の「病院」と同義語ではありません。実体的には日本でいう病院の中の手術室とICUと回復室をちょっと出たぐらいまでを、米国の"Hospital"という言葉がカバーしていると考えた方がよいと思うのです。
逆にいうと日本の病院が持っているそのほかの機能は、米国では、"Skilled nursing home"などの中間療養施設がカバーしています。つまり、日本の「病院」は米国の"Hospital"よりもはるかに幅広い概念であり,機能なのです。病院というような誰でも知っていると思っている用語の定義一つにしても、このように微妙な「ずれ」が、各国間に存在するという事実を理解しておかなければなりません。
もっと具体的に言うと米国の病院にいる患者さんは、重篤な急性期の患者さんだけですから、ほぼ全員いつも病室にいてほとんど室外に出ることはありません。病室を出て自分で歩きまわったりして動けるような患者さんは米国の病院にはいないわけです。一方で、日本では患者さんの大半が病院内をかなり自由に歩き回っている状況があります。
この違いから、たとえば、院内感染の問題一つをとっても、日米ではかなりの「ずれ」が起こりえます。日本では、患者さんとう感染源がある意味では勝手に動き回るわけです。米国の病院では、このようなことは起こりえない。したがって、日本と米国では院内感染の管理の方法は、まったく違ってくるはずです。
も、日本から米国の病院の院内感染防止方式の視察にいらっしゃる方の中には、このような違いを無視して,あるいはこういう違いに気づかないで、単純に米国方式を日本の病院に導入しようとし、その結果うまくいかないで、「こんなものは使い物にならない。アメリカの制度は役に立たない」と断言される場合がままあります。
したがって、医療問題の国際比較研究に際しては、十分にこのような違いまでを理解した上でテーマや方法を設定できるスキルというものが必要だと感じております。
岡部 ありがとうございました。ますますのご活躍を期待しております。
(取材/編集 山下)
(2003年9月医療経済研究機構発行「Monthly IHEP(医療経済研究機構レター)」No.113 p2~10 所収)