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早稲田大学人間科学部教授 木村利人氏とのIHEP巻頭インタビュー ~医療のあるべき姿とバイオエシックス

                    
話し手:早稲田大学人間科学部教授 木村利人氏 
        聞き手:医療経済研究機構 専務理事 岡部 陽二
 

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 今回は、早稲田大学人間科学部教授の木村利人 氏をお招きして、「医療のあるべき姿とバイオエシックス」について分かりやすく解説いただきました。木村教授は、1957年に早稲田大学第一法学部をご卒業後、ハーバード大学研究員、ジョージタウン大学ケネディ倫理研究所教授・国際バイオエシックス研究部長など20年余にわたって米国で活躍され、1987年から現職。わが国のみならず、国際学界でのバイオエシックスのパイオニア的存在であります。厚生労働省・厚生科学審議会委員などを歴任され、現在では医師国家試験委員、内閣府司法制度改革推進本部法曹制度検討委員、東京都病産院倫理委員会委員長などにも就かれております。また、「バイオエシックス・ハンドブック-生命倫理を超えて」(法研)、「看護に生かすバイオエシックス-よりよい倫理的判断のために-」(学研)、「自分のいのちは自分で決める-生病死ノバイオエシックス=生命倫理」など著書も多数ございます。

〇 バイオエシックスに取り組んだきっかけ

岡部  木村先生がバイオエシックス に取り組まれるきっかけとなった、「ベトナムの枯れ葉剤作戦のビデオ[i][1]」を拝見させていただき、大変衝撃を受けました。

木村  私自身にとっても、何といってもこの目でベトナム戦争の枯れ葉作戦の惨禍を目の当たりにして身をもって実感したことが、バイオエシックスに取り組む一番のきっかけになっています。ベトナム戦争に対して、徐々に世界的なスケールで反戦機運が盛り上がり、当事国である米国内においても反戦運動が起こってきました。当時、戦争真っ只中のベトナムに私はいて、そのような運動も目の当たりにしました。最終的に「反戦ベトナム運動」という形で、世界の声が「戦争反対」というようにまとまった背景には、「自分たちの命は自分たちが守っていかなければならない」という意識が高まったためであると考えられます。
 医療にしても、「患者の権利運動」がちょうどその頃に米国で起こってきます。「自分の命を自分で守る」という意識を持ってないと、「医師の言うままに、自らが参加しない形の医療」のなかに取り囲まれてしまうといった危機意識が高まってきたものです。あるいは公害の問題、消費者の権利の問題に関しても同じようなことが起っています。「患者の権利運動」に見られるような、いわば1960年代後半から盛り上がった「市民の異議申立て」に共感したバック・グラウンドが、私自身にはあります。「実態を知らないままに世の中が動いていってしまう現状があり、私たちが発言しないところで私たちの命がなくなってしまう」という、そのいちばんの根本のところに気がついたことが、バイオエシックスに取り組もうと思ったきっかけです。

岡部  米国において六十年代、七十年代にバイオエシックスが興隆したのも、最大の背景というのは、やはりベトナム戦争になるのでしょうか。

木村  そこに収斂していくと思います。ベトナム戦争は正式に宣戦布告することもなく、なし崩し的に戦争状態に入っていきました。しかも、そこには差別の構造もあり、たとえば裕福で、高い教育を受けた人たちは兵役忌避が多く、黒人の人達が多数ベトナムに来ていました。一方で、米国は差別を嫌う非常にオープンな国でもあります。戦時下のベトナムでも、人種問題をテーマにした雑誌が軍隊ごとに発行されていました。このような背景で、公民権の運動や反人種差別運動などが、ベトナム戦争を契機に凝集して出てきたのではないでしょうか。
 また、父は電気工学者でしたが、祖父がサイエンス、技術、倫理に非常に関心を持っていたということと、近所に住んでいました医師の叔父からの影響もあって、命の問題などには幼い時分から関心がありました。

岡部 米国では、そもそも「エシックス」や「道徳」といった人が守るべき規範は、法律よりもさらに上位の概念であると考えられているようですね。一方、逆にわが国では、法律で罰せられなければ、何をやってもよいといった考え方が強いように思われますが。 

木村  そうですね。たとえば人工妊娠中絶を例に取ると、1972年に米国最高裁判決で、中絶は女性のプライバシーの権利として認められたことになっています。しかしながら、米国の場合には、最高裁でそのように判例が下っても宗教的な信念で絶対に反対という人が大勢います。ですから現在でも、カトリックの人たちは人工妊娠中絶に反対です。一方、わが国では、優生保護法(1996年に「母体保護法」と改称)のような法律で中絶が認められた結果、これが違法性阻却の事由となり、刑法上は現在も堕胎罪がありますが、実体的にはほとんど堕胎が自由化されてしまっています。わが国においては、道徳的に良いか悪いかということよりも、優生保護法があるという事実、すなわち、法律が優先されています。

〇 インフォームド・コンセントについての日米での考え方の違いと普及させる方策

岡部 バイオエシックスの面から「インフォームド・コンセント」を考えると、日米で考え方か大きく違いますね。

木村  わが国の医療関係者から米国のインフォームド・コンセントは、医事訴訟を避けるための逃げ道ではないかとよく言われますが、決してそうではありません。確かに、医療の価値観、つまり、生命についての情報を持つという価値観に関しては米国でも、以前は医師主導でした。その価値観についての重心が、医療側から患者側に移ったのが六十年代の後半から七十年代の初めで、これが、ちょうど市民活動の広がりと重なってきます。そのような意味では、インフォームド・コンセントの問題も、法的な裁判の判例として、社会的には定着してはいきますが、本質的には「人間の価値観の変動」が起ったわけです。その問題の本質が、日本側ではなかなか見えて来ません。もう一つの問題は、米国はわが国のように国民皆保険ではなく民間保険が中心となっていますので、米国人には支払いに見合った対応を医師にきちんとしてもらわないと困るという、一種の患者の権利意識が潜在的にあるようです。

岡部  米国では、大病院にはバイオエシストが一人は常駐しており、インフォームド・コンセンを推し進める役割を担っているようですね。わが国では、どのようにしてインフォームド・コンセントを普及させていけばよいとお考えでしょうか。昨年、先生のご指導で日本看護協会でも立派な「医の倫理規定」をつくっておられます。先生がアドボケイトしておられるように、先ず、はじめに看護師を教育することが重要なのでしょうか。

木村  そう思います。米国でバイオエシックスに最初に取り組んだのは、看護師でした。患者に近い看護師達が最初に取り組むことで、患者のためのバイオエシックスを病院の中で展開していきました。米国の病院では、入院時の申請書に、「ムダな延命治療をしないでほしい」など患者が記入する欄があり、その内容の説明などをするために看護師や患者の権利を守る専門家などが立ち会う体制が確立されています。

岡部  病院の経営者、医師、看護師等が、「患者の意思」を入院・外来時に確かめるという体制が必要なわけですね。木村先生が作成に関わられた次頁に掲げました「東京都立病院の患者権利章典」は、きわめて分かりやすく、患者中心の発想で具体的に書かれており、大変すばらしいと思います。このような発想を広く普及させていくにはどのような方策がよいのでしょうか。

木村  私が1980年にわが国でバイオエシックスの問題提起をした初期の段階では、医師会などからは、好感を持って受け入れられませんでした。様々な障害もありましたが、米国から三十年遅れて、東京都立病院の「患者の権利章典」が完成しました。そのプロセスにおいて、病院側のアドミニストレーション、医師、看護師だけでなく、患者の代表も参加してもらい作業を進めて行くことが重要でした。わが国では、おそらく医療法の改正で普及を図って行くしかないでしょう。

岡部  わが国では、「倫理観」が「法律」の上位概念でないために、普及させるためには、そうせざるを得ないのでしょうね。

木村  米国には、「倫理観」が「法律」の上位概念として根付いています。例えばボランティアの活動にしても、米国のボランティアの活動というものは、地域のコミュニティの中で、その病院を支えるような形で展開されています。ですから、米国のホスピス・ケアのセンターなどには、かつて銀行にいらした方が会計士として働いていたり、看護師をやっていた方がアドバイザーとして、また、運転手をやっていた人が患者を搬送する仕事をしたりしています。このようなことは、わが国ではまだまだ根付いていませんね。
 米国のように「倫理観」が「法律」の上位概念として根付くには、「新しいコミュニティをつくる運動」と、「命を守る運動」とが連動していかなければならないでしょう。たとえば、既成の団体でいえば、多くのお寺さん。お寺さんの人に悪いかもしれないけれども、お寺さんが地域と関わるのは、お葬式の時だけです。もう少し、お寺さんもコミュニティの活動を行う必要があると思います。長野に住んでいる私の友人が、お寺を営んでいますが、そこでは写真展を開催したり、医療の講座を開いたり、積極的にコミュニティとの交流を行なっています。わが国では、お寺さんは地域の中心ですので、このようなお寺がたくさん増えてくるといいと思います。
 バイオエシックスを、単なる倫理学として「医療の分野における様々な倫理の学説の展開」というように考えるのは、問題があると考えています。医療や経済学、哲学、宗教が協力してつくり上げるものがバイオエシックスであると考えております。

セカンド・オピニオン

岡部  セカンド・オピニオンについても、徐々に普及してきているようですが、まだ十分ではありません。医師個々人だけの問題ではなく、医療機関の運営方針の問題として、取り組む必要があると思います。どうすれば次頁に掲げた例のように「当院はセカンド・オピニオンに協力します」ということを宣言する病院がもっと増えるのでしょうか。

木村  確かに患者が納得でき、信用できる医師であることが望ましいわけですが、いろいろな選択肢があることも重要です。わが国の現段階では、医療法改正のなかに「インフォームド・コンセント」や、「セカンド・オピニオン」についての扱いをきちっと入れた方がよいというのが、私の考えです。つまり、患者側は、権威ある教育を受けた知識を持っている医師に、なかなか申立て難いということがあります。それが法律として決まっていれば、患者側としては非常にやり易いと思われます。
 バイオエシックスの立場からいうと、日本人にとっては、立法化した方がよいと、私は考えています。

岡部  日本人は、法律で決まれば、それを重んずる国民ですからね。

 公共政策としてのバイオエシックス

木村  バイオエシックスが登場した初期の段階では、臨床場面、特に先端医療技術、とりわけ体外受精やクローン人間をつくるなど、常にテクニカルな問題の倫理的な側面について議論してきたのですが、今では、「公共政策としてのバイオエシックス」の議論が多くなりました。問題の所在を一般の国民に公開して、特定の専門家だけではなく一般の国民を巻き込んだ議論を尽くして、政策を共同で作り上げていくことが、バイオエシックスの大きな課題の一つになっています。

岡部  公共政策としてバイオエシックスを議論する場というのは、わが国では、まだ少ないないですね。

木村  あまりないですね。ただ少しだけ希望があるのは、閣議決定で、原則的に議論の内容をオープンにするということになったことです。しかも、米国では、インターネットで議事録が全部公開されて出てきます。これを見れば、わが国が目指す公共政策づくりのための方向性が見えています。私が関わった厚生労働省の委員会でも、インターネットを使ってパブリック・コメントを募り、そこで集まった意見を尊重して、政策に反映させた経験があります。そういう意味では、厚生労働省の官僚がつくった政策案が専門家の審議の中で大きく変えられて、さらにパブリック・コメントでも変えられるという可能性があり、既にそのようなことが起っているということです。

岡部  それは大変な進歩ですね。

木村  ただ米国では、公開するだけではなく、そこに来た人にも発言する機会があります。米国の審議会では冒頭で、「今日はよくおいでくださいました。書類は全部委員と同じ書類を皆さんの手元にお配りしています。会議の後半にはパブリック・コメントのセッションを持ちます」と担当官が発言し、傍聴者も午後の時間に一人五分間発言できます。ところがわが国の審議会は、冒頭で「傍聴者の方々は、ルールに従って、静粛にそこにお座りください」と言ってしまいます。最近では、厚生労働省も米国と同じように、委員の座る位置を明示した図を配ったり、資料を全員に配ったりしてくれるようになりました。そういう点ではパブリック・ポリシー・メイキングのために、前向きには進んでいます。ただし、傍聴者も発言できるようにすれば、もっとよくなると思っています。

バイオエシックスを分かりやすく伝えていくために

岡部  木村先生がお書きになったイオエシックスの本は、非常に読み易いのですが、一般的にバイオエシックス分野での文献や審議会の報告などは非常に難解です。どうすれば、一般に分かりやすく伝えることができるとお考えでしょうか。

木村  分かりやすく解説する人が必要でしょう。基本的なことなのですが、そもそもバイオエシックスというのは、一般の人たちが猛スピードで進む科学技術についてどのように決断をすべきかという情報を分り易く伝えることこそがバイオエシックスなのです。
 また、そのようなことを教える学者・先生の数が圧倒的に不足しています。それともう一つは、学者の側にも大きな責任があって、「分り易く書くことはレベルを下げることだ」と思う人が多いのです。つまり、難しく書いている方が、学問的にレベルが高いというように思っている人が多いということです。

岡部  先生がご指摘されたことで思いつきますのは、「脳死は人の死か、死でないか」と言う議論です。「脳の機能停止は、死か、死でないか」ならば、論理的に分りますが、死ではない可能性もある事態をはっきりと「脳死」と書かれることで、意味を分かり難くしている気がします。

木村  議論を難しくして煙に巻くということが、専門家の常套手段でした。バイオエシックスは、本来はそれを打ち破った学問であります。先日もスイス国内で、バイオテクノロジーに関する様々な実験を実施してよいかどうかの論議が非常に盛り上がりました。その際、現場の科学者たちは地元の人達のところへ行き、科学者の言葉ではなく、一般の人に分かりやすい言葉で、なぜスイスにとって先端技術の実験を必要とするバイオ・インダストリーが重要なのかを説明する行動をとりました。その結果、国民の理解を得ることができたのです。最も重要なのは、先進医学の方々が一般の人達にもわかるような言葉で、説明する責任を持たなければなりませんし、バイオエシックスのそもそもの出発点は、まさにそこにあります。

岡部  木村先生は今年で早稲田大学はお辞めになりますが、これからは幅広くバイオエシックスをアドボケイトする人を育てるということに、もっと自由な立場で専念されるおつもりでしょうか。

木村  そのつもりでいます。バイオエシックスの人材養成・教育の一環として、早稲田大学は今年の四月から、オンデマンドのコンピュータ教育でバイオエシックスの講座をつくりました。文部省の認定した私の試験をパスすれば、単位が取れるようなシステムです。最近では、医師国家試験においてもバイオエシックスの問題が出るようになってきましたので、バイオエシックス講座の必要性も高まっています。バイオエシックスは教員数が少ないのことが問題でしたが、その問題もこのシステムで解決できます。

岡部  それは素晴らしいですね。早稲田大学だけではなくて、日本中の大学のバイオエシックス講座の先生になっていただけるわけですね。

木村  いまのところ、このシステムは20ぐらいの大学で採用になっています。バイオエシックスの展開という点からみても非常に重要なことと思っています。分かり易い言葉で、「脳死」、「クローン人間」「患者と医師との関係」「インフォームド・コンセント」などを解説していきます。

バイオエシックスの今後の展開

木村 単なる「医の倫理」や「看護の倫理」でない、本当に私達が二十一世紀に自分達の命を自分達が守って、お互いに支え合いながら豊かにしていくものとしてのバイオエシックスをこれから広めたいと考えています。今までは、「先端科学技術のバイオエシックス」でしたので、バイオエシックスといえば、体外受精や遺伝子治療などを思い浮かべてきたと思います。しかしながら、私は、「高齢者のバイオエシックス」というものが、これからは非常に大事になってくると思っています。

岡部  やはり、「死をどのように考えるか」というバイオエシックスが、一番重要ですし、高齢者からのニーズも多いですね。

木村  人間は、みんな命の終わりを迎えます。それまでの時間をどうやって充実させて、最後の瞬間までどう豊かに生きるか。また、どうやってクオリティ・オブ・ライフを向上させていくのか、ということを考える「高齢者のバイオエシックス」が脚光を浴びる時代になってくると思います。

                                                      (取材/編集 山下)

<別掲>

東京都立病院の患者権利章典(2001年制定)

 患者さんは、「患者中心の医療」の理念のもとに、人間としての尊巌を有しながら医療を受ける権利を持っています。また、医療は、患者さんと医療提供者とが互いの信頼関係に基づき、協働してつくり上げていくものであり、患者さんに主体的に参加していただくことが必要です。

 都民の生命と健康を守ることを使命とする都立病院は、このような考え方に基づき、ここに「患者権利章典」を制定します。

 都立病院は、この「患者権利章典」を守り、患者さんの医療に対する主体的な参加を支援していきます。 

  • 1. だれでも、どのような病気にかかった場合でも、良質な医療を公平に受ける権利があります。
  • 2. だれもが、一人の人間として、その人格、価値観などを尊重され、医療提供者との相互の協力関係のもとで医療を受ける権利があります。
  • 3. 病気、検査、治療、見通しなどについて、理解しやすい言葉や方法で、納得できるまで十分な説明と情報を受ける権利があります。
  • 4. 十分な説明と情報提供を受けたうえで、治療方法などを自らの意思で選択する権利があります。
  • 5. 自分の診療記録の開示を求める権利があります。
  • 6. 診療の過程で得られた個人情報の秘密が守られ、病院内での私的な生活を可能な限り他人にさらされず、乱されない権利があります。
  • 7. 研究途上にある医療に関し、目的や危険性などについて十分な情報提供を受けたうえで、その医療を受けるかどうかを決める権利と、何らの不利益を受けることなくいつでもその医療を拒否する権利があります。
  • 8. 良質な医療を実現するためには、医師をはじめとする医療提供者に対し、患者さん自身の健康に関する情報をできるだけ正確に提供する責務があります。
  • 9. 納得できる医療を受けるために、医療に関する説明を受けてもよく理解できなかったことについて、十分理解できるまで質問する責務があります。
  • 10. すべての患者さんが適切な医療を受けられるようにするため、患者さんには、他の患者さんの治療や病院職員による医療提供に支障を与えないよう配慮する責務があります。

 

静岡県浜松市にある聖隷三方原病院が掲げているポスター

~セカンド・一オピニオンに協力します~

 患者さんが納得して診療方針を決定し、ともに診療を進めていくことが当院の基本的な理念です。方針を決める上で、主治医以外の医師の意見を聞きたい方もいると思われます。当院では、そのような考えをお持ちの方のために、必要な資料や検査結果を用意いたします。遠慮なくお申し出ください。

(2004年3月医療経済研究機構発行「Monthly IHEP(医療経済研究機構レター)」No.118 p2~10 所収)

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