話し手:慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授 田中滋氏
聞き手:医療経済研究機構 専務理事 岡部陽二
今号より、新企画として「巻頭インタビュー」を掲載致します。医療経済研究機構専務理事岡部陽二がインタビュアーを務め、医療経済分野における有識者・病院経営者・医療関係企業幹部の方々のお話を幅広く伺いたいと考えております。
第一回は、慶應義塾大学大学院の田中滋教授に、今後の社会保障や医療保険のあり方などについてお話を伺いました。
〇 社会保障を考える上での基本理念について
岡部 田中先生には1月早々の当研究機構研究会でも「昨年の話題とこれからの道筋」と題して医療政策のあるべき姿につきまして論じて頂きましたが、本日はこのご講話を踏まえまして、先生の政策論の背景となっております基本的な考え方などを中心にお伺いします。まず、最初に先生は医療をはじめとした社会保障についての基本理念をどのようにお考えでしょうか。
田中 世界の経済はボーダーレス化しつつあるとはいえ、経済に関係するすべての制度や分野がグローバル化していくとは限りません。中でも社会保障はなかなか共通化しにくい方の典型でしょう。理由は次の通りです。
そもそも、社会、コミュニティー、それに家族形態は、歴史と文化を反映して、国ごとに違っていますね。社会保障制度は、社会や経済、コミュニティーや家族の機能を補完する役割を担うので、補完する対象の成り立ちが違う以上、やはり国によって異なった形をとるからです。社会保障の理念は、その国のあり方を映す鏡像と言ってもよい。
岡部 先生は医療についても少なくとも六つの類型に分けて考えるべきであるとおっしゃっていますが、私もそうだと思います。
田中 したがって、どの国にもあてはまる理想の基本理念は存在しません。では、わが国はどのような理念を求めるべきでしょうか。日本は、これから各主体ができるかぎり自立した社会を目指す必要があり、そのためにはリスクを引き受ける意識も重要な要素になると考えられます。
経済的リスク、取り分け貯蓄の運用形態、就業先と職業の選択、自らの人的資本の蓄積と生涯教育を通ずるその補充などについては、依存と保護のメンタリティから脱却し、リスクをとっていかなくてはなりません。
一方、現在の日本では、市場経済の外側で人が助けあう機能、たとえば寄附・慈善に向けられる金額は税制のせいもあって少なく、地域社会なり親族なりの機能も相対的に弱い。かつてのように「勤め先がゲマインシャフト」でもあった古きよき時代はもう戻ってきません。ゆえに、経済面での厳しい戦いに立ち向かう際に社会保障制度が果たす「後方支援」機能はますます大切になります。
具体的には、本人、配偶者、老親や子供が、怪我したり、体や心の病に苦しんだり、要介護状態になったとしても、誰もが診療や介護サービスを利用できる安心感が代表です。まとめれば、21世紀日本における社会保障に求められる基本理念は、「自立を支える社会的連帯」「自立を促す社会的連帯」と表せます。
〇 今後の医療保険制度について
岡部 わが国では医療保険でカバーされていない疾病はほとんど存在しないという点から考えますと、先進国の中でも贅沢な制度だと思うのですが、わが国の医療保険制度について先生はどのようにお考えでしょうか。
田中 たしかに対象費目については広いかもしれませんが、給付率は高い方ではない。入院医療に対し7割しか給付しない医療保障制度は先進国では例外でしょう。特に、18歳未満の入院自己負担率は、少子化からの回復に少しでも役立つよう、1割程度への引き下げを図るべきです。小児入院に関しては無料でもよいと思います。
岡部 わが国の医療費は、対GDP比ではイギリスに次いで低い水準にありますが、それにもかかわらず、わが国では医療費の抑制ばかりが議論になる理由についてはどのようにお考えでしょうか。
田中 それは、主に財政面から議論が行なわれてきたことが原因です。日本で医療費を抑えようとする理由は二つあり、一つは国の一般会計が医療保険制度を補助している割合が大きいからです。大まかに言って国保では5割、老健制度では2割、政府管掌健保でも16%の国費が投入されています。
今の国家財政の状況下においては、この一般会計からの負担がボトルネックとなりますが、負担割合が法で定められているせいで、医療費全体の抑制を図る形でしか国費投入額を調整できません。
もう一つは、老人保健制度に対する拠出金という、保険者としてはほとんどコントロールできない支出ゆえに各保険財政が苦境に追い込まれているためです。こちらの理由からは、拠出金が無くならない限り、保険者は老人医療費の抑制を要求するしかありません。
財政面は別にすると、バイオなどの次世代産業育成、あるいは雇用吸収の観点から見れば、医療費増大はマクロ経済にとってはむしろプラスに働く側面も大きいのですが。
岡部 先生のおっしゃるように給付率を上げて自己負担を少なくするには保険料を引き上げるか、投入する公費を増やす以外に方法がないのではないかと思いますが。
田中 その通りです。誰も、ガン、脳出血、鬱症などを好んで選択しているわけではない。これらの疾病にかかわる診療ニーズの拡大を、患者自己負担増によって解決しようと図る思考法は間違っています。
社会保障制度の主要な機能はリスク分散にほかならず、かつ先ほど述べた社会的連帯の理念に照らせば、皆で公平に保険料を分担する姿が根本です。
岡部 高齢者を中心とした、今後の医療保険制度のあり方については如何でしょうか。
田中 介護予防策の理解と共に高齢期の健康寿命維持の研究が進み、合わせて高齢者が「終の棲家」として病院を利用しなくてもよいようにケア付き住宅などを整備する政策を推進すれば、一人あたり老人医療費は抑制可能です。
さらに、高齢者医療の保障制度を別に創り、拠出金を廃止して介護保険方式の連帯保険料に変えれば、医療保険財政の赤字問題は解消し、負担も保険料5%程度と連帯保険料3%強の合わせて8%台前半で済みます。その上で、政管の分割と国保の統合に手をつける手順が望ましいと思います。
岡部 そうしますと、医療保険における問題は高齢者問題であり、医療と介護を組み合わせて考える必要があるということでしょうか。
田中 医療と介護のほかに、住宅政策を合わせて考える必要があります。
岡部 始まったばかりの介護保険の給付額が昨年度で3兆円弱と言われていますが、すぐに10兆円くらいの規模に膨れるものと思います。そうなりますとどうしても財源負担の面で大きくならざるを得ないのではないでしょうか。
田中 団塊の世代が個々人でも集団についても介護予防に注力せず、かつ生活支援サービスの普及と利用が進まないと、そうした可能性を否定できません。やや体力の衰えた方が「住み慣れた地域で住みやすい高齢者向き住宅に移る」比率を増やす努力も大切でしょうね。また、痴呆に関する研究を通じ、予防や病態の進行停止さらには治療に役立つ医薬品が開発されるよう祈ります。
ただ、現在の経済状態の下で、将来の社会保障給付に不安感を抱かせる政策は、確率事象である要介護状態に備えて多数の人が貯蓄を増やし、消費に向けられる金額を減らして公共事業の乗数を小さくするばかりか、貯蓄のほとんどが預貯金に向かう異常な資金循環の改善を遅らせてしまうので好ましくありません。
岡部 介護保険や将来一本化した場合の高齢者医療・介護保険の財源について、税が良いのか社会保険がよいのかについて議論がありますが、先生はどのようにお考えでしょうか。
田中 理論的には、税であっても保険料であってもどちらでもよいと考えています。しかし、日本では医療分野で社会保険が機能してきたので、介護も社会保険方式にした方が親和性が強かったのです。スウェーデンのように医療が公費方式で賄われていれば、介護についても公費方式の方がうまくいくでしょう。
「医療のない介護はなく、介護のない高齢者医療はない」し、医療と介護が同じ組織によって提供されるケースも多いので、両者の財政方式が違っていては連携がスムーズにいきません。
いまさら、日本で医療に対し全額公費のNHS制度を採る選択は非現実的だとすれば、介護保障でも社会保険方式の活用が有効で、効率的な資源配分に役立ちます。
岡部 日本医師会の坪井会長が提唱しておられます自立投資論については、どのようにお考えでしょうか。
田中 保険理論に合わないジャンルについては医療貯蓄など別の手立てを用いて当然です。急性期医療は手厚い給付を行なうべきと考えますが、生殖医療などは保険原理に馴染みませんので、自己負担をベースに事情により公費を組み合わせる形がふさわしい。このように、医療のニーズ分野ごとに財源は異なる複線化に向かうと思います。
〇 今後の医療提供体制について
岡部 給付内容の見直しに合わせて、医療や介護の提供体制も見直す必要があると思いますが。
田中 順番は逆で、医療に対するニーズの多様化に合わせて提供体制のあり方を見直し、それに応じて保険給付内容を柔軟に調整する、が正しい論理です。提供体制に関しては何時間でも語りたいところとはいえ、時間の関係上、経済的に重要な点を一つだけ指摘しておきます。
それは、病院機能の分化と集中化が進展するにつれ、急性期病床に対しては出来高払いやDRG/PPSなど、患者の受療に応じて支払われる事後的診療報酬だけではなく、資本費の一定部分を直接に予算方式で渡す方が好ましいとの提案です。新しいステージにおける急性期病床は、稼働率に余裕をもたせないと、いざという時に患者を待たせる、あってはならない事態を引き起こしかねません。
岡部 病院の受け取る金額の中には、必ずしも保険者が支払わない、あるいは患者の自己負担でもない収入があってもいいということですね。
田中 はい。現に公立病院には補助金が投下されており、同じく医療機関の費用を補填する資金でありながら、診療報酬とは呼ばれていないだけです。ヨーロッパには、事後的な診療報酬が存在せず、全額予算で運営されている病院もたくさん見られます。
岡部 医療のコストをカバーするだけの診療報酬がないと医療機関は困るでしょうが、財源はどこから支払われても構わないわけですね。
田中 そうです。固定費の負担を軽くしておき、固定費回収目的で稼働率9割を目指すような行動の必要性を減らすためです。
岡部 資本費を民間病院へ直接投入する方式の採用は、難しくはありませんか。
田中 真の非営利性・公益性の担保のために、社団医療法人の場合は持分概念をなくす対応が条件でしょうね。
岡部 公費の他にプライベートの寄付を病院が受け取れるようにするために、持分のない非営利法人については、寄付を含め利益に税金を課さず、寄付者側も所得控除にすべきだと私は考えておりますが、先生はどのようにお考えでしょうか。
田中 社会資本と呼ぶに足る急性期病院なら公益性が極めて高いので、そう希望します。ただし、税に関する政策体系は医療分野だけの理由づけでは動かないかもしれませんが。
〇 今後の診療報酬のあり方について
岡部 最後になりますが、診療報酬についての先生の考え方をお聞かせください。
田中 診療報酬も、医療ニーズの性格が広がる変化に合わせて、多様化していく方向が正しいと思います。医療のクオリティーを上げ、同時に効率化する有効な方策は、診療行為別に見た医療機関稼働率を上げることです。すべての病院が、週1、2日だけ開くような診療科目をフルラインで揃える時代ではない。
そうした「多費目低稼動率型」は、質が上がりにくいばかりでなく、非効率になりがちです。交通が不便で、連携に用いられるIT技術が未発達だった昔はいざ知らず、これからは各病院が専門特化する戦略的選択が欠かせません。急性期入院に対する診療報酬は、ケースミックス指標を加味した1日あたりもしくは1件あたりの支払が主流になると予想します。
一方、急性期外来は、結局のところ出来高払いが一番欠点の少ない方式ではないでしょうか。生活習慣病に対する指導管理などは月額定額、そして療養期入院は1日定額を基本に、リハビリテーションなどに対する支払を組み合わせる形をきめ細かく設定する。そして、遺伝子関連や再生医療など、新しい医療技術や医薬品・医療機器をめぐる特定療養費制度をブラッシュアップしていく必要があります。
(取材/編集: 広森、石井)
(2002年4月医療経済研究機構刊行「Monthly IHEP(医療経済研究レター)」No.97P2~5所収)