話し手:日本製薬工業協会会長 永山治氏
聞き手:医療経済研究機構専務理事 岡部陽二
今回は日本製薬工業協会会長 永山治氏に、わが国の医薬品産業の現状と問題点や昨年8月に厚生労働省が発表した「医薬品産業ビジョン」についてのお考えをお伺いしました。
〇 政府による研究開発支援策とわが国医薬品産業の抱える問題点
岡部 製薬企業の命運を握る研究開発については、厚生労働省の「医薬品産業ビジョン」に盛り込まれた支援策の具体化や研究開発税制の強化など、政府による支援の動きが活発化しています。この期待に応えていかなければならない製薬企業の研究開発体制における問題点の所在と、今後さらに必要とされる支援策についてお聞かせください。
永山 私自身がこの業界に身を投じたのは1978年ですから、既に20年以上経過しましたが、その間に随分研究開発の流れが変わったと感じています。
わが国の医薬品産業は、1961年の国民皆保険の導入と1976年の物質特許制度導入、これは製法特許に加えて化学物質そのものを特許として認められるというものですが、この二つによって成長し、近代化したと言われています。最近に至って製薬産業の国際化や科学技術開発のペースが急速に上がり、今やわが国の医薬品産業はかなりの部分で欧米に追いついたと考えます。モノを見つける力である研究開発と見つけたモノを作り上げる応用化技術、工業技術についても、欧米と横一線に並んでいるのではないかと思います。
しかしながら、将来の創薬研究開発のキー・プレーヤーになりつつあるバイオ・テクノロジーについては、残念ながらわが国は相当遅れていると言われています。米国では80年代のレーガン政権時に、既にバイオ・テクノロジー分野への投資を始めています。冷戦終了という背景の下、新しい米国の競争力を高めるために国防費から多額の資金がITなどの他分野に移っており、その中にバイオ・テクノロジーもあった訳です。80年代後半には既にアメリカの議会では、バイオ・テクノロジーを含めた注力分野における競争力強化委員会を設置し、副大統領が委員長となって非常に戦略的に検討を進めていました。
わが国では、「ミレニアム・プロジェクト」が前世紀の終わり、小渕政権時に打ち出されたのを端緒として、様々なかたちでライフサイエンス分野の発展に向けた医薬品産業の国際競争力強化が政府の掲げる重点科学技術分野の一つとして取り上げられていますが、米国とのタイムラグが大きかったことは否めません。
岡部 わが国がヒトゲノムの解読において、米国に比べかなり遅れた要因の一つでもありますね。
永山 医薬品産業は90年代から本格的な国際競争に突入しました。勝ち残るためには研究開発基盤の強化、すなわちバイオ・テクノロジーも含めた新しい創薬体制を早急に整備する必要があります。しかし一方で、1995年をピークにわが国の医薬品市場はマイナス成長であり、今後も医療費抑制という財政的プレッシャーはさらに大きくなると考えられます。このアンバランスが現在の医薬品産業を取り巻く大きな問題の一つと言えます。
岡部 かつて日本の医薬品市場は世界市場の約23%を占めていましたが、現在では14%ほどに下がっており、そうした点からも製薬企業が国内市場だけに目を向けていたのではジリ貧に陥ります。企業の立場としては、必然的に海外市場に目を向けることになりますね。
永山 売上高に占める研究開発費比率においては、既に欧米企業と遜色ありません。しかしながら、一企業あたりの研究開発費の額では4~5倍の違いがあります。このことは、最新の技術を導入したり、最先端の科学領域で研究を展開したりする場合に、経済的に不利といえます。また、一つの新薬を世界市場で同時販売するためには約1,000億円が必要と言われているように、非常に大きなリスクを背負っているとも言えます。
米国との違いを申しますと、同じように多額の研究開発費を投入しても、わが国の場合はなかなか素早く新しい技術や領域に対応する体制を作れないということがあります。新しい技術革新には新しい技術者が必要となるため、そうした人材を採用したり、教育をしたりしたうえで新しい研究のドメインを作ることとなりますが、わが国の場合、研究に携わる人材の流動化が遅々として進んでいないため、即戦力の人材を集めることが難しいのです。米国では、新しい投資が起きると人材がスムーズに移動し、時間的な効率が図れます。
岡部 アカデミアも含めて、研究者の数は日米間で大差ないと思いますが、研究者の質の問題でしょうか。
永山 バイオ・テクノロジー分野に関する限り米国の研究者数は、わが国に比して圧倒的に多いと言えます。それは先ほど申し上げたように、国策として10年以上前からこの分野に取り組んでいる結果です。個々人の研究者としての質という問題ではなく、研究者の層の厚さが結果として全体としての競争力に影響すると思います。
岡部 政府による経済的支援についてはいかがでしょうか。米国の場合、NIHだけで2兆数千億円もの予算がバイオ・テクノロジーを中心とするライフサイエンスの研究に集中投資されています。わが国でも今年度予算においてライフサイエンス分野の研究開発に4,300億円が計上され、従来に比べて飛躍的に増加しているのは間違いありません。ただ、この研究費の所管は文部科学省だけでなく全省庁にわたり、多くの大学や研究所に分散投入されているのが問題ではないでしょうか。
永山 わが国の研究費は、従来、人件費として文教政策の中に埋没している点が問題と感じています。国立大学に講座があれば、その教授や助教授の人件費として支払われています。そして一旦教授になると、定年まで身分は保証されています。米国における研究開発はプロジェクト毎の予算となりますから、それぞれのプロジェクトで成果が出せないと、担当教授以下すべての研究者が入れ替わります。
米国のこうしたシステムを日本に導入するのは抵抗が強そうですが、英国のやり方は参考になります。英国では首相に科学技術全般へのアドバイスを担う主席科学顧問と科学技術庁長官を、ケンブリッジ大学のデヴィッド・キング教授が兼務しています。そして、優れた科学者である彼の下の研究評議会が、科学技術関係の予算を研究者に分配しています。このように司令塔のような機能を設置し、科学技術予算を一元的に管理することで効率をあげるというのは一つのアイデアだと思います。
わが国の仕組み上の良さは、どの世代にも永く受け継がれるべき教育が維持される点にありますが、国際的競争分野でのリサーチを大学において進めるには、硬直性が高くなるため、良い成果は生まれ難くなってしまいます。今、大学の独立行政法人化に伴い様々な改革が進みつつありますが、その結果は産業からも大いに期待しています。
岡部 たとえ良い成果が大学や公的研究所で生まれたとしても、その研究成果が上手く民間企業にトランスファーされないと意味がありませんね。
永山 「医薬品産業ビジョン」にもTLOについて記されていますが、媒体となる人材の育成がなされていないことが不安です。企業と大学では、知っているようで知らないことがほとんどではないでしょうか。両者のことを知っていて、両者に有益な結果に結びつける媒体となるようなサポートがないと難しいと思います。そうした仕組みを作ろうという動きは歓迎しますが、現状では実際に成果を生み出すレベルに達していません。
岡部 わが国の教育システムの問題にまで発展してしまいますね。
永山 ライフサイエンス分野における研究開発支援策について、既存の企業を助けるという観点だけからポリシーメーカーが考えているとすれば、道を間違えてしまうだろうと思います。教育システムも含めた広く大きな観点から政策を考えて頂く必要があります。
製薬協の最も大きなテーマは、世界中から研究者を集めて、わが国を創薬の国際競技場にすることです。企業に限らずわが国で研究開発投資が行なわれ、人材が集積され、競争が起きて初めてわが国が創薬の発信地になることができます。科学の世界に関しては、やろうと思えばやれるという気持ちを私自身は持っています。
〇 「医薬品産業ビジョン」について
岡部 昨年厚生労働省から「医薬品産業ビジョン」が公表され、私自身は全体としては高く評価できると思っています。ビジョンの中で企業の将来像として四つのタイプを挙げていますが、その点について会長のご意見をお聞かせください。
永山 四つのタイプの分け方については、クラシックだなという気がしています。国際的な概念としては、スモール、ミドル、ビッグの三分類が通常です。
また、サイズ分類から言えばメガファーマが必要とありますが、わが国の企業風土の中での企業統合はかなり難しいと思っています。先ほど国際競技場を作る話をしましたが、そうしたインフラ整備が先決だと思います。
欧米企業も自分の得意領域の中で財を蓄えて研究開発力を強化したのであって、わが国の企業が国内での蓄財を持たずに海外で急に展開するのは飛躍があり過ぎます。また、スペシャリティ・ファーマもあまり意味がないと思っています。「スペシャリティ・ファーマを目指すから、スペシャリティ・プロダクトを作れ」などと指示を出す企業はあり得ません。
岡部 ベンチャーの段階では、すべてスペシャリティだと思います。「医薬品産業ビジョン」にも触れられてはいますが、創薬の分野ではバイオベンチャーの育成がことさらに必要だと思います。それには、大企業から飛び出したり、引き抜かれたりして、研究者がもっと自由に的を絞った研究開発に没入できる環境づくりが必要ではないでしょうか。
永山 それは必要だと思いますが、企業でも研究人材が根本的に不足しているのが現状です。これに関して米国の例をみると、米国人だけではなく他国からの優秀な人材が活躍しています。韓国や中国の人材も、わが国を飛び越えて皆米国に行ってしまいます。
わが国の研究体制も、先に申し上げた国際競技場になるようなフレキシビリティを有していれば、世界中から人材は集まると思っています。現状は米国で箔を付ければ世界的に認知されたり、米国に行けば能力次第で多額の研究費をもらえたりします。優秀な人材が米国に集まるのは当然です。わが国にこうした磁石のような組織ができ、多くの人材が競争の中で雇用を求めていくスタイルができるまでは、ベンチャーも大手企業と組みながら徐々に育成していくしかないと思います。
岡部 会長ご自身も踏み込みが足りないと述べられている薬価制度について、改めてご意見をお聞かせください。
永山 「ミレニアム・プロジェクト」から始まり、現在もライフサイエンス分野に多額の投資が行われています。しかし、その結果として生まれた成果物の価格が極めて低いものとなってしまえば、誰もこの分野に挑戦しようとは思わないでしょう。
抽象的な言い方ですが、我々は価値に見合った価格をどう考えるかという理論構築をすべきだと思っており、今年の製薬協の事業方針もその点を中心課題の一つにしています。また、製薬協のシンクタンクである医薬産業政策研究所でも、様々なケースを想定しながら検討を進めています。
従来は薬価について業界が口出しすることは憚られる雰囲気がありましたし、それ以前に口出しする場もありませんでした。しかし、特にバイオ・テクノロジーの分野では、その生み出す価値と生み出すためのコストについて理解されている方が、行政側にもほとんどいないのが現状です。そうした意味で我々には価値や価格についての説明責任があり、説明する義務もあると思っています。
岡部 臨床試験のあり方について、お考えをお聞かせください。
永山 臨床試験について方向性は決まりましたが、実際の運用面で具体化されつつあるかというと、まだまだ道は遠いと思います。医師や医療機関の意識もまだ臨床試験には向かっていませんし、米国のようにインフラが充分に整備されていません。
また、患者さんの意識もそれほど高くありません。さらにコストが欧米に比べて高いため、わが国で実施するメリットは感じられないというのが実情でしょう。
しかし、創薬においては言うまでもなく基礎だけでは薬はできません。また、臨床科学自体が医療の質を上げる源泉の一つであり、医学の進歩に直結しますから、現状は変えていかなければなりません。
岡部 「医薬品産業ビジョン」では治験における医師への経済的インセンティブにも触れていますが、そうした点も欧米と比較して整備が不充分でしょうか。
永山 米国の場合、医師の受け取る総給料が100だとすると診療行為では70しかもらえず、残り30は臨床試験で稼ぐといった仕組みになっています。わが国の場合は、治験が固定給の枠を越えるエクストラワークとなっていますから、経済的インセンティブは働きません。
岡部 医師の給与システムの問題ですね。先日米国の大学病院を訪問し、医師に給与システムについて尋ねたところ、実際の勤務形態に応じてたとえば50%は臨床に従事した出来高払いで、残り50%は研究や教育職としての固定給ということでした。
永山 米国では、職務分担のセクションが整理されていますし、やらないと給料が減るシステムになっています。
昨年末にコーネル大学のメディカルセンターを視察しましたが、やはり立派な臨床治験センターを持っていました。治験センターのパビリオンにシティ・コープの経営者サンディ・ワイル氏の写真が数多く飾ってありましたが、相当額を個人で寄付されていると思います。
米国はこうした寄付をすると、寄付した人には税金面で優遇措置が図られます。またそうした寄付によって、医療機関は様々な設備を充実させ、地域医療に貢献できる仕組みとなっています。
岡部 やはり社会システムの根本問題に逢着してしまいますね。今日は、医薬品産業を通してわが国の様々なシステムにおける問題点をお聞きすることができ、大変勉強になりました。
(取材/編集: 広森)
(2003年3月医療経済研究機構発行「Monthly IHEP(医療経済研究機構レター)」No.107 p2~7 所収)