医療経済研究機構専務理事。元広島国際大学教授
岡部陽二氏
インタビューアー ●本誌 大根健一
「皆保険化」が大統領選挙の大きな争点となったように、アメリカ医療は瀕死の状態にある。ハーバード大学経営大学院のレジナ・E・ヘルツリンガー教授が著した『米国医療崩壊の構図』が今年一月、わが国内でも発行された。監訳に当たった岡部陽二氏は、崩壊した米国医療のシステムから、日本医療が学ぶべき点は多々あることを指摘する。
広島国際大学で「国際経営論」指導、国際金融マンが教材に選んだ米医療
-- 金融のスペシャリストであった岡部先生が、医療界との関わりをもつようになった経緯からお聞かせください。
岡部 私は住友銀行で40年勤務していましたが、キャリアの大部分はロンドンやニューヨークでの海外勤務です。国際金融、なかでも証券部門を主に担当していました。銀行を退職した後、明光証券(現・SMBCフレンド証券)の会長を四年ほど務めたのですが、そうした金融マンとしてのキャリアを終えようとした頃、新設されることになっていた広島国際大学の教授職を紹介されたのです。広島国際大学は、開設時から医療に関連する五学科を設置するなど、医療分野に注力していたのですが、当時の私は医療とはまったく無縁でしたから、まさに降って湧いたような話でした。しかし、友人からの紹介でもあり、電話でお断りするのも失礼かと思われましたので、教授陣の選考委員長を務めておられた広島大学の原田康夫学長に会うために広島まで行ったのです。もちろん、丁重にお断りさせていただくつもりでいました。
最初は自分のキャリアや医療に関して知識がないことなどを丁寧に説明して、固辞する意思を伝えていたのですが、この原田学長という人がとてもユニークな発想をおもちで、いつのまにか彼のペースに引きずり込まれていました。日本の医療には経営が存在しないなかで、銀行経営の経験を生かしてほしいということや、「国際大」という名前をもちながら、英語で折衝できる人材がほとんどいないことなど、次々に私を説得する材料を提示され、強引に押し切られる形で決められてしまったのです。その時はまだ、私は何を教えればよいのかも知らされていませんでした。これが私が医療の世界へと踏み込むことになった経緯です。
-- 大学ではどのような内容を講義されていたのでしょうか。
岡部 私が大学から与えられたのは「国際経営論」という「科目名」だけでした。つまり、講義の内容は自分で考えろということでした。しかし、国際経営といっても、医療経営学科ですから、私の専門である金融機関経営を教えることに意味はありません。また、日本の医療は非常にドメスティックですから、「国際」的な要素が経営に直結するようにも思えませんでした。ただ、そのドメスティックな日本の医療のあり方、特殊性を深く理解するためには、外国の医療制度を学ぶことに意義があるように思ったのです。
まず、最初に浮かんだのは、私が長く赴任したイギリスの医療制度でしたが、ご存知のようにイギリスは医療に関して「社会主義」とも呼べる制度を採用していますから、あまり参考にはなりません。もちろん、日本の医療制度の特殊性を考えれば、参考にできる医療制度をもつ国を探すほうが難しいのはわかっていました。ただ、変化が求められていた日本の医療制度が将来的に近づくであろう国はあると思ったのです。それがアメリカでした。アメリカにも三年半住んでいましたから、アメリカの医療が極端な自由競争下にあることは知っていましたが、将来の日本医療を考えた時、若い学生がその制度を理解しておく必要があると考えたのです。
しかし、私が広島国際大学に赴任した1998年当時、体系的に外国の医療制度をまとめた書籍は皆無でした。そこで、ニューヨーク在住の銀行時代の友人に相談したところ、『医療サービス市場の勝者』という本を送ってくれたのです。著者のレジナ・E・ヘルツリンガー先生は、ハーバード大学経営大学院の教授であり、女性としては同大学院初の終身専任教授です。彼女の講義は、もっとも人気のあるMBA講座の一つにも選ばれ、研究論文は欧米の医療経済学会などから数多くの賞も受賞しています。同書を読んでみたところ、アメリカの医療制度の概要が網羅されている一方で、その問題点や改善の方向性にまで踏み込んでおり、まだ医療の知識に乏しかった私でも興味深く読み進めることができました。
この本を教材用に翻訳して使用したのですが、その内容を教える難しさは日本にはない概念が多数出てくることにありました。「マネージドケア」や「HMO」などを一つひとつ理解させながら、制度の全容とその課題を教えたのですが、その時に考えたことは「学生だけでなく医療関係者にも読んでもらうべき本なのではないか」ということです。日本の医療は「皆保険制度」や「公共サービス」という概念に縛られていますが、その是非はともかく、日本の医療関係者がもち得ない視点から医療を考えることには意義があります。政府や公共機関を抜きにした医療機関と消費者の関係に重点を置いたこの本は、行き詰まり感のある日本医療の将来を議論するに当たって、有益な材料を提示するように思えました。
そこで、大手の出版社に持ち込んだのですが、まるで相手にしてくれませんでした。それでも、より多くの人に読んでもらいたいという思いが強かったものですから、学生時代からの知り合いの出版社に頼み込み、リスクをシェアする形で出版にこぎつけました。私自らセールスにも励んで、約九〇〇〇部を売ることができたのですが、この類の書籍としては異例の数字だと思います。
「医療サービス市場」という概念日本にはなく、今でもウエッブで「医療サービス市場」と入れると、この本しか出てきません。
物語形式で展開する「崩壊の構図」、米国医療を殺した「五人の殺人者」
-- 先生が監訳された、同じくヘルツリンガー教授の『米国医療崩壊の構図』(一灯舎刊、オーム社発売)が今年一月に発行されました。その経緯と発行のねらいは?
岡部 実は、『米国医療崩壊の構図』を発行する前に、ヘルツリンガー先生の著書をもう一つ監訳で刊行しています。『消費者が動かす医療サービス市場』という本です。この本は、ヘルツリンガー先生が消費者主導の医療に関する全米規模のキャンペーンを展開し、その成果である講演録などがまとめられているのが原著ですが、本書ではそれらのレポートのなかから、ヘルツリンガー先生が書き下ろした「医療保険論」の部分だけを翻訳しました。ただ、一般の読者にとっては、専門的過ぎて若干退屈な内容ですし、それだけに私もあまり力が入りませんでした。
これに対して、『米国医療崩壊の構図』は非常に興味深い内容です。物語風の語り口や構成、ケーススタディの積み重ねで米国医療の実態から読者に考えさせるスタイルなど、医療を詳しく知らない人をも魅了する内容だと思います。また、ヘルツリンガー先生は以前からマネージドケアを強く否定してきましたが、本書では米国医療の崩壊を医療提供体制全般に広げて分析しており、日本の医療関係者にも大いに参考になる内容です。監訳に当たっても、これまで以上に力が入りました。前二書に続く三部作の最後を飾るにふさわしい内容ですので、多くの医療関係者に読んでいただきたいと思います。
-- 具体的な内容について、簡単に紹介していただけますか。
岡部 本書『米国医療崩壊の構図』の原題は『Who Killed Health Care?』です。直訳すれば「誰が医療を殺したか?」ですが、原作の意図を汲み取って、サブタイトルに「ジャック・モーガンを殺したのは誰か?」と付しました。
ジャック・モーガンは腎臓病を患い、腎移植を必要とし、その手配もできており、さらに保険に加入していたにもかかわらず、死んでしまった架空の人物です。架空といっても、想像上のキャラクターというわけではありません。現実に、アメリカの巨大保険会社・カイザー・パーマネンテのHMO病院の腎移植プログラムで、2005年には112人の腎移植候補者が死亡しました。著者はこうした患者たちの共通項を融合して「ジャック・モーガン像」を創りあげました。そして、ジャック・モーガンを死に至らしめた「犯人」として、
医療保険会社
非営利の大病院
雇用主企業
議会と連邦政府
専門家集団
をあげています。医療保険会社は、患者の満足度には無関心であり、医療費の支払い、専門医の紹介、入院の承認など、ことごとく「ノー」というだけの存在に成り下がっています。非営利の大病院は、「非営利」を謳いながら、利益を重視し、政治献金による政府や議会への影響力と合併による寡占化を通じて巨大な帝国を築きました。規模の拡大に伴って非効率も増大し、患者にとってのリスクも大きくなっています。
雇用主企業は、本来であれば従業員に配分されるべき医療保険料に税制上の恩恵を受け、給料から保険料を差し引いて支払っています。人事部は画一的な医療保険の選択に走り、給付内容を狭めるだけでなく、従業員の選択の自由をも奪っているのです。議会は医師の仕事である医療の内容についてまで細かく口を挟み、市場を無視したお仕着せの医療プランによって、患者の自由を抑圧しています。そして、専門家集団は、医療費高騰の責任は、不必要な医療を患者に押し付ける儲け主義の医師にあるとする一方で、消費者の能力をまったく評価せず、賢い選択はできないと決めつけています。
このようにそれぞれの殺人者がいかにしてジャック・モーガンの死に関与したのかを分析・解説しているのが本書の前半部分です。その分析・解説は、患者を死に至らしめたという事実の原因を多角的に徹底解明することにより、望むべき医療システムに障害として立ちはだかっている要因を明快に示しています。
望むべき医療システムの実現には、「消費者が無理なく支払える価格で、質の高い医療サービスを提供するにはどうすればよいか」を議論する必要があります。ヘルツリンガー先生は「五人の殺人者」の介在を排除して、消費者と医師との直接交渉を重視することが出発点になると考えました。そして、「五人の殺人者」の存在や関与を認識したうえで、消費者を医療の中心に据え、医療サービス需要の選択と購買力の主導権を消費者側に移転する方策を具体的に示しているのが後半部分です。
-- 消費者と医療機関の直接交渉を重視し、自由競争を強めると、低所得の無保険者に影響が出るようにも思えますが。
岡部 アメリカの医療を論じる時、「4,700万人もの無保険者が存在する制度はよくない」という指摘は頻繁になされます。実際、先だっての大統領選ではオバマ、マケイン両候補とも皆保険化の構想を掲げ、その進め方が争点にもなっていました。ヘルツリンガー先生も皆保険論者です。しかし、本書では無保険者対策が医療システム改革の最重要課題ではないと論じており、私も同感です。
4,700万人の無保険者が存在するといっても、現実にはほとんどのアメリカ国民は最低限の医療サービスは受けることができています。それは公的な施設だけではなく、民間の医療施設からも提供されています。アメリカ病院協会が公開している合衆国内の全病院の財務諸表データで、収入のグロスとネットの差額は、一昨年で、一兆ドルにも達しています。この差額を日本語に訳そうとすれば、「未収金」としか訳せないかもしれませんが、概念としては大きな差異があるように思います。取り立てようとして取り立てられないのではなく、この額の分だけ、慈善医療が提供されたと病院が誇示している想定収入額です。それを支えているのは共助の思想に基づく慈善に対する考え方であり、その実践を促す優遇税制です。皆保険化がすぐに実現できないと考えられる理由は、一兆ドルの十分一にしても、この振替財源をすぐに用意するのは不可能に近く、またその必要もないからです。
著者の主張のポイントは、不要なのは医療保険機関の存在ではなく、保険機関の強力な介入です。アメリカの医療は、「尻尾が頭を動かす」ように、保険会社が医療内容の細部にまで首を突っ込んできます。これは日本の医療にとっても、将来的には他人事とはいえないでしょう。ですから、問題は、医療消費者ではなく、保険機関が医療機関に医療費を支払うという仕組みなのです。消費者と医療機関の直接交渉を重視するとはそのような意味です。
規制がもたらした日本医療の弊害、国民の希薄なコスト意識にも問題
-- では、日本の医療における問題はどこにあるとお考えでしょうか。
岡部 1942年の「ベバレッジ報告」以降、「医療福祉は国がサポートする」というスタイルが全世界に広がりましたが、政府が担うサービスは、規制でがんじがらめにされてしまいます。金融もかつては、金利や手数料などが一律とされており、今の医療界と似ている部分は多々ありました。一律のサービスのなかでは、消費者に選択の余地はなく、サービスの質を上げる推進力も生まれません。しかし、金融は規制を緩和することで、利益を上げるための質の向上や効率化の努力によって、顧客満足度を高めました。
医療には公共性が求められますが、サービスの公共性という点では、電力や運輸サービスなども同じでしょう。必要最低限は公定価格の世界に残し、それ以外の部分は各企業の努力と消費者の選択に委ねる。公共性を重視しなければならないとすれば、必要最低限が維持できるように価格を認可制にするという方法もあります。その仕組みのなかで、皆保険の長所が生きる部分もあるでしょう。しかし、現状の医療はすべてが全国一律の公定価格であり、このシステムで医療を提供することの限界がみえてきたのではないでしょうか。保険が医療の内容まで規定しているという点では、日本の医療も崩壊した米国医療と変わりはありません。
マクロでみた時、日本の医療はコストパフォーマンスに優れ、長寿をもたらした「悪くない」制度だといえると思います。しかし、この医療制度が同時にもたらしたものは、国民の「医療はタダ」という感覚です。この感覚が、さまざまな弊害を招いていることは確かです。総医療費を増やすには、まず自己負担を平均3割まであげるべきでしょう。現状の3割負担は、0割、1割、2割なども含めて、平均では1割9分くらいでしかありません。オーストラリアやカナダはすでに平均3割を超えており、先進国の水準としては決して高くはありません。適度な負担が伴うことによって、医療の内容とそれに必要なコストを個人が感じるようになることで、医療サービス市場が正常化するのだと思います。
慈善医療を誘導する制度の先行整備、中央集権の是正と患者の賢さが重要
-- 「米国医療の崩壊」から日本医療が学ぶべきものがあれば、教えてください。
岡部 まずは慈善医療の仕組みですね。現状はほとんど存在していませんし、それをバックアップする制度もありません。アメリカの慈善医療の背景にはキリスト教社会があるという指摘は的を射てはいますが、それだけで日本が真似できないと断じるべきではないと思います。なぜなら、アメリカでは強欲な株式会社病院でも、慈善医療に携わっているからです。何より、日本にもかつては「赤ひげ」のような文化があったわけですから、宗教や文化の違いで慈善医療を否定するのは無意味です。ただし、現在のような状況から慈善医療を普及させるためには、寄付金の無税化など誘導する制度が先行することが重要となるでしょう。
次に規制緩和です。規制緩和の最大のメリットは、新規参入を促して、競争がサービスの質を高めることにあり、それはあらゆる業種によって証明されています。へき地医療や不採算部門の切り捨てには、別の形で対処できる仕組みを作ればよいだけです。たとえば、救急医療に関しては、すべて税金で賄うという選択肢もあり得ます。不平等を恐れるばかりで規制緩和の議論を後退させるよりも、規制緩和によってこぼれてしまう部分にどのように対処するかを議論すべきではないでしょうか。混合診療の一般化についても、「格差が生じる」の一言で悪者にされていますが、日本全体の医療が崩壊しようとしている時に「どちらが大事なのか」を考えるべきではないでしょうか。
アメリカが皆保険制度をこれまで採用してこなかったのは、利権団体によるロビー活動のせいだけではなく、社会が今の制度を選択したからです。「医療はタダ」という感覚のなかにある日本人は、そうした選択肢があることすら知りません。だからこそ、QOLを高めるための医療にはお金がかかるということを認識することが肝要です。
確かに日本国憲法では、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が保証されています。しかし、「最低限度の生活」に不可欠な衣食住に関して、国が完璧にフォローしてくれるわけではありません。医療にも対価が求められることを各個人が考えること、そのなかで制度が構築されていくことが重要です。アメリカの医療を真似するというのではなく、日本の文化や国民性、皆保険制度などをふまえた独自の医療制度のあり方が、もっと柔軟に議論されてよいはずです。崩壊したアメリカ医療には、そのヒントがいくつも隠されているように思います。
4,700万人の無保険者ばかりがクローズアップされるアメリカの医療ですが、『米国医療崩壊の構図』に登場するジャック・モーガンは保険に加入していながら、適切な医療を受けることができず、命を奪われました。この本の最大のねらいは、政府が医療サービスの内容や診療報酬の細部についてまでこと細かに規定するシステムに、医療費の増大や非効率の原因が潜んでいることを明らかにすることにあります。そして、それはまさに日本の医療制度に酷似する部分ともいえます。
皆保険制度でありながら、総医療費のGDP比や国民一人当たりの医療費はアメリカの二分の一程度でしかないわが国は、その結果として、医療資源への十分な資金配分がなされていません。それが「医療崩壊」と呼ばれる現状を引き起こしているように感じられます。また、皆保険制度のもとでは、医療費の抑制が不可避となり、高齢化や技術革新に伴う医療費膨張の流れにおいて、診療制限や待ち時間の長期化など、質の低下をもたらすことは、イギリスやカナダでも証明されています。それでも、今後もますます高まるであろう医療消費者のより質の高い医療への期待に応えるためには、消費者中心の考え方で医療制度を考えることが重要だと思います。
アメリカでも州単位で「皆保険化」の動きがはじまっています。本書のなかでヘルツリンガー先生は、メリーランド州とマセチューセッツ州を取り上げていますが、前者を「間違いだらけのシステム」、後者を「概ね適切なシステム」と評しています。両者の大きな違いは、マサチューセッツ州は企業ではなく、主として個人に医療保険加入を義務づけたという点にあります。医療サービス市場を消費者が動かす方向に向っていることを評価したのです。皆保険においては日本のほうが先発ではありますが、こうした制度を謙虚に参照することも必要ではないでしょうか。
-- 最後に今後の日本医療、アメリカ医療の展望についてお聞かせください。
岡部 アメリカのほうがまだダイナミックに変化する可能性があると思います。現状の日本の医療はすでに八方塞にみえるのです。その最大の要因は、中央集権的な構造です。医療や介護は地域差が大きく影響するにもかかわらず、制度も価格も全国一律に決定されています。地域医療計画も中央から作らされているのでは、高い効果は望めないでしょう。アメリカでは、州単位で医療制度を変化させています。地方が主体的に動くからこそ、有効な医療システムが構築できるのではないかと思います。日本でも、東京をすべて特区にしてしまうくらいの大胆な変革が必要です。国全体での実験には膨大なコストを必要としますが、特区において有効性が証明されたものを全国各地が主体的に参考にするならば、コスト的にも効果的にも効率性は高いはずです。
一方で、患者が賢くなることも不可欠です。日本ではこれまで医療が選挙の争点にもならなかったことが、この国の絶望的な状況を表しているようにも思いますが、時間をかけて国民の賢さを求め続けることは必要でしょう。これは、『米国医療崩壊の構図』のなかで、ヘルツリンガー先生がもっとも強調していることです。
この本には、ほかにも日本の医療が今後の展望を考えるうえで有益な材料が多岐にわたって示されています。多くの医療関係者に読んでいただき、それが未来の日本医療に貢献できることを監訳者として願っています。
(2009年4月1日、メディカル・クオール㈱発行「メディカル・クオール」2009年4月号No.173 p33~38所収)