米上院は7月15日、金融規制改革法案を60:39の賛成多数で可決し、オバマ大統領にとっては医療改革法に次ぐ主要な国内政策における今年二つ目の大きな勝利となった。 この法案は、下院ではすでに6月30日に可決されており、7月21日に大統領の署名を経て成立した。
この金融規制改革は大恐慌の反省から銀行の株式引受等を禁じた1930年グラススティーガル法以来の大改革で、2007~09年の金融危機再発防止へ向けての下掲のような規制強化の施策が多数盛り込まれている。JPモルガン・チェース、ゴールドマン・サックスといった巨大金融機関は全事業部門で業務戦略の見直しを迫られ、さらなる巨大化には歯止めが掛けられる。米銀だけではなく、米国内で営業する外国の金融機関も、レバレッジや自己資本条件のより厳しい規制に直面する。
この規制法の成立は、短期的には官僚統制が強化されて金融機関の自由な活動が阻害される懸念もあるものの、国民感情を逆撫でするような高収益・高報酬だけを目指した強欲金融機関による投機取引を抑制する効果により、長期的には金融市場の正常な発展に資するものと考えられる。
1、 米金融規制改革法の概要
(1)監督体制
①規制当局者で構成する評議会の設置による一元的な監督体制の強化
②投資銀行を含め、大手金融機関はFRBが監督
③金融商品の消費者保護を担当する機関をFRB内に新設
④ヘッジファンドには登録を義務付け、情報提供義務を強化
(2)ボルカー・ルール関連
①ヘッジファンド等に対する銀行の出資は自己資本の3%内に限り認めるが、それ以上は不可
②銀行本体でのデリバティブ取引は通貨や金利など本業のリスク回避に関連する取引のみ認め、それ以外は禁止。デリバティブ取引はすべて清算機関を通じて取引することを義務付け
③他の金融機関買収後の連結負債のシェアが全米金融機関総合計の10%以上となることを禁止
(3)自己資本比率規制
一定規模以上の金融機関については、優先出資証券を中核的資本から除外
(4)預金保険の保護対象となる預金限度額
2008年10月に5年間の時限措置として引上げた250,000ドルを恒久化
2、 金融規制改革法成立の経緯
本年1月19日に行なわれたマサッチューセッツ州補欠選挙で、与党民主党は過去47年間故エドワード・ケネディ上院議員が保持してきた議席を失い、上院では59議席と絶対多数を失った。これは、金融危機後も大手投資銀行の巨額のボーナス支払を許容するなど大企業寄りのオバマ大統領に失望した民意の反映と受けとられた。この結果、医療改革法案の成立も危ぶまれたので、この危機からの脱却を図る起死回生の一手として、オバマ大統領が1月21日に打ち出したのが、金融規制法案への「ボルカー・ルール」の追加であった。
金融規制改革法案はすでに昨年12月に下院では可決されたものの、上院では共和党や金融業界からの根強い反発に遭って審議が難航していた。「ボルカー・ルール」は、大手金融機関の規模規制と業務範囲規制を柱とする新たな金融規制の枠組みであって、国際競争力強化のための金融の自由化や金融機関巨大化を主導してきた米国政府の180度方向転換である。この方向転換は、国際金融市場にも大きな衝撃をもたらした。
次に打ち出されたのが、4月16日にSECが行なったゴールドマン・サックスと同社社員一名の訴追であった。訴追理由は「サブプライム・ローンをベースとした債務担保証券(CDO)に関連する重要な事実を、虚偽記載ならびに省略することで投資家を欺いた」というものである。翌17日にオバマ大統領はラジオ演説で「金融危機の再発を防止するためにあらゆることを行なう必要がある」と指摘し、ウォール・ストリート改革の必要性を改めて訴えた。
この訴追が追い風ともなって、金融規制改革法案は5月20日に上院で可決された。上院では民主党が多数を占めてはいるものの、議事妨害(フィリバスター)を阻止できる60議席を割ったために、この法案を通過させるためには、野党共和党から少なくとも一名の賛同者を得る必要があった。そこで登場するのが、さきに述べたマサッチューセッツ州補欠選挙で議席を獲得した共和党のスコット・ブラウン上院議員であった。上下両院協議で法案を一本化した最終段階では、民主党の長老ロバート・バード議員が死去し、ラス・ファインゴールド民主党議員が反対に廻ったため、野党共和党から最低3名の賛同者を得なければ、成立が危ぶまれた。そこで、若干の規制緩和や破綻処理基金の撤回などの点で妥協が図られ、野党共和党からブラウン議員に加えて、オリンピア・スノー議員、スーザン・コリンズ議員(いずれもメーン州)の賛成を得、ようやく可決に漕ぎつけたものである。
3、金融規制改革法成立の背景と影響
第二次大戦終了後も米国ではレギュレーションQによる預金金利の上限規制や1963年から74年まで導入された米国での外国債起債に課せられた金利平衡税などで、国際化には遅れをとっていた。その結果、米国からユーロ市場への資金シフトが促進され、金融のイノベーションは専らユーロ市場で発展してきた。この動きに歯止めをかけ、ニューヨークを国際金融の中心として復活させるために1970年の半ば以降、米国でも金利規制の撤廃や業務範囲の段階的拡大を軸とする金融自由化が進められてきた。その背景には、利用者が預金や貸出だけではなく、総合的な金融サービスを望むようになってきたことや、銀行が証券業務を併営するユニバーサル・バンキングが主流であった欧州との国際競争力を強化するための国策としての戦略があった。
こうした規制緩和を背景に、米国では銀行、証券、保険会社のコングロマリット化、投資銀行の大型化が進み、80年代半ばにはすでに「ツービッグ・ツーフェィル(大き過ぎて潰せない)」との議論が浮上している。巨大化の問題点は、大型化した金融機関は簡単には破綻処理できないとの思惑から、金融機関を巨大化することで破綻を免れようとする誘因を経営者に与えたことである。2007年のベア・スターズ救済、リーマン・ショック以降の展開は、まさに巨大化が金融システムを歪め、経済システムを破壊しただけではなく、破綻処理コストがきわめて高くつくことを実証した。
今後の規制のあり方を巡っても、昨年までの議論は、自己資本比率規制の強化や監督機能の一元化、デリバティブの市場集中といった巨大化を前提とした対症療法的な対策であったが、本年1月にオバマ大統領が打ち出した「ボルカー・ルール」は巨大化自体に歯止めをかけ、銀行の業務範囲も縮小させるというコペルニクス的転回の発想であった。
一方、最近ではゴールドマン・サックスを初めとする投資銀行の収益のうち、証券引受・売買やM&Aの斡旋といった顧客のための本来業務から得られる収益は1割程度に留まり、9割はバランス・シートを使い、高いリスクをとって行なう自己勘定取引から得るようになっている。「ボルカー・ルール」は、まさにこのような強欲経営に対する警鐘であり、その趣旨が国民の共感を呼んだことは間違いない。
ユーロ圏の金融不安はいまだに収まっていないが、危機後の金融システム再構築には適切な規制強化が不可欠であるとの認識が、政府関係者からだけではなく、投資家などのプロの間でも高まっている。たとえば、ジョージ・ソロス氏は「プロ向けの高度な金融商品が市場に目に見えない不均衡を蓄積してしまうことを考えれば、危険な金融商品に対する規制強化が必要」と述べている。規制強化は最近のG20財務相・中央銀行総裁会議でも常に主要な議題となっており、米国がいち早く規制強化の具体的な道筋を示したことが、国際的な合意へ向けての追い風となることは間違いない。
(岡部 陽二・医療経済研究機構専務理事、元広島国際大学教授、元住友銀行専務取締役)
(2010年8月1日付け(財)外国為替貿易研究会発行「国際金融」1215号p16~17所収)