第二期生の東京への修学旅行は終戦後4年目の1948年11月、およそ半世紀前の出来事である。振り返ってみると、空襲の焼け跡と闇市以外には見るべき処もなかった時代に、よくぞ東京への修学旅行を決行されたものと大槻一夫先生はじめ当時の先生方の決断には頭が下がる。格好をつける訳ではないが、親の負担も大変であったろうと今更ながら感謝の念が蘇ってくる。
東京へは夜行の特急列車で10時間以上かかり、鎌倉、江ノ島、東京と廻って再び満員の夜行列車で帰京した。当時東京都内には泊まる宿もなく、焼け残った江ノ島の旅館では雑魚寝、それでも初めての遠出に興奮して寝付かれず、消灯後も枕を投げつけ合って叱られた記憶がおぼろげながら残っている。東京では出発までの自由行動時間に、当時人気の連続ラジオ小説「君の名は」で真智子と春樹が再会の舞台として有名であった御影石造りの数寄屋橋を何回も往復して銀座界隈を歩き廻ったが、僅かのお小遣いも節約してお土産一つ買わなかった。
鎌倉長谷観音の大仏前で撮った記念写真が何とも楽しかった旅行の情景を思い出させてくれる。この写真を虫眼鏡で眺めると、50年を経ても幼い頃の顔かたちは変わらず、半数位の学友は今でも的確に識別出来るのは不思議である。私にとってはこの修学旅行での見聞が、いずれ東京へ出なければ、との思いを抱くきっかけを作ってくれた意義は大きい。 (京都学芸大学付属中学校二期卒業)
(1997年11月1日、京都教育大学教育学部付属中学校50年史編集委員会発行、「京都教育大学教育学部付属中学校50年のあゆみ」所収)