中学・高校生の頃には、鮮やかな色彩や美しい結晶構造の鉱物に魅せられ、休日には京都周辺の野山を歩き回り、鉱物・化石の類を採集に熱中していた。週末や春夏の休みになると、ハンマー片手にリュックサックを背負って、西は秋芳台から東は岐阜県・赤坂の石切り場辺りまで足を伸ばすようになった。鉱物採集の傍ら、地質学にも興味が広がり、クリノメーター(傾斜測定器)で地層の傾きや断層の角度などを計っては、縮尺5万分の一の地図と睨めっこをしている内に、地図上の等高線の貌から実際の地形を何とか推測出来る域にまで達した。更には、車窓や飛行機の上から景色を眺めていると、あの山はどうして尖っているのかとか、この河の砂の色は何故茶色いのかといったことを考える癖がついてしまった。
海外勤務の間も機会を見つけては、珍しい地形や雄大な自然の景観地を訪れるよう心掛けて来た。トルコ・アナトリア高原にあるカッパドキアの奇岩、アメリカ・テキサス州にある世界最大といわれるカールスバッドの洞窟、オーストラリア中心部のエアーズ・ロック、ノールウエーやグリンランドのフョールド等々のユニークな地形は、自然の悪戯や気まぐれとしか思えないものだ。ただ、自然の雄大さという点では、何といっても大瀑布に勝るものはなかろう。
日本にも滝の数は多いが、大きな川がないため、滝も一条の白糸が垂れ落ちて一幅の絵の趣とでもいうべき慎ましやかなものにならざるを得ない。尤も、滝の幅は狭くても、深山幽谷で白い飛沫をあげて落下する様が神々しい雰囲気を醸し出す所為か、滝そのものが土俗信仰の対象とされて来たことが多い。「さんずい偏に龍」の「瀧」という漢字も、水中から龍が躍り上がる姿、あるいは龍が凄まじい勢いで流れ落ちる姿を模して出来たといわれ、滝壷に龍神が宿っていると信じた古人の思いが偲ばれる。ところが、ナイヤガラの滝を前にしても、自然の脅威は感じるものの、日本の滝のような神々しさに威圧されることがないのはどうしてであろうか。これは何もわれわれ日本人だけに限ったことではなく、フランスの作家アンドレ・マルローは那智の滝を見た時、感動の余り、暫しその場に立ち尽くしたと告白している。
日本の名瀑と称される滝は数多く、中でも落差133米の那智の滝と同97米の華厳の滝は、その風格、規模からみて双璧といえようが、落差では富山県立山町にある称名の滝が350米で最長。その向かい側のハンノキ滝は落差が500米もあるが、残念なことに融雪期にしか見られない。春先には、立山連峰の雪解けの水を集めてV字型の華麗な奔流となるが、どちらも途中で岩にぶっかって三、四段に折れているのが惜しまれる。
直瀑型で世界最長の落差の滝はベネズエラのオリノコ川に合流するカラオ河上流のエンジェルの滝で、落差979米。この滝は1933年に米国人パイロットのエンジェル氏が飛行中、偶然に見付けたもので、地上からのアクセスが悪いため、観光地にはなっていない。落差数百米規模の滝は世界には多数あるものの、瀑布の幅と水流でみたスケールの大きさの点では、ビクトリアとイグアス、それにナイヤガラの三つの瀑布が突出しており、これを世界の三大瀑布と呼ぶことに異論はなかろう。これらに共通してのは、何れも五大陸の一つのほぼ中央にあり、二ヶ国の国境線に位置していることである。
ビクトリアの滝を訪れたのは1986年の11月、南半球の初夏の頃で、アフリカ・ジンバウエの首都ハラレからローカル飛行便で真西へ約3時間飛んだ。空港から滝に続く道をザンベジ河沿いに歩いて行くと、俄かに霧雨が降りだし、前方も霞んで見えなくなった。それまで一点の雲もない快晴であったのに、おかしいなと訝しんでいると、今度は急に視界が開けて、まるで林が白い炎で燃え上がっているかのように天高く立ち昇っている巨大な水煙が目に入ってきた。雨かと思ったのは、実は滝壷に落ちた水が再び水煙となって地上500米位にまで舞い上がり、風の向きに従って落下しているためであった。後刻、セスナ機に乗って上空から眺めると、巨大な水煙の柱が何本も立ち昇っており、その壮絶な光景は凄まじい迫力であった。アフリカ東海岸に注ぐザンベジ川の河口から1,500kmも上流にあるこの瀑布は、かつて西海岸へ流れていたザンベジ川の川底が約2百万年前に隆起し、玄武岩台地を覆っている石灰岩を侵蝕しながら砂漠を横切って逆流した結果、250米も下にあった別の川に合流した時に出来た、と説明されている。
ビクトリアという名称は、1855年にイギリス人宣教師のリヴィングストン卿が時の英国女王に因んで名付けたものであるが、それ以前は原住民が「モシオ・アチュンヤ(轟く水煙)」と呼んでいたという。瀑布の幅はジンバウエとザンビアの国境に跨って1,700米、五つの滝に分かれており、落差は70米から、最も高いレインボー滝で118米にもなる。落差がナイヤガラの54~56米の二倍以上もあるうえ、3百近い数多くの滝に分かれているイグアスの滝とは対称的に五つの大きな滝に纏まっているので、水煙の柱がこれほど高く立ち昇る訳である。
ビクトリアの滝の素晴らしさは、瀑布の景観を妨げるような商業施設の設置が一切禁止されているため、何の人造物に遮られることなく、大自然のままの雄大な瀑布の全景を満喫できることにある。瀑布から大分離れた所にバンガロー風の小さなホテルが二・三軒あるだけで、土産物店もレストランもない。展望タワーが三本も建ち、エレベーターで滝壷の真横まで案内してくれる上、夜にはライト・アップして景観美を人工的に高めているナイヤガラとの滝とは正反対である。やはり、自然を自然のままの状態で鑑賞できるのは素晴らしいことで、何時までも自然景観の保護に徹して貰いたいものである。
イグアスの滝には、1972年と再度1989年の二度訪れた。いずれも、瀑布を遠望出来る公園内唯一のホテル「ダス・カタラタス」に泊まり、二度目の時にはヘリコプターで上空から瀑布の全景を観望した後、最近完成したイタイプ・ダムも見学出来した。イグアスの滝へ行くには、サンパウロから南西へ直行便で二時間余り飛び、カタラタス空港で降りる。この空港はブラジル・パラナ州の内陸部が、東から西へ流れるイグアス川を挟んで南側のアルゼンチンと国境を接し、南へ流れるパラナ河を挟んで西側のパラグアイと接している辺りに位置する。イグアスの滝はこの二つの川の合流点からイグアス川を上流に25粁遡った地点、そしてイタイプ・ダムはパラナ川を北へ20粁上がった地点にある。
イグアスの滝は硬い玄武岩台地が陥没し、水流で綺麗な馬蹄型に削られて出来たものである。馬蹄型の周辺は4粁で、ナイヤガラのホースシュー滝の幅675米に比べると約六6、落差も平均70米強と一倍半もある。かつてこの瀑布を訪れたフランクリン・D・ルーズベルト米国大統領夫人が「可哀相な私のナイヤガラよ」と嘆いたという逸話が今でもイグアスの滝の宣伝に利用されている。
この瀑布は、原住民の言葉で「巨大な水」を意味する「イグアス」の名に相応しく、水量が毎秒3万立方米、増水時には三百を超える多条の滝に岐れて落下する。中でも最大の滝は、「ガルガンダ・ド・ディアボ(悪魔の喉)」と呼ばれる凄まじい怒涛の滝で、この滝壷の上を青紫色に光輝くモルフォ蝶の群れが輪舞する様は、地獄と極楽を一緒にしたようで、この世のものとは思えない光景であった。
一方、1975年にパラナ川を堰止めて着工されたイタイプ・ダムは全長8粁、高さ196米の巨大な土木建造物で、ダムで堰止められて出来た人工湖の面積は琵琶湖の二倍。湖の対岸は遠く霞んで見えない。一基70万KWHの発電機が既に18基完成して、発電量は黒部の40倍、アスワン・ハイ・ダムを抜いて世界一を誇っている。このダムの一つの排水口から放流される水量がイグアスの滝全部に匹敵するそうで、排水流の轟音は正に耳を劈かんばかりであった。桁外れのスケールという点では共通だが、僅か30粁程しか離れていない所にイグアスの滝の自然美とイタイプ・ダムの人工美が並立するという際立ったコントラストの妙には、唯々驚くばかりであった。
ナイヤガラの滝は1977年の真冬に初めて訪れて以来、既に三回見ているが、水飛沫がそのまま凍りついた厳寒の眺めが一番印象的であった。この瀑布は約2万年前、氷河期終焉時に、エリー湖から東北のオンタリオ湖へ流れるナイヤガラ川の中間の断層帯に形成されたものである。この辺りは石灰岩と砂岩から成る軟らかい地層で覆われているため、瀑布の流れが毎年約1米宛、断崖を侵食して削り続けている。この侭侵食が進むと、25,000年後には、エリー湖側の河口にまで達し、瀑布は消滅する計算になる。しかし、最近は水量の三分の二を発電用に別の水路でバイパスしているので、瀑布の後退も相当減速している。ただ、その反面、心なしか瀑布の迫力もかなり減殺された結果、米国人にとってハネムーンのメッカともいうべきこの滝も、「米国の花嫁が失望する二番目はナイヤアガラの滝」(最初の失望は言わずもがな)と揶揄されるに至っている。とはいっても、遊覧船「霧の乙女号」に乗って、滝壷下流の激流を乗り越え、ホースシュー滝の真下近くにまで行くボート・ツアーはスリル満点、一度は味わってみるべきアドヴェンチャー気分であろう。
ところで、ナイヤガラの滝の周辺で目につく博物館やアイマックスというシアターなどでは、この瀑布に挑んだデアー・デヴィルス(命知らずの冒険野郎達)の物語を丹念に記録した写真や遺留品等を見せてくれる。彼らの中で最も有名なのは、「ブロンディン」という渾名の綱渡り師で滝の上に綱を張って単に渡るだけではなく、綱の中央部に止まってクッキング用のコンロでオムレツを作り、それを紐でぶら下げて「霧の乙女号」の乗客にご馳走したという。
一方、樽の中に入って滝に飛び込んだという無謀な連中が全部で36人も記録に残されており、現に彼らの多くは命を落としている。以前は金儲け目当てで飛び込む連中が相次いだため、今では1万弗の罰金刑が定められ、警備も厳しくなっている。それにも拘らず、一昨年にも樽に入って二度目の滝下りに成功した男が現れているのは、どういうことであろうか。矢張り、これは、実現困難な大きな目標があれば、リスクは承知の上でそのリスクに敢然と挑戦しないではいられないという狩猟民族の流れを汲むアングロ・サクソンのベンチャー精神の発露と解すべきではなかろうか。こういった向こう見ずの行動を非難するのではなく、むしろ賞賛の対象と考え、自己責任を明確にする社会風土がそれを支えているという面もあろう。ナイヤガラの滝を思い出す毎に、リスク・テイクを避け、リスクに挑戦する行為を評価しようとしない日本人の農耕民族型精神風土との大きな差異を痛感せざるを得ない。
(明光証券㈱会長)
(平成7年11月1日発行「証券随想」第49号所収)