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メディカル・ツーリズムの雄・インドのアポロ病院

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米印が逆転した心臓移植手術

 昨年8月6日付けの「インド・タイムズ紙」は、「インドの時代到来(The Times of India~In first, American gets heart in India)」と大きく報じた。記事の概要は次のとおりである。

  『ミネアポリス在住の65歳になる米国人実業家ロナルド・レマー氏は、米国の医師たちから「レマー氏の心臓の機能は通常の20%に低下しており、心臓移植ができなければ余命1年程度であるが、米国では1年以内に移植ができる可能性はほとんどない」と告げられた。そこで、レマー氏はインターネットを通じて心臓移植手術を受けられる病院を探した結果、インドのチェンナイ市にあるアポロ病院で移植が可能であることを知った。早速申し込んだところ、幸運にもすぐにドナーが見つかって、7月21日に移植手術を受けた。65歳での心臓移植成功は、インドでの最高齢移植記録にもなった』。

 アポロ病院は、1983年にインド人医師のプラーサ・レディ博士(Dr Prathap C Reddy、1957年生まれ)がチェンナイ市に創設した病院である。1983年当時のインドの医療水準では臓器移植はできず、公立病院でレディ博士が担当していた患者をやむなく心臓移植を受けるために米国へ送り出したところ、手術前に亡くなってしまった。そこで、インドでも臓器移植を手掛けられるような高度先進医療病院を自らの手で創り上げたいと決心して創設したのが、レディ博士によるアポロ病院設立のそもそもの動機であった。

 それから28年を経て、インドは心臓移植患者を米国へ送り出す国ではなく、逆に米国から患者を受け入れる国に、まさに180度大きく転換したのである。

 わが国でも民主党政権が経済成長政策の一環として打ち出した外国人に日本の医療機関で医療サービスを受ける目的での来日を促進するメディカル・ツーリズムを巡る議論が喧しい。そこで、この面ではまさに世界の最先進病院と目されるアポロ病院をニューデリーで訪ねた印象を踏まえて、その実像を紹介したい。

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インドのメディカル・ツーリズム

 レディ博士が創設したインド初の株式会社病院、アポロ病院グループは毎年1~2病院を新設し、現在では53病院、100クリニック、病床総数8,500床、専門医4,000名を擁するアジア最大規模の株式会社形態の病院グループに成長した。病院チェーン網はインド国内の主要都市はもとより、バングラディッシュのダッカやモーリシャスにも展開している。ニューデリーのアポロ病院が米国の医療機関評価機構(Joint Commission International)から、外国患者受入れに当っての国際基準適格認定を取得したインドの第一号病院となり、現在ではアポロ病院グループの6病院が認定病院となっている。アポロ病院グループに属する一部の病院の株式は公開されて、高収益企業として高く評価されている。

 アポロ病院を嚆矢として、インドにはすでに750の株式会社病院が設立されている。フォルティス病院、ヘルスケア・グローバル社、マックス病院などがチェーン展開してメディカル・ツーリズムに注力、インド全体でのJCI認定取得は13病院に上っている。この軒数はアジアではシンガポールの15病院に次いで多く、タイの7病院を上回っている。

 インドのメディカル・ツーリズムの市場規模は現在約7億ドル(560億円)で、世界の医療ツアー市場に占めるインドの比率は1.2%程度と推定され、現状では決して大きくない。それでもインドを訪れる外国人患者は2002年以降、毎年24%以上のペースで伸びており、昨年末までには延べ50万人以上が入国したと見られている。インド産業連盟によると、インドには年間100万人以上の外国人患者を受け入れるポテンシャルがあり、そうなれば年間50億ドルの外貨収入が得られるとしている。

 インドで治療を受ける最大の魅力は医療費の安さにある。たとえば、インドでの心臓バイパス手術の費用は、付き添い1人との個室での滞在費を含め、8,500ドル(約70万円)程度である。これが米国でなら約10万ドル以上になる。平均するとインドでの医療費は米国の10~20%で済むと言われている。アポロ病院グループでは、150種ほどの典型的な疾患別に手術の難易度に応じた手術・入院費用を包括的に定めた料金表を事前に患者に提示しているが、平均すると5,000ドル内外、最高の移植手術でも30,000ドルとなっている。

 医療の質の面では、医師の多くは米国での経験も積んでおり、米国に比べても遜色ないと言われている。そもそも、世界的に見てもインド人医師の水準は高く、外国で活躍するインド人医師の数は 6万人に上っている。英国では外科医の40%がインド人医師で占められており、米国においても 10%超える外科医がインド出身者である。

 現在のところ、医療サービスを求めてインドへやってくる旅行者の半分以上はバングラデシュ、パキスタン、ナイジェリアなど近隣の国々からの患者である。世界の医療ツアー市場では、患者供給サイドの4分の1を米国、英国、中近東が占めているが、これらの地域からのインドへの渡航者はまだ12%程度に過ぎない。

 インドは広く世界中からの患者を誘致すべく、現在でも1年間滞在の医療ビザが迅速に発給されているが、受け入れ態勢がさらに整えられれば、インドへの医療ツアー市場はさらに急拡大する可能性を秘めている。現にニューデリーのアポロ病院では、「5年前には南アジアからの人が外国人患者の8割を占めたが、今では7割が南アジア以外からの患者である」との説明があった。

 本年1月に出版された「病院がトヨタを超える日」(講談社+α新書)の著者で、カンボジアの医療システム立て直しに尽力されている北原国際病院理事長の北原茂美医師は、今メディカル・ツーリズムでもっとも注目されている国はインドであり、その源泉は豊富な人材力であると分析している。

 現状では、タイが外国人患者受入れ数で世界一多い。北原医師によれば、医療で外貨を稼ぐタイの発想そのものは間違ってはいないが、最近ではアラブ人の金持ちなどが増えて、その結果としてタイ国内での格差拡大が顕在化している。自国民を置き去りにした医療などあり得ないので、格差の拡大でタイのツーリズムは早晩行詰ると見ているのである。

 もちろん、インドも大きな格差問題を抱えているものの、豊富な人材と経済成長により格差問題も徐々に解消に向かうのは間違いないところであろう。インドの医師数は644万人(2009年現在)で、人口千人当たり0.6人とわが国の2.1人と比べると1/3のレベルに留まっている。しかしながら、国内に300校ある医科大学の卒業生は毎年約3万5千人に上り、急速に増えている。加えて、外国への移住や就労ビザの取得が難しくなってきたため、英国などからインドへ帰国する医師も増えている。
 
ニューデリーのアポロ病院

 ニューデリーのアポロ病院は1996年開設と比較的新しい。業歴16年と短いにもかかわらず、現在ではインドで最高の先進医療を提供している代表的な病院と目されている。この病院の正式名称は「インドラプラスタ・アポロ・ホスピタル」で、敷地面積は東京ドームのおよそ1.5個分に相当するデリー最大の病院である。

 急性期の総合病院であるが、心臓外科、腫瘍外科、脳神経外科、整形外科、多臓器移植などの外科分野でことに優れている。医師数300名、病床数は850床に増床中で、がんや循環器に特化した人間ドック部門も拡充している。昨年の医業収入は約90億円、利益約9億円を計上している。

 アポロ病院は心臓手術で有名で、グループ全体で創業来5万5千件(最近5年間で1万9千件)の心臓外科手術を行ない、その成功率は99.6%であったと公表している。心臓外科では全米ランキング10年連続1位に選ばれているクリーブランド・クリニックの専門医が「もしも私が心臓手術を受けるのであれば、アポロ病院へ行く」と言ったとされているほど、評価の高い病院である。

 乗用車でアポロ病院の敷地内に入る際には、厳しいセキュリティー・チェックがあるのにまず驚いた。もっとも、同様のチェックは民間病院だけではなく、一流ホテルなどでも行なわれている。

 病院の外壁やロビーの壁には、無数の健康に関する標語がところ狭しとタイルに焼きつけられたり、垂れ幕が張り巡らされたりしている。たとえば、"Fear less, hope more; Eat less, chew more; Worry less, breathe more"といった健康全般の心構えとか禁煙、減塩、運動、食事の重要性についての具体的な指図である。病気になってからの治療よりも、病気にならないように常日ごろから予防や健康管理に努めることの重要性をアッピールするこの病院の理念の一つということであろう。

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 アポロ病院のロビーには、受付カウンターや会計、院内薬局の窓口だけではなく、コーヒー・ショップやいくつかの売店もあり、来訪者でごった返している。ただ、外国からの患者については、プラチナ・ラウンジと称する特別の待合室が複数設けられてあり、豪華なソファーでゆっくりと休めるようになっている。ここでは、あらゆる国からの患者に対応出来るように通訳スタッフも用意されている。

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 日本の病院とは異なり、診療科別の受付はなく、数人の総合医が個室を構えていて、そこで一次診察を行ない、症状に応じてそれぞれの専門医に割り振るシステムを採っている。

 この病院の一日平均来客数は約2,000人、うち外国からの患者は100人強ということであった。メディカル・ツーリズムにも力を入れているが、さきの標語の対象はインド人に向けられており、病院の理念としてはインド国民のための高度先進医療提供に主眼を置いていることも強調している。

 わが国の医療費はインドの3~5倍ほど高く、そもそも価格面での国際競争力はないものの、メディカル・ツーリズム推進に当って、自国民とのバランスを考慮すべき点は重要な課題である。


(岡部陽二 医療経済研究機構専務理事、元住友銀行専務取締役、元広島国際大学教授)

(2011年4月15日、(社)日本工業倶楽部発行「会報」第236号、平成23年4月号p51~57所収)

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