上海万博終幕ぎりぎりの十月十四日丸一日を上海万博会場で過ごした。日本産業館館長の堺屋太一氏のご厚意で、同館のほか中国国家館、上海汽車GM館、都市の足跡館、フランス館、イギリス館を一気に観て廻ることができた。尖閣事件が起きた直後で、内陸部では反日デモが頻発し、日本では中国脅威論が台頭、米国でも「中国はCharmからHarm」の国に変わるのではないかといった議論が喧しい時期であったが、上海はまったく平穏であった。
上海浦東国際空港へ到着して国際線到着口を出るとほぼ正面に「磁浮・ MEGLEV」と表示された案内表示があり、リニアモーターカーの乗り場に直結している。このリニアは世界初の商業磁気浮上式鉄道として、二〇〇二年十二月に浦東国際空港と上海市郊外を結んで開通した。これは時速三〇〇キロで三〇キロの区間を七分間で結ぶ世界唯一のリニア実働路線である。現在のところ、到着駅の竜陽路駅は、上海の中心部からかなり離れているが、将来は上海南駅まで延伸される計画である。車両も当初はドイツからの輸入であったが、万博用に時速五〇〇キロまで出せる初の中国国産のリニアカーを投入、揺れや騒音もなく快適であった。竜陽路の駅舎やその周辺は超モダンな造りで、万博会場に着いたような錯覚に捉われた。
上海市のもう一つの驚異は、高層ビルの多さである。現在、一六階建て以上のビルが約五千棟、そのうち高さ百メートル以上の超高層ビルが約千棟建っている。上海市の超高層ビルの数はニューヨークの二倍、東京の三倍もある。高さで見ても、上海は現在六三二メートルの超高層ビルを建設中で、二五〇メートル以上のビルが一棟もない東京とは大違いである。地下鉄の総延長も昨年末には東京を追い抜いた。筆者が一九八三年に初めて上海を訪れた時には、高層ビルも地下鉄もまったく存在しなかったので、最近二五年間ほどの間にこれだけのものを造ったのである。そのエネルギーとスピードには驚嘆せざるを得ない。
万博会場を市街地に確保すべく中国政府は一万八千所帯を強制的に立ち退かせたため、地元住民から激しい怒りの声が上がり、海外の人権団体からも強い反発を招いた。これらの住民用かどうかは分からないが、万博会場の入り口近くにも超高層アパートが林立しており、大阪万博や愛知博のように自然環境に恵まれた立地とは無縁のまさにコンクリートで固められた都市型の万博となっている。
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上海万博は成功したと言えるのかどうか、量で評価すれば、参加国の数や入場者数が指標になるが、質で考えれば、「来場者に感動を与えたかどうか」がポイントとなる。万博はやはり主催国と参加国が、各国のソフトパワーを表現する場であり、未来技術などへの夢を膨らませることができたかどうかに掛っている。
量の面では、出展国数は二四二ヵ国と、大阪万博の三倍に増えている。もっとも、出展国の中には、「ニウエ」という南太平洋に浮かぶニュージーランドの自治領で、中国一国だけが独立国として承認している国まで入っている。しかも、このような小国や北朝鮮などを支援するために、一億ドルの支援基金を設けた由。一方、出展料は取れるところからはがっぷり取るという抜け目なさであった。堺屋氏によれば、中国は昔から「人を見て法を説け」という信条の国であるから、標準の出展条件はなく、各パビリオンの契約内容はすべて異なっているということらしい。これは、決して悪意に基づくものではなく、「相手に応じて最良の条件を与えてやろう」という善意から出る発想なのだそうである。
上海万博の入場者数は最終的に七、三〇八万人と当初目標の七、〇〇〇万人を辛うじてクリアした。この目標値は過去最高であった一九七〇年の大阪万博での六、四四二万人を超えて史上最大規模を誇示することだけが念頭にあり、そのための人集め策を次から次へと繰り出した成果である。たとえば、一、八〇〇万人の上海市民全員に無料入場券に加えて交通費まで支給したり、国営企業の従業員に動員をかけたり、何でもありの無料券バラまき戦術がとられた。大阪万博では、一九〇〇年のパリ博や一九六七年のモントリオール博での五、〇〇〇万人強を意識しながらも、当初目標を三、〇〇〇万人と設定したところが、人気が急上昇して結果的に六、〇〇〇万人を超えたのである。この自然体とは大違いである。
一方、質の面では、中国の国家としての威信をかけた一大イベントとして、二年前の北京オリンピックの五倍もの資金を投入しただけに、各パビリオンの容積規模は驚くほど大きなものが多く、展示の質も総じて高い。ただ、3Dなどを駆使した映像技術はすでに行きつくところまで進化してしまって新鮮味に乏しい感があり、入場者のコントロールや展示の見易さ面での工夫と言った点でも、ディズニー・ワールドなどと比べると相当劣っているとの印象を持った。ただ、観客の中国人が二~三時間待ちの人気パビリオンに行儀よく整然と行列をしている忍耐強さと清潔な場内には感心した。
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上海万博のテーマは "Better City, Better Life"(城市、譲生活更美好)ということで、まずは都市の発展に焦点が合わされている。これまでの万博会場は、広場を中心に放射状に広がる形式が主体であったが、上海博の会場は長安以来の中国の伝統である碁盤目状の街区計画を採用している。浦東会場の南東部の少し小高い所に深紅の中国国家館が位置し、会場全体を睥睨している。この場所は風水の占いによって決められた由で、黄浦江を挟んで北側の浦西地区もすべて見渡せる絶好の立地である。
都市をテーマとした巨大なテーマ館が「都市の人間館」「都市の生命館」「都市の惑星館」「都市の足跡館」「都市の未来館」と五館もあり、人々のニーズの発展とともに都市の機能がどのように変わってきたのか、未来像はどうあるべきかをいろいろな角度から体験できるようになっている。「都市の足跡館」では、長江と黄河流域に芽生えた都市の起源から、都市の守護神、ギリシャのポリスの興亡の展示に始まり、世界各地の市街を復元して、理想の都市像を追求している。
総建築面積十六万平方メートル、総工費五二四億円で、一日五万人を収容する最大規模の「中国国家館」の展示も、都市の発展における中華の知恵を発見しようとする探索の旅が主題となっている。北京の故宮と天安門を彩る「中国紅」一色で包まれた逆さピラミッド型のパビリオンは「東方の冠」をイメージしたもので、何時までも目に焼きついて離れない強烈な色調と異形であった。
展示は三層に分かれているが、最上階第一展示エリアの「明清上河図」の映像は圧巻である。この絵巻物は、宋の都・開封都城内外の殷賑の様を北宋末期の画家・張択端が描いたもので、原画は幅二五センチ、長さ五・二八メートルの水墨画図卷である。道筋に並ぶ建物は透視画法で描かれ、中には西洋風の建物も見られる。色彩は鮮明で美しく、人物も円熟した技法で皆細やかに緩みがなく描かれている。
この原画を百倍に拡大して、高さ二五メートル、横幅は一二八メートル分が超長大な連続したスクリーン上に切れ目なく投影されている。驚きは、この水墨画に描かれているたくさんの人物や動物がアニメのように建物の間をせわしなく動き廻り、その声や音まで再現されている躍動感であった。巻物の前には川が滔々と流れていたが、これも映像であった。まさに、映像技術の粋を尽した傑作である。
万博はいわば映像技術の競演の場であるが、技術そのものには大差が無くなっているので、それを活用するアイディアの勝負となっている。すべてを観たわけではないが、上海万博では、おそらくこの「明清上河図」の映像が最大規模で最高の出来栄えと評価できよう。この映像の複製版は万博終了後も香港など各地で観られるそうである。
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もう一つのメイン・テーマである" Better Life"については、一九七〇年に開かれた大阪万博を契機としてカジュアル・ウエア、ブレハブ住宅、ファースト・フードなどが急速に広まったのと同様に、中国ではまさにこれから生活必需品の消費拡大を進める段階に差し掛かったところである。環境を重視して大量消費を抑える機運が高まっている先進国とは対照的である。
大阪万博では、さらに情報通信技術の実験がNTTの手で壮大に行なわれた。ダイヤル式の黒電話しかなかった当時に、来場者にワイヤレス・フォーンを試用させただけでなく、会場内の連絡はすべてワイヤレスで行なったのである。この時にデジタル無線通信技術実用化の目途がつき、その後の携帯電話に発展したのである。これに匹敵する上海万博での技術革新は「電気自動車(EV)」ではなかろうか。
上海万博の浦東会場では、定期バスやカートのような観覧車から救急車に至るまですべての乗物二千台が電気だけで動いている。当初は専門家の間でも、ガソリン車を全面的に排除することは無理と考えられていた。とくに、大型の路線バスを一時間継続運転するには電池の容量がどうしても不足する。そこで、お客の乗降時にバスが停車するたびに自動的に短時間で充電する方式が開発された。一方、小型車については軽量の電池で済ませるといった工夫を凝らすことによって問題を一つずつ解決した由である。
要するに、EVを前提とした都市交通システムを構築するという発想の一八〇度転換がなされたわけである。万博が終われば、このシステムを上海市全体に広げて、五年内に市内では全面EV化を実現すると公言している。万博会場内では、一日数十万人がEV車を利用しているので、上海市全域への拡大もあながち不可能ではなかろう。そうなれば、EVの技術では欧米に追随するのではなく、中国が先行する可能性が高い。レアアースを巡っての禁輸問題も、このEVに不可欠な高性能モーターの量産計画が密接に絡んでいる。
自動車は一八七八年のパリ万博で初めて登場、一九一五年のサンフランシスコ博でT型フォード車一日十八台の生産ラインが実演されてからでも、ガソリン車の時代が百年間以上続いてきた。これが、上海万博を機に電気自動車に転換するとなれば、エポック・メーキングである。EVは自動車の構造そのものは現在のガソリン車よりも単純化される一方、上海万博で実験されているような「EVに適した都市交通システム」の開発が重要となってくるが、この面では中国が世界のトップを走るのは間違いなさそうである。
EV車のコンセンプトとしては、上海汽車GM館で披露されている二人乗りの超軽量車が車社会の未来図を示している。ボディーには炭素繊維強化樹脂(CFRP)を使用して車体重量は四八〇kgと軽い。駆動用モーターには出力一二〇kwの誘導型モーターを搭載している。車輪には走行中の風を利用して発電する羽根を取り付け、屋根には太陽光発電用の透明なパネルを配して、環境に優しいイメージを打ち出している。このEV車は時速六〇kmくらいしか出せないが、衝突防止センサーが付いており、マンションのエレベーターで部屋の中まで入れるといった夢のある高機能都市構想と一体化している。
堺屋氏が代表兼総合プロデューサーを務められた日本産業館の展示は、中国人に「よい暮らし(Better Life)」を実現する消費にいかに目覚めさせるかに焦点が絞られていた。「きれい」「かわいい」「気持ちいい」の3Kをテーマとした「宴」の映像に続き、INAXの質の高い「世界一トイレ」、ユニチャームの「気持ちいい日々」テルモの高度医療の提示などには、中国の消費スタイルを変えさせようという輸出企業の意気込みが感じられた。連日、三万人を超える来館者で、長蛇の列ができていた。
大阪万博は大成功であったが、その後の大阪の地盤沈下は著しい。最近の万博開催都市も万博を契機に発展した例は見られない。これに対し、上海万博は都市機能の充実をテーマとして掲げ、EV車にしても万博での実験成果を上海全域に拡大する目標を明確に打ち出している。上海はすでに常住人口一、九〇〇万人を超える中国最大の都市であるが、二時間ほどで行ける近郊には、蘇州、杭州、無錫といった都市群が控え、広大な工場団地を後背地として抱えているので、今後も急成長を続けるポテンシャリティーを持っている。万博での実験と都市機能の高度化を結びつける試みが成功した暁には、上海が世界でもっとも快適で住みよい街になることも、決して夢物語ではないだろう。
(岡部陽二 医療経済研究機構専務理事、元住友銀行専務取締役、元広島国際大学教授)
(2010年12月25日、社団法人・日本工業倶楽部発行「会報」第235号p44~51所収)