昨年の初め頃、売れっ子作家マイケル・クライトンの最新作「ディスクロジャー」が話題になった。主人公であるハイテク会社の有能なマネージャーは、上司の女性重役がこの会社を密かに高値で売却する邪魔になったため、排除すべく仕掛けられた誘惑の罠にまんまと嵌り、セクハラを受けたとして会社から追い出されようとする。このストーリーから「逆セクハラもの」として注目を集めたが、私が感心したのは、このマネージャーを危機一髪で救ったのが、自宅のパソコンに毎晩送り込まれてきた電子メールであった点である。この電子メールの発信人は事件が決着するまで正体を明かさなかったが、実はインターネットで集めた情報を基に、適切なアドバイスを送り続けてくれた昔の友人であった。パソコンを駆使しての息詰まるサスペンスの展開に、還暦を迎えた私もパソコンを自由に操れたらどんなに素晴らしいかと憧れた。
阪神大震災を世界へ向けて報道したインターネットが話題となり、碁会所ネットワークのパソコン通信が優れているという話を耳にしたのも、ちょうどその頃であった。さらに、つい数年前に購入したワープロ専用機を修理に出したところ、こんな旧い機種をまだ使う積もりかと呆れられてしまったのも偶々同じ頃であった。そんなこともあり、文書の保管や通信が簡単に出来るパソコンに乗り換える気になったが、パソコンを自宅に置いてワープロのほかにどんなプライベートな使い方があるのか、考えあぐねていた。
そんなある日、某電機メーカーのテレビ・コマーシャルで、「お父ちゃん、パソコンで何ができるの?」と子供に聞かれた父親が「それだけは聞かんといてくれ」と頭を抱えているユーモラスな姿を見て、ピンと閃くものがあった。乗用車を買う前にドライブ先を決めている人があるだろうか。テレビにしても、どの番組を見るかを買う前に選んでいるだろうか。とのかく、まずパソコンを買って、キーを叩いたり、マウスを動かすのが先決と腹を括った。それ以来、6ヶ月余り、正に悪戦苦闘の連続であったが、パソコン関連の本を20数冊読み、何人かの専門家に拙宅までご足労願った結果、漸くネットスケープを使ってインターネットを覗いたり、電子メールを何処へでも打てる最先端(?)の域にまで達した。
隆祥産業というソフト会社が、三年前に開発した囲碁専門の通信ネットワーク「リンスー1」のVANサービスは、デジタル通信であり、インターラクティヴ(双方向)であるいうマルチメディアの特質をフルに生かした完璧なシステムと評価出来る。黒・白交互に打つ囲碁は1と0の二つの信号しかないデジタルによく馴染む面もあろうが、パソコン上で沖縄から北海道に至るまで全国津々浦々の同好の士を相手にリアル・タイムで対局できるのは、実に素晴らしい。さらにこのシステムがよく出来ているのは、プロの一流棋士による指導碁を何時でも打って貰える仕組みである。プロの先生方にとっても一手打つ度に画面が変わるシステムのおかげで、同時に10人の相手との対局が可能となり、したがってご指導料も割安に設定されているのが、1,500人の会員にとって大きな魅力となっている。
問題は一勝負二時間位は電話回線が独占され、通信料が嵩む点であったが、これもINS64というデジタル回線加入で解決出来た。INS64では電話などとの同時使用も可能となり、通信料も使用時間に関係なく、一手につき50銭と低料金に設定されているのはありがたい。
今のところ、パソコン通信などで私が使えそうなサービスは、これ以外には見当たらないが、もともと国内のパソコン通信は一台のホスト・コンピューターに繋がった閉鎖的なネットワークであるから、得られる情報も必然的に量質ともに貧弱であるのは、致し方ない。これに対し、世界中のコンピューター・ネットワークと接続しているインターネットの場合は公開されている情報ショーウインドウの数が数十万以上といわれているので、数十万チャネルの番組から成る双方向テレビを見ているようなものである。したがって、インターネット上で各地の面白そうなWWWのホーム・ページを上手に覗いて廻れば、新聞やテレビでは得られない生の情報を探し出し、直ちに世界で何が起こっているのかを知ることが出来る。私にとっては、当面はどこにどんな情報があるのか検索するだけで精一杯だが、何れは自分の意見や主張をネットニュースなどに発信して、サイバー・スペースで世界中の人たちと交信してみたい。
パソコンやインターネットが高齢者に敬遠される理由として、キーボードが打てないといった技術的なハンディや英語での入力が難しいといった語学力の問題が指摘され、更には日本語ワープロに慣れると漢字を覚えなくなるといった負け惜しみも聞かれる。しかし、物は考えようで、生来不器用な人でもキーボードを上手に操作しているので、キーボード・アレルギーは食わず嫌いの類であろう。英語入力の点も、電話で外人相手に英語でやりとりするのは極めて難しいが、パソコン上での表現は、中学程度の英語力で充分対応出来る。日本語ワープロの弊害も、書く作業はすべてワープロがやってくれるので、そもそも漢字の書き方など覚える必要が無くなったと考えればよかろう。
パソコンを実際に使ってみて痛感するのは、こういった問題よりも、個人のユーザーに普及するためのインフラが全く整っていないことである。どのマニュアルも不親切窮まりなく、素人のユーザーを念頭に置いているとは思えない。より根本的な問題は、現在売られているソフト類のほとんどがビジネス用であって、個人が自分の楽しみのために自由に使えるような便利なソフトは、ゲーム分野と隆祥の囲碁ソフト以外には存在しないのではなかろうか。ことに、パッケージ・ソフトという代物は、ユーザーの意向を無視して、年始大売出しの福袋よろしく、ゲームとか、お絵描きなど、中途半端な売れ残りソフトを詰め込んでいるだけとしか思えない。
加えて、アメリカに比べて二倍以上も高い通信コストや、サービス提供面での多過ぎる規制も個人レベルへのパソコン・ネットワーク化を妨げている。これらの問題を解決して、個人ユーザーがハード・ウエアの性能向上メリットを充分享受出来るような使い勝手のよいソフトが開発され、教育やアフターサービスの体制が一日も早く整備されることをパソコン・ソフト業界に切に期待したい。
(明光証券会長 岡部陽二)
(1996年2月13日発行、日本証券経済倶楽部機関誌「しょうけんくらぶ」第59号所収)