昨年は、2月にオーストラリアへ、9月に米国へ、10月にブータンへそれぞれ1週間の海外旅行をしました。ブータンは観光ですが、他の2回は数名の調査団に参加しての医療経済に関わる業務出張でした。オーストラリアについては、この12年間副所長を務めてきました医療経済研究機構からの要請で、HTA(Health Technology Assessment、医療経済評価)を中心とする薬剤承認システム調査のためにキャンベラとシドニーで保健省や製薬会社などを訪ねました。
米国は医療流通改善研究会というNPO団体からの依頼で、GPO(Group Purchasing Organization、共同購買組織)の実態解明を目的としたニューヨーク、ボストン、ワシントンでの病院、医療機器メーカー、関係団体往訪でした。いずれも医療の世界でもあまり知られていない特殊な分野です。
HTAは医療技術の開発や普及によって生じる医学的、経済的、社会的な意義を分析する学際的な分野で、新薬などの承認に当たって、QALY(質調整生存年)という概念を用いて増分費用の効率性を測定する費用効用分析が中心となっています。米国ではほとんどの医療機関が利用しているGPOも医療の標準化や効率化を狙いとして発達したものです。日本の医療界でも、医療費抑制の観点から、このような手法の活用がこれからの大きな課題として注目されております。
2件の出張ともに、当初はアドバイザーで付いて行くくらいの軽い気持ちで引受けたのですが、結果的には、往訪先の選定から、コネを求めての医師や大学の先生などとのコンタクト、相手方との交渉、往訪時の挨拶、資料や報告書の作成に至るまで、ほとんどの作業を私がこなさざるを得ない羽目に陥り、20年ぶりに現役時代に戻ったような緊張した気分になりました。調査の内容については何の知識も持ち合せていない私が研究のアレンジだけはできたと言うのは、我ながら不可思議です。
2件の調査報告とブータン紀行は私のホームページ(http://www.y-okabe.org)に入れてありますので、ぜひご覧ください。両国とも仕事がぎっしり詰まった強行軍の日程でしたが、何とか時間を作って、ささやかな観光を試み、三井住友銀行の支店長にもお会いして来ました。ここではその模様の一端をとりとめもなくご披露して、近況報告とします。
オーストラリアでは丸一日余裕日ができ、ご一緒した東大の先生と、シドニーの西50キロに広がるブルーマウンテン国立公園へ足を伸ばしました。「オーストラリアのグランド・キャニオン」とも呼ばれる世界自然遺産の大渓谷ですが、岩肌がむき出しのグランド・キャニオンとは違い、豊かな緑に覆われています。ケーブルカーやトロッコ列車などで谷底まで降りて行け、森を上から見るブッシュ・ウオーキング道も整備されています。人工の構築物を人目につかないように埋め込んで、自然の景観を保持しながら観光客を惹きつける観光政策に感心しました。
銀行のシドニー支店は、200名を擁する大支店で、オーストラリアに進出している外銀中No.1の業容を誇っているのには驚きました。支店の業務は資源関連のプロジェクト・ファイナンスが中心とのこと。思い起こせば、1980年に国際投融資部長になって、最初に採り上げたシンジケート・ローン案件が、オーストラリア北部準州の首都ダーウィン市の東方250キロにあるレンジャー・プロジェクトでした。この鉱山は世界のウラン需要の10%を供給する最大級のウラン鉱露天掘りでした。案件は採掘と現場でのイエローケーキ(粗精製によってウランの含有率を高めた中間製品)製造工場への融資で、現地で行なわれた調印式に出席しました。
その後も、石炭や天然ガスなどの案件発掘にオーストラリア中を駆け巡りました。当時のオーストラリアにはまだ白豪主義が残っていて、経済も停滞していましたが、今や多民族国家を標榜して、毎年100万人ほど人口が増え、経済状況も好転して、一人当りGDPでは日本を上回っています。今昔の感に堪えません。
米国では4つの大病院を訪ねましたが、なかでもボストンのマサチューセッツ総合病院は権威のある「USニュース」誌から米国にある約5,000の病院中の最優秀病院との評価を昨年に受け、町中に"MGH,America's No.1 Hospital"のポスターが貼られていました。
この病院での見どころは、多くの医学生が手術を見学できるように設計された劇場型の「エーテル・ドーム("Ether Dome")」と呼ばれる1821年に建てられた歴史的な建造物です。1846年10月に、ウイリアム・モートン医師により、ここでエーテルを麻酔剤として使った世界初の痛みを感じない手術のデモンストレーションが行なわれた由です。壁には当時の麻酔手術の模様が描かれた大きな油絵が掲げられ、「医学は細菌の発見が相次いだドイツで発達したとされているが、麻酔術の発明こそが医学発展の契機であった。麻酔がなければ大手術は不可能に近いからである」と説明されていました。
この手術が行なわれた42年前の1804年に、日本では華岡青洲が曼荼羅華など6種の薬草を調合した通仙散という生薬を用いた全身麻酔による乳がん手術を行なったとされていますが、明確な記録や物証が残されていないのは残念です。
銀行のニューヨーク支店では、レセプション・ホールの大看板に「三井住友銀行・SMBC日興証券」の社名が並んで堂々と掲げられておりました。銀行在職中には、証券会社との垣根争いに精魂を注いできましたので、海外でも銀証一体化が実現している光景に感慨も一入でした。企業調査部門には、病院など医療や医療機器業界を専門に調査している米国人のアナリストがいて、米国の医療事情や医療機器業界の現況のプレゼンをしていただきました。これも日本では考えられない充実ぶりです。
「吾十有五にして学に志す」で始まる孔子の自戒は「七十にして心の欲するところに従って矩を踰えず」で終わっています。これに「八十にして好奇心と競争心を失わず、燦然と輝く」を加えて、これからの行動規範にしたいと願っております。
燦として 傘寿迎へむ 我の春 陽二
(2013年8月10日、銀泉㈱社内報編集室発行「銀泉」第146号p99~100所収)
<2013年12月10日追記>
傘寿を燦寿とすべく、競争心をかき立てて、次のような成果を挙げました。
1、囲碁五段位の取得
免状には「貴殿棋道執心所作 宜敷手段益巧依之 五段令免許畢仍而 免状件如(きでん きどうしゅうしんしょさよろしく しゅだんますますこう これによって ごだんをめんきょせしめおわんぬ よってめんじょうくだんのごとし)と記されています。
2、真向法六段位の取得
真向法の昇段には、技量に加えて、一段上がるのに最低3ヶ年の間隔を要します。
3、マスターズ水泳大会で1位・2位入賞
メガロスマスターズ水泳大会で平泳ぎ単独2種目、4人合計320歳以上のリレー2種目に出場し、金メダル2個と銀メダル1個を獲得しました。