これまで国や地域の経済力を国際的に共通の尺度で計測して比較する指標としては,GDP(国内総生産)か国民所得しかなかった。国民所得はGDPの一構成要素であり、何れも企業で言えば「売上高」に相当する「フロー」の概念である。
これに対し、ノーベル賞受賞者でもあるステグリッツ・ケンブリッジ大学教授は、2009年に出した報告書で「GDP偏重ではなく、個人の富とか福利厚生度を重視する指標を開発し、これを経済政策に役立てるべきである」という考えを明確に打ち出した。この提言を受けて、2012年6月には国連が中心となって開発した「包括的資本"Inclusive Wealth Index(IWI)"」という新指標に基づく試算値が発表された。
これは企業会計におけるバランス・シート上の「総資産」に相当する「ストック」の概念であり、GDPを超える画期的な国際比較統計として注目されている。EUではすでにこの新指標を活用した経済政策の展開が議論されている。
この新指標の衝撃は、包括的資本(IWI)の総額では米国が首位であるものの、「一人当りIWI」では、対象20ヵ国中、日本が435,466ドルと断トツの世界一にランクされたことである。(図表1、右欄)。
GDPの総額では、中国に抜かれて世界第3位に落ち、「一人当りの名目GDP」では38,491ドルで世界24位(2013年、PPP換算)にランクを下げている日本が、英エコノミスト誌が真の国富( The Real Wealth of Nations)と高く評価した新指標による国際比較でトップとなったことは、驚きであり、マジかと疑われても致し方ない。
その所為であろうか、この新指標は一部の研究者には注目され、福島清彦立教大学教授著「世界で一番豊かな国・日本」(2013年、㈱きんざい)といった解説書も出版されているにもかかわらず、マスコミは全社一様に無視している。
GDPとは異なり、「包括的資本」は所得や経済活動を生み出す源泉としての資本(富)に着目したもので、資本が将来齎すであろう価値を現在価値に引直した額である。資本のポートフォリオ全体が増えれば、将来世代が経済活動を行なうための基盤は減らさずに受け継げる持続可能性指標として位置づけられている。
包括的資本は、図表2に見られるように、物的資本、人的資本、自然資本の三つで構成されている。人的資本の構成比率(2008年)は日本;72%、米国;75%、英国;88%と先進国では高く、BRICSでは、ロシア;21%、中国;44%、インド;46%と低い。
人的資本は「(教育年数+訓練年数)×教育を受けた人の数×平均賃金の現在価値」という数式で算出される。日本の一人当り人的資本が、312千ドル米国の291千ドルを上回っているのは、米国では大学進学率は51%と高いものの、入学者の中で卒業できる比率が53%と低く、大卒比率が27%に低下しているためとされている。EUでは、共通政策として、現在30%の大卒比率を2020年までに40%に引上げる目標を掲げている。もっとも、日本の高学歴が内実を伴っているかどうかは疑問であろう。
日本の一人当り物的資本;118千ドルは先進国の中で格段に高い。これは、高度成長期にGDPの約15%が設備投資に向けられ、公共投資も最近まで高水準を続けてきた社会インフラの蓄積を反映したものである。
日本の自然資本はIWIの1%を占めるに過ぎないが、1990年から2008年の間に若干増加している。これは、森林資源の増加によるもので、この間に自然資本が増加したのは20カ国中3カ国に過ぎない。自然資本の構成比がきわめて高い国は、ナイジェリア;69%、ロシア;66%、サウジアラビア;55%である。IWIを構成する3資本は同一の金銭単位で集計されるので、産油国が石油を掘って自然資本を減らしても、その石油収入を新たな産業に投資したり、社会インフラを充実させたりすることで、包括的資本全体が増えればよい資本循環になる。
日本の包括的資本は、総額・一人当りともに、対象計測期間18年間にわたり、コンスタントに増加しているのは、特筆に値する(図表2)。計測対象20ヵ国のうち、ロシアはIWI総額が減少、一人当りIWIは6ヵ国で減少している。この間の一人当り実質GDPの増加率は、日本;1.0%、中国;9.6%と大きく開いているが、一人当りのIWI増加率は、日本;0.91%、中国;2.07%である。日本の0.91%増は、米国;0.69%、英国;0.88%に比しても悪くない。
国民はもとより、政策当局もこのような事実をまったく認識していないのは問題である。
成長戦略の検討に当っても、GDP2%増を唯一の目標として掲げるのではなく、IWIを念頭に置いて、豊かな資本形成を通じて社会基盤の発展を持続させ、福利厚生度を高めるストック重視の方向に政策の軸足を移すことが重要である。
(日本個人投資家協会理事 岡部陽二)
(2014年5月10日、日本個人投資家協会発行月刊誌「きらめき」2014年5月号所収)