3月11日に東日本大地震の津波をかぶって冷却機能不全に陥った福島第一原発の危機管理の甘さについては、すでに数多の論評が出ている。後講釈にはあまり意味がないが、以前から根強く存在する危機管理体制の機能不全を指摘する声がまったく無視され続け、国際基準からも外れてしまったのは、国民にとって大きな不幸である。このガバナンス欠如の原因を究明し、今後の政策に生かされる方策を探ってみたい。
大量の放射性物質が4基の原子炉から漏出して被曝被害の拡大が懸念されたのは、痛恨事ではあったが、もし仮に福島第一も福島第二同様に正常に冷温停止したとすれば、これまで通りの管理体制で十分であったということになり、さらに大きな事故に繋がる可能性を温存することになったであろうと考えると、まさに背筋が寒くなる。
1、福島第一の原子炉4基が冷却不能に陥った原因
「東電幹部は1基3千億円の原子炉に海水を注入して廃炉にすることを当初躊躇した。決断が数時間、半日遅れたことが、燃料棒溶解など未曾有の危機を招いた」(選択2011年4月号、p68)と、トップのリ-ダーシップと決断力の欠如を指摘する論評は多い。菅総理は事故の翌日に現場に乗り込んだ。そこで海水注入を指示しようとしたが、東電側の「そこまでの心配は要らない」とする抵抗に屈したという解説である。
ところが、菅総理に同行した班目原子力安全委員長は3月23日の記者会見で「炉心への海水注入は、津波による被害の判明直後に決断したが、圧力を抜く弁の開閉にも電源が必要であったことなど、予想外の障害が重なり、注入までに数時間を要してしまったことが悔やまれる」(2011年3月24日付け読売新聞)と率直に吐露、決断の遅れはなかったとしている。このような重要な事実すら闇の中で、確認する術がない。
初期作動の大幅な遅れは間違いないが、その原因は長谷川慶太郎理事長がいみじくも指摘されているように「危機対応マニュアルの欠如」に求めるのが正鵠を得ている。たとえば、「炉心の温度が100度Cを超えれば、上司の承認などはとらずに海水でも真水でも注入すること、電源が失われた場合には手動で注水口を開き、弁をドリルで破壊すること」といった現場の技術者がとるべき手順をあらかじめ具体的に決めておくこと。これが危機管理の要諦である。事故が起こってから衆知を集めて議論していては間に合わないし、トップの決断力だけに依存するのはより危険な場合もある。
津波をかぶって非常用電源まで失うことは想定外であったというが、一般的に危機の原因には想定外のことが多い。それにしても、停電時にどう対応するかは、危機対応の序の口であり、発電所が停電を想定していなかったというのは理解できない。
放射性物質の飛散は水素爆発以降に急拡大した。燃料棒の被覆管はジルコニウムを主成分とする合金でできており、この金属は400度C以下では安定しているが、1,000度Cを超える高温では超活性金属となる。水の中の酸素を奪って大量の水素を発生、酸素に反応したジルコニウムは脆くなって、崩壊する。北大の石川正純教授によれば、水素爆発がこのジルコニウムの反応で起こったことは明確である。しかし、当事者からの説明はなく、これも想定外と片付けるのであろうか。(文藝春秋2011年5月号203頁)
2、政府による安全管理体制の欠如
わが国同様に複数の民間電力会社が原発を運営している米国では、3,000人のスタッフを擁する米国原子力規制委員会(NRC)が連邦政府の独立した規制機関として、原発の認可、規制監督を行なっている。フランスの原子力施設安全局(DSIN)は行政府からも独立した議会直属の規制機関となっている。
これに対し、わが国の原子力安全・保安院は原発推進を担当する経産省の一部局で、規制監督機関として必須の独立性を欠いている。スタッフも800人と少ない。内閣府に置かれている原子力安全委員会とともにダブルチェック体制をとっているとしているが、この委員会はアドバイス機能しか有しない有識者の集まりである。今回の事故で、これまでの規制監督が原子力ムラ仲間の馴合い体質のきわめて甘いものであったことが明らかになった以上、規制監督機関の一元化・独立性付与を急ぐ必要がある。
3、東電の安全軽視、隠蔽体質
1級配管技能士として原発建設の現場で20年間働き、14前に亡くなられた平井憲夫氏の「原発がどんなものか知ってほしい」という手記がネット上に公開されているので、そのごく一部を引用する。(http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html) 平井氏は原発反対論者ではなく、一技術者として気付いた事実を淡々と述べておられるだけである。
「原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。」
「東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。」
平井氏の説明どおりであれば、大震災が起きなくても原子炉が爆発するような大事故が何時起きても不思議ではない。このような現場からの指摘に対して、一つずつ克明に点検して、真実を公開する責務が、東電にはあるのではなかろうか。
外国紙からも「東電の事故管理文書には『重大な事故が起きる可能性はきわめて低く、工学的見地からは、事実上、考えなくてもよい』と書かれている。また、事故が起こった場合の外部との連絡手段としてはファックスのみを想定している」(2011年4月1日付けウォールストリートジャーナル紙)と皮肉られているのは情けない。
2007年には、東電が原発の装置故障を隠ぺいし、1977年からデータを改ざん続けていたことが発覚、当時の経営陣は退任し、社内の部門間人事交流も進められてきたとされている。しかしながら、今回の事故対応を見る限りでは、長期にわたって社内に根付いてきた隠蔽体質はまったく変わっていない。これを改めるには、外部から防災管理やリスク・マナジメントのプロを原発の安全管理部門に大量投入して、彼らの判断を開示しながら社内の風土を根本から改革するしかない。
経営面のガバナンスについても同様である。東電は森田第一生命会長と青山東京都元副知事を社外取締役に選任しているが、事故後一カ月を経ても社長交代の提案は為されず、社外役員はまったく機能していない。政府は東電に対し取締役の過半数を社外とするか、委員会設置会社への移行を求めて透明性の向上を図らせるべきである。
とまれ、われわれが今使っている電気の30%は原子力発電に依存している。この事実を直視して今後の議論は進めなければならない。原子力は大神ゼウスが人間に課した罰の「パンドラの函」であったのかも知れない。開けた函から出てきたものには、404の病と地震・雷・火事その他あらゆる人間世界の災禍が詰っていたのである。
(日本個人投資家協会理事 岡部陽二)
(2011年4月15日、日本の人投資家協会発行「きらめき」2011年4月号所収)