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<投資教室>「ゴールドマン・サックスの研究」に学ぶ

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 神谷秀樹著「ゴールドマン・サックスの研究~世界経済崩壊の真相」(文春新書)が評判になっている。昨年、ビジネス書のベスト・セラーとなった『強欲資本主義~ウォール街の自爆』(文春新書)の著者が、自らゴールドマン・サックス(GS)に在籍した経験から、米国の大手投資銀行の生態と彼らの思考法を明らかにし、金融市場改革への道筋を具体的に示してくれたのが、本書の主題である。史上最大のバブルの崩壊から金融人は何を学ぶべきか懇切に解き明かしてくれている。一気に読み終えられる快著である。

 強欲資本主義を批判する格調の高い神谷氏の姿勢を理解するのはかなり難しい。何となれば、彼自身がウォール街にどっぷりと浸かって活躍しながら、業界の非倫理性を告発しているからである。彼が変人なのか、投資銀行業界が変質したのか、本書にその解が示されている。

 一言で要約すると、最近10年余の間にGSをはじめとする投資銀行は「バンカーの会社からトレーダーの会社へ」変質したのである。1984年から91年にかけて7年間、彼が勤務していたころのGSは、資金はあまり使わず、知恵と人脈を使って顧客にアドバイスを提供する事業が中心であった。この本流中の本流であった投資アドバイス業務から得られる収益は現在ではGSの収益全体の1割を占めるに過ぎない。収益の9割は、たっぷりと借入で膨らませたバランス・シートを使い、リスクをとって行なう株式、債券、商品、通貨、デリバティブなどのセールスとトレーディングから挙げている。バンカーは顧客企業の5年先、10年先を考えて行動するのに対し、トレーダーにとっては、10分先は遠い未来であり、顧客も市場の一部に過ぎない。要するに、「GSの顧客はGSだけ」で、本来の顧客企業は眼中にない会社になり下がってしまったのである。

 彼が在籍した80年代後半のGSは終身雇用のスタッフが多いパートナーシップで、この仕組みを護るために住友銀行からの5億ドルの資本参加を決断した時期であった。この時期にGSを率いていた共同社長のジョン・ワインバーグには、筆者も何度かお会いしたが、まさに細心にして豪胆、仕事には厳しいものの人間味豊かな好々爺であった。本書によると、ジョンの父親、シドニー・ワインバーグはGSの創業者を助けて、同社の危機を何度か救った。フォード社を育て、「ミスター・ウォールストリート」として実に32社の役員になった企業育成のプロであった。

 このような企業風土を持っていたGSが、本年初にはサブプライム・ローンの証券化に関わる詐欺で訴追されて、史上最高の5.5億ドルの罰金を支払って和解したり、ギリシャ政府に債務隠しの手段を提供してEUから指弾を受けたりして、モラル的には完全に破綻してしまったのである。

 リーマン・ショックが起こった時に、世界各国の政府・中央銀行がとった姿勢は、大銀行や大手の保険会社は潰さないで救済するという政策であった。米国では、ベア・スターズは救済されたとは言え、大銀行JPモルガン・チェースに呑み込まれてもはや跡形も無くなってしまった。GSとモルガン・スタンレーの2社だけは、銀行免許を得てFRBの傘の下に入るという奇策で、何とか生き延びた。各国政府が大銀行などを救済せざるを得なかったのは、1兆ドル単位の資産を持つ大金融機関が潰れては、世界の金融システム自体が崩壊し、その余波と修復に要するコストは大変高いものにつく。したがって、これらの金融機関が悪事を行なっていたとしても、放漫経営であったとしても、とりあえずは救済するしかないと言う決断であった。

 この"Too big to fail"は、小さければ救済されないという不公平感によって人々の怒りを買い、さらには国民の血税を大金融機関の救済につぎ込んだのは、国民を犠牲にして大資本を優遇したもので、これは許されないとするコンセンサスが一挙に広がった。今回の米国両院中間選挙でオバマ大統領が率いる民主党が大敗を喫したのは、まさにこのような国民心情が反映された結果であろう。共和党右派として台頭したTEA Partyの主張は文字どおり"Taxed Enough Already"で、大きな政府反対の中でも大銀行救済に税金を注ぎ込んだ政府施策への反発が大きい。"Too big to fail"を今後は認めないとするボルカー・ルールが、ようやく本年1月に打ち出されたものの、遅きに失し、多くの米国民はこれだけでは納得していない。

 米国の庶民感情を逆撫でしたのは、ほとぼりが一旦冷めて、市場で増資ができるようになると、大金融機関は血税で救済されたことなどすっかり忘れて、まるで何事もなかったかのように、デリバティブなどの業務を再開し、巨額のボーナスを支払い始めたことである。超低金利政策によって大銀行に齎される利益も大きい。一方で、米国の一般庶民は金融危機の影響をもろに受けて、高い失業率、低下する賃金、公共サービスの劣化などに加えて、住宅ローン担保の差押えも依然として高水準であり、金利低下と保有資産の価値下落に悩まされている。

 神谷氏は本書でクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)を「企業版保険金殺人ゲーム」と呼んで厳しく指弾している。CDSは、どこかの会社が破綻すれば、その会社の債務不履行保険を買っていた人が保険金を貰って大儲けをする。破綻しなければ、保険会社が儲かるという仕組みの金融商品である。人間の世界であれば保険金殺人は罪であり、保険金も支払われないが、企業の世界ではこのような倫理観は無視されている。

 もっとも、生命保険の分野でも、GSとクレディ・スイスが、早く死にそうな生命保険保有者から、その保険契約を解約料よりも高い価格で買取り、こうした保険を束にして証券化商品として売り出した前科があるそうだ。GSのセールス連中にしてみれば「どっちに転んでも儲かるようにするのが自分の務め」であり、それが賢い人間のすべきことである。それにしても、「人が早く死んだら儲かる」といった金融商品はやはりどこかが狂っているのではなかろうか。

 この業界では、企業が発行する株式・社債や国債の引受幹事となってツームストーン(墓石広告)で上位を占めることを誇示してきたソロモン・ブラザーズ、ホワイト・ウェルド、クーン・ローブといった名だたる米国の投資銀行のほとんどすべてが、今や本当の墓石の中に入ってしまった。これは、彼らが仲間内での博打の掛け金をつり上げて、リスクをとり過ぎたところが自壊したものと見れば、自業自得である。しかしながら、彼らがジャンク・ボンドやサブプライム・ローン証券といったハイリスク商品を次から次へと考え出して投資家に売り付け、損を投資家に押し付けてきた罪は大きい。
 
 神谷氏のウォールストリート批判に説得力があるのは、金融業の本来のセンスを身につけている彼自身が、自分の言葉で平易かつ率直に語ってくれているからである。彼の論理性と倫理性に裏打ちされた「賢者の知恵」が伝授されることにより、金融市場再生へ向けての規制のあり方などについて、読者のわれわれも透徹したものの見方ができる。日本の銀行・証券や新興国の金融機関が、米国の投資銀行の強欲資本主義を見習って、彼らと同じ道を辿らないように、投資家も厳しい眼で監視することが肝要である。

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(日本個人投資家協会理事 岡部陽二)

(2010年11月15日発行、日本個人投資家協会月刊誌「きらめき」所収)

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